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最後の浮世絵師 月岡芳年展:7 /八王子市夢美術館
(承前)
猫尽くし柄の浴衣を身にまとったこの「新ばし福助」という女性は、その名のとおり新橋の芸者である。朝顔市が開かれる入谷鬼子母神の近在の人ではない。
このように本シリーズは、各地の花街の人気者が旬の名所に遊ぶさまを描いたものとなっている。
彼女たちはみな「物見遊山気分でやってきた余所者」といった位置づけにはなろうが、絵のなかにおいては、その土地の風土や景物と違和感なく調和し、むしろそれらを際立たせる舞台装置の役割を果たしているのは見逃せない。
《二月 梅やしき》は、二股に分かれた梅枝から娘がひょいと顔を出し、簪を直すチャーミングな図。
この娘は「福助」と同じ新橋芸者の「てい」で、やはり梅屋敷のある亀戸あたりの人ではないのだけれど、この亀戸という土地の佳きところを引き立たせるような魅力が、この娘の仕草・挙動からは確かに醸されている。さながら “亀戸の妖精” とでも、呼称したくなるもの……「よッ! “亀戸の精” !!!」
――と、まあそんなことを妄想していると、以前別の機会に書いたあることと、どうやらリンクできそうだなと気づいた。
芳年の孫弟子にあたる日本画家・鏑木清方の《築地明石町》3部作である。
描かれる女性たちは、いわば “町の精”。
特定の場所から立ち上がってくるイメージや、その土地に対する作者・清方の思いを、人間の姿に仮託して描写したものである。
《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》はどれも、それぞれの街「らしい」風情、佇まいをもった象徴的な女性像を、街の情景をバックにして描きだすという趣向のものだった。
清方の3部作に描かれた女性たちは、おそらくその土地の人、ないしはその土地にかつてゆかりのあった人(《築地明石町》の女性はとくにそんな感じ)なのであろうし、芳年《東京自慢十二ケ月》に出てくる「物見遊山気分でやってきた余所者」とは根本的に性格を異にするのは明らかであろう。
しかし、ある特定の土地を象徴し、イメージを増幅させるという一点においては、きわめて近しい存在といえるのかもしれない。
少なくとも、「土地—女性像」という画想の組み立て方は、清方《築地明石町》、芳年《東京自慢十二ケ月》に通底するものではないかと思われた。
孫弟子とはいえ、ここに直接の影響関係を見出そうとするほど強引には考えていないし、この画想が芳年オリジナルだとも、つゆも思わない。
けれどもこの符合には、浮世絵師の系譜に連なり、またそれを受け継ぐ者としての清方の「意気」や「意図」が、よく表れているような気がしてならないのである。(つづく)