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新潟県立近代美術館のコレクション展
白髪一雄を中心とした抽象絵画の企画展「行為と詩情―ACTION & POETRY」のあとに、コレクション展を拝見。日本画の名品展であった。
わたしがこの館を訪れるのは、今回が初めて。館のことを知るには、なにをおいても館蔵品の展示が最適……というわけで、密かに楽しみにしていた。
展示室に入ってすぐに、これはと思わせる仕掛けがあった。
解説パネルの壁を右に曲がると……大きな大きな、床の間が現れたのだ。
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掛かっていたのは横物が1点で、ゆとりある空間の使い方になっていた。この幅ならば三幅対、一双の屏風だって、余裕でいけるだろう。
しかも、ガラスケースのない露出展示になっている。すばらしい取り組み。
数寄屋造りの豪邸に迷いこんだ気分で、息を潜めながら拝見した。
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以降はガラスケース内に、おおむね制作年代順で、著名な日本画家の作が並ぶ。そのなかにも、この館・この県らしさが、しっかりと散りばめられていた。
小林古径《飛鴨》(1930年)と土田麦僊《芥子》(1926年)。古径は高田に記念美術館があり、新潟出身とは認識していたけれど、麦僊が佐渡の出身だったとは。麦僊は京都の画家というイメージが強いし、作風は「温度」を感じさせるもので、雪国の出というのは少しばかり驚いた。
麦僊の近くには、同門で会派をともにした同志・小野竹喬の《黍熟るる島》(1917年)が。南画風の色濃い若年時の作で、やはり、温度を感じさせる。
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竹喬は瀬戸内の出。岡山の笠岡に記念美術館がある。上のような安直な考えでいけば、温暖で穏やかな瀬戸内のイメージどおりの画家だ。麦僊の周辺の重要作家として、収蔵されているのだろう。
古径・麦僊ほどの作家を、県下からふたりも輩出している……これだけでも、この館が日本画を熱心に集める理由として充分だが、日本画で名をなした越後の出身者はまだまだいる。
「尾竹三兄弟」こと尾竹越堂・竹坡(ちくは)・国観。いまやマイナーになってしまったものの、生前、画壇ではよく知られていた。確かな画技でもって、やや奇抜な絵を描く印象。彼らは、現在の新潟市出身である。
本展でも、各人1点ずつ出品。ここでは長兄・越堂の屏風《徒渡り》(1913年)をご紹介したい。
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尾竹三兄弟には、再評価の兆しがある。
2018年には、最も知名度の高い真ん中・竹坡の初の回顧展が富山県水墨美術館で開催。今年秋には、泉屋博古館東京で「オタケ・インパクト 越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム」の開催を控えている。
奇抜な面が、現代では清新なものとして映り、歓迎をもって受け入れられそうな予感がしている。
新潟が輩出した日本画家として忘れてはならないのが、燕市出身の鬼才・横山操。優美でみやび・お行儀のよい日本画像を、爽快なまでにぶち破った男。
本展のリストを事前に閲覧して、代表作《炎炎桜島》(1956年)の出品を知り、新潟行への期待がさらに高まったのだった。
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谷中・天王寺の五重塔が燃えたと知ればおっとり刀で駆けつけ、《塔》(1957年 東京国立近代美術館)を描いた操。
《炎炎桜島》はその前年の作で、同じように、桜島噴火の報を聞きつけ、現地へ飛んで描かれたとのエピソードが伝わる。
すなわち、桜島が発する轟音や噴煙、煮えたぎるマグマ、降りしきる火山灰を目の当たりにして、この絵が生まれた。
みずから足を運んで、経験。そうして得た感触を、大画面にぶちまけている。有無を言わせない迫力は、ただただ圧巻。
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一見して気づきがたいものの、この絵には金や銀も使われている。
金銀泥は、粗い刷毛でざざっと引かれるのみ。装飾性を全面に出した伝統的な使い方とは、まるで異なる。黒や赤と同じ、あくまで色の選択肢のひとつとして、金や泥を使いこなしているのだ。
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このあとには現代日本画や、戦争に関連する作品が展示されていたけども、《炎炎桜島》のおかげであまり記憶に残らなかった……まるで劇薬である。
——こうしてみると、最初に挙げた古径や麦僊を含めて、新潟出身の日本画家たちは、なかなかの個性派ぞろい。その結果、館蔵の日本画名品展である本展も、エッジの効いた内容となっていた。
新潟近美の展示に、これからも目が離せない。
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※横山操は2021年に生誕100年、2023年に没後50年を終えてしまっている。次はいつになるかわからないが、回顧展の開催を心待ちにしている。
※後期展示に出るという竹内栖鳳《睡郷》(1930年)。これも観たかった……
※尾竹竹坡には、こんな作品もあるらしい。牛を描いた《牛》。牛は牛でも……ちょっと、びっくり。