鈴木其一・夏秋渓流図屏風:2 /根津美術館
(承前)
抱一《夏秋草図》の隣には応挙の絶筆《保津川図屏風》(重要文化財、千總)が。なんと豪華な展示ケース!
どちらも現在は重文止まりだけれど、国宝へ昇格する日は遠くないはず(※《保津川図》に関しては、大乗寺の障壁画群の後塵を拝することになるか)。
それにしても、抱一と応挙がいちおう同時代の人(抱一39歳のときに応挙が62歳で亡くなっている)とはいえ、この2点が取り合わされて展示されるのは、おそらく初めてではないだろうか。そんなふたつの点を線でつなぐのが、其一《夏秋渓流図》だというのだ。
ここでもやはり、そういった文脈を忘れかけてしまうほどに、絵じたいに魅せられてしまった。
険しい巌の皴法(しゅんぽう)にも、松の枝ぶりにも目をみはってしまうが、それらはすべて、保津川の濁流を引き立てるためにある。
「瀑布」など、滝の落ちるさまを白い布にたとえる言語表現がある。応挙も紙の白さをベースとして、水墨の線に控えめな淡彩をちょちょっと加えて激流を描きだす。
線は、単純ではない。太いもの、細いもの。濃いもの、淡いもの。主流をなすもの、淀んで脇に逸れるもの。自由自在だ。
こんな線、ほかの誰にも引けない。
先ほど「ふたつの点を線でつなぐ」と申し上げたが、抱一《夏秋草図》と応挙《保津川図》にミッシングリンクがあるというよりは、其一《夏秋渓流図》に向かう矢印をどちらもがもっているといったほうが正確だろう。
応挙と其一は直接の交渉をもたなかった。それでも其一にとっての応挙は、抱一とともに敬愛する先輩絵師だったことが知られている。
其一が西国を巡歴した際の手控え帳(の弟子・守一による模本)が、会場に展示されていた。
其一はこのなかに、諸国の寺院や所蔵家を訪ね、古今の書画を拝見した際の所見を、こと細かに記している。
過密スケジュールでの、旺盛な古典学習。再現性の高い印刷物などまだない時代に、先行する作例を、じかに、これほど「観まくった」人はいなかったはずだ。この旅が其一にもたらしたものがいかに多大であったか、想像にかたくない。
この帳面には残念ながら《保津川図》に関する記載はないのだが、其一が京を訪れた際に《保津川図》やそれに類する作例を観て《夏秋渓流図》に取り入れた可能性が、本展では示唆されている。
伝統的な図様では画面の奥、植物の向こうに配されていた渓流の位置を応挙は逆転させ、手前にせりだしている。
これは応挙の革新的な絵づくりの一環であり、其一の《夏秋渓流図》においてもそれが採り入れられ、継承されたのではという。たしかに、説得力がある。
リーフレットや公式ページを見た段階ではまださほどピンとこなかったのだが、実物や、其一の膨大な古典学習の跡を目の当たりにし、きっとそうなのだろうなと感ずるに至った。学術論文のビジュアル版のような本展である。(つづく)
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