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私が思うイタリア人の特徴

イタリアに住み始めてから感じたイタリア人の特徴について。もちろん日本人が全員同じ性格ではないのと一緒で、イタリア人も様々です。よく北イタリアと南イタリアでは性格が全く違うと言われますね。イタリアは小さな国の集合体のような感じなので、訪れる場所・住む場所によって出会うイタリア人は色々だな、と感じます。
今回は私が住んでいるミラノ・そして夫の地元のベルガモ地域のイタリア人と交流して感じたイタリア人の性格や文化をご紹介できたらと思います。
全員が全員当てはまるわけではないですが、少しでも参考になったら嬉しいです。では、どうぞ!

1. ナンパ師はいない

イタリア人と言えば「ナンパするのが当たり前なんでしょ?」、「チャラいんでしょ?」というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと思います。(私も小さい頃はイタリア人の印象こんな感じでした)
軽くて情熱的で女性に声をかけるのがイタリア人、という固定概念がいつしか日本では定着してしまいましたが、(そう感じていたのは私だけだったのかもしれませんが)実際のイタリア人はそうではないです。日本人と比べて他人にも気軽に声をかける文化はありますが、日常生活でナンパしている人を見かけることはありません。(少なくともミラノはありません。)
夜のナイトクラブに行けばお誘いはあるかもしれませんが、それは日本も同じですね。

2. 相槌と独り言の天才

イタリア人はおしゃべりが大好き。黙っていることはほぼありません。現在私はお絵描き教室に通っているのですが、授業中の相槌と独り言の多いこと多いこと。
「そうか!」「すごい」「本当だ」「あぁーひどい絵になっちゃった」「まったく上手くかけないよー!」
先生の授業を黙々と受けるということはありません。日本でこんな人がいたら白い目で見られるかもしれませんが、イタリアではみんなが話してて、先生もそれを当たり前に感じて進めています。みんなの独り言が面白すぎて終始和やかな雰囲気で授業が進んで楽しいです。

3. 褒め上手

イタリア人は褒め上手です。というか、褒めるハードルがとても低いです。
私が簡単な自己紹介をイタリア語で言うと、ほぼ100%の確率で「そんなに話せるなんてすごーい!」とものすごく褒められます。(※私のイタリア語は初心者に毛が生えた程度です)お世辞でいっているわけではなく本心から言っているのが伝わります。完璧を求める日本では、褒めることに関してもみんなのハードルは高めに設定されているように感じますし、「すごい」と思っても口に出して相手に伝えることは少ない気がします。
また、イタリア人は褒められることにも慣れています。行きつけのカフェでのこと。いつもキリっとした態度のレジのお姉さん。その日は可愛らしいピンクのシャツを着てました。「そのシャツ素敵ですね」と拙いイタリア語で話しかけた瞬間、お姉さんの表情がパッと明るくなり、「そうでしょ?春をイメージしたの」と笑顔で返してくれました。その日は去り際の「チャオ」もいつもより優しい感じ。
イタリア人と仲良くなるには褒めることをおススメします。(※お世辞ではなく本気で褒めること限定)

4. 家族と友達を大切にする

イタリアは家族の絆が深いです。週に1度(もしくはそれ以上)は必ず両親に連絡を取り、子供が成長しても地元に残って両親の近くに住むことも多いです。キリスト教のイベントがある際はみんなで教会を訪れ、その後家族でも集まるのが習慣化してます。また友達との絆も深い。両親がキリスト教だと子供たちは幼いころから教会を訪れます。教会では子供の遊び場はもちろん、サマーキャンプ、小旅行などのイベントがあり、子供たちが自然と一緒に過ごす機会が増えます。特に小さな町だとよりコミュニティが深くなるので、子供たちの友情は大人になっても続きます。
私は日本で年を重ねるごとに友達と会う回数は減っていったのですが、こちらでは結婚・出産関係なく友情が末永く続きます。また遊ぶ頻度も多く、仕事終わりや週末など時間が合えば友達と会って話すのが当たり前。(むしろ遊ぶために働いているようにすら感じる)
正直私はこの文化にまだ慣れていないです。というのはイタリアではカップルは一緒に行動するのが普通なので、「夫が友達と会う=私も会う」という方程式が成り立つからです。イタリア語もまだまだ未熟の私からすると、会う回数が多いと正直しんどいです。しかも日本のように終電で終わるということがない(みんなお友達の家に車で来る)ので、お話会は永遠と続きます。(※先日、夕食会が19:30にスタートして夜の3時まで続いたときには天に召されると思いました。途中何度も心ここにあらず状態)

5. 人目を気にせず感情むき出し

イタリア人の口論は突然始まります。本当にどうでもいい、些細なことから口論に発展します。夫家族が全員集まるときは決まって目の前で数名が声を荒げて討論。え?あれ?さっきまであんなにみんなで仲良くご飯食べてたのに?びっくり仰天です。そして口論が終わってから5分もたたないうちにみんな何事もなかったかのようにまたご飯を食べ始めます。

6. 良い意味でも悪い意味でも適当

イタリアに来て一番実感したのが「適当」ということ。私の例を2つ挙げます。
1つ目:あるイベントへの出席予約をしていたのですが、開始1時間前に違うイベントに誤って予約していることが発覚。「ああ、終わった」と青ざめ、夫に申し訳ないが電話で確認してもらうことに。しかし電話先の相手も担当者が誰かわからないし登録者リストにもアクセスができないから、直接会場に行って担当者に確認してほしいと。夫と会場に行くまでの間、私は気が気じゃなく、「事情を説明してもイベントに参加できなかったらどうしよう」と憂鬱な気分に。そんな私とは裏腹に夫は終始「大丈夫、大丈夫」と繰り返すだけ。そして実際に担当者に事情を説明したらすんなりOKでイベントに無事参加することができました。人数制限があったイベントなのですが、あっさりOKしてくれて拍子抜け。

2つ目:ミラノ市が主催している語学学校のクラス分けテストを受けていた際、その日はどうしても外せない用事があったのでテストの途中で退出しないと行けなくなり。そのことを先生に伝えると「ちょっと来て」と、一緒に受付に行ってくれて、長い受付の列を飛び越えて私の名前をリストに登録してくれました。(対応してくれたマダムに感謝)「費用は今日の夕方までにまた来て支払ってね。20時まで空いているから」と言われたので、18時ころに再訪。しかしすでに受付は営業終了。教えてくれた情報違うじゃん、と心の中でツッコミ、その夜にメールで再度アポイントメントをとることに。「では15時に来てください」と言われたので次の日15時に到着するとまた受付が閉まっている。近くの事務員に声をかけてみるも「え?受付の人いないの?待ってれば帰ってくると思うから座って待ってなよ」と。
椅子に座って待つこと30分。ようやく受付の人が帰ってきて何事もなかったかのように手続きは終了。おそらくイタリアでは30分の遅れは遅れではないようです。

正直、このイタリアの適当さは頭を悩ませることもありますが、私は好きです。(大変なこともたくさんありますが)日本は全てキッチリしているので、諸々の手続が丁寧でスムーズで気持ちが良いのですが、ルールが厳格に決まっているので、少しでも違うとダメという圧を強く感じます。イタリアはみんなの中に「少しくらい適当でも大丈夫~」という気持ちがあるので、毎日肩の力を抜いて過ごしているような気がします。

以上、私が感じたイタリア人の特徴でした。チャオ!

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