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国宝《十一面観音立像》の拝観 /京田辺・大御堂観音寺

 大河ドラマ「どうする家康」は、伊賀越えの回だった……らしい。
 視聴者ではないのにこのことを覚えていたのは、物語の山場ゆえ番宣が盛んであったこともあるが、それ以前に、さる京都のさるお寺で詳しく教えていただいたからなのであった。
 京田辺市の、大御堂(おおみどう)観音寺。
 本能寺の変の一報を受けた家康が、堺から居城のある岡崎まで命からがら逃れた「伊賀越え」。その最中、家康の一行はこの近辺を通ったとされている。境内には石碑が立っていた。

 今回、関西行の最初の目的地として大御堂観音寺を選んだのは、伊賀越えの聖地めぐり……というわけではなかった。
 ほとけさまである。
 天平期に制作された国宝仏《十一面観音立像》に手を合わせることこそが、わたしの目的であった。

中央が大御堂観音寺。京都まで新幹線、近鉄で南下し三山木駅下車。そこからタクシーで5分ほど。バス通りから、この風景
田んぼの中の道を左に折れたところ。参道らしくなった

 都会の喧騒を離れ、こうして田園と古寺とにいだかれると、水を得た魚である。
 こんな気分も久々であったから、タクシーを降りるやいなや「これよ、これ……」と、キンキンに冷えた生ビールのひと口めを飲み干したあとの常套句をこぼすのであった(しらふです)。
 青々とした田んぼを突っ切って、境内へ。ご住職のお導きによって、お堂の扉が、次いでお厨子の扉が開けられて、いざ拝観。

《十一面観音立像》の国宝指定に合わせて建て替えられたという本堂

 国宝《十一面観音立像》(奈良時代)には、木心乾漆という、この時代までしかみられない技法が用いられている。
 一木造のボディの表面に木屎漆(こくそうるし)を塗り、丁寧に整えていく。これにより表現されたなめらかな質感、ハリ・ツヤのよさが、若々しさや瑞々しさを印象づけるお像だ。
 堂内ではお厨子のすぐ下で、すなわちもう手の届くほどの位置から拝見することができた。眼福。

 ※《十一面観音立像》のきれいな動画。ご堪能あれ

 伊賀越え、国宝《十一面観音立像》、さらには桜や紅葉、菜の花などの風物詩とともに、この小さな寺の名を高めている要素がもうひとつある。東大寺二月堂への「竹送り」の行事だ。
 毎年3月の「お水取り」に籠松明として使用するための竹を届ける行事で、戦後しばらく途絶えていたものの、昭和53年に復活。それを記念する石碑も、境内にはあった。

 今年の2月、お水取りの準備がはじまった頃に二月堂周辺へうかがったところ、ちょうどこの竹送りの竹が届いており、出番を待っていた。数日前にニュースで観て、もしかしたら見られるかなとは思っていたが、運がよかった。
  「あの青竹は、このあたりからやってきたのだな」と思うと、感慨深い。

ご住職によると、孟宗竹ならばそこらにたくさん生えているが、お水取りに使えると決められている真竹は、この周辺でも一部でしかとれないのだとか
「普賢寺」は、大御堂観音寺のある地区名


 ——「竹送り」ではないが、このあとは、まっすぐ奈良を目指した。
 駅までは、里山のなかを川沿いに歩いて行った。暑さなぞ、気にもならない。その日の青空にも似て、晴れ晴れとした心持ちであった。 

里山の背後の丘陵上には、同志社大学京田辺キャンパスが。考古資料満載の資料館は、あいにく休館日。改めて来たい


 ※伊賀越えゆかりの地をめぐるデジタルスタンプラリーも開催中とか。

 ※奈良国立博物館では「聖地  南山城―奈良と京都を結ぶ祈りの至宝―」が開催中。大御堂観音寺は南山城のはずせない古寺だが、本展にはノータッチ。



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