特別公開 増上寺三解脱門:1
都営大江戸線に、大門(だいもん)という駅がある。
駅名の由来は渡哲也さん演じる……ではなく、上野・寛永寺と並ぶ徳川将軍家の菩提寺・増上寺の表門にあたる「総門」の通称である。
現在の大門は昭和12年築。木造だった先代の外観はそのままに、大きさを1.5倍にして鉄骨鉄筋コンクリート造で建て替えられたものだ。
川瀬巴水の増上寺をモチーフとした作はいずれも傑作ぞろいだが、この場所で描いた《新東京百景 芝大門の雪》も、人気作のひとつ。
いわゆる「ドカ雪」である。
大門のたもとにたたずむ、高下駄を履いた書生とおぼしき人物。その頼りない傘では大雪を防ぎきれるわけもなく、裸足の足許は寒くないはずがない。自動車を颯爽と運転する紳士を、羨望のまなざしで見ていることであろう。
巴水が本作を描いたのは昭和11年2月、つまり改築直前の「先代」の大門ということになる。慶長3年(1598)に増上寺が芝の現在地へ移転した際、江戸城の大手門だったものを家康から拝領したという、とてつもない由緒をもつ門だ。
巴水の描いた「先代」と写真の「当代」とを見較べると、1.5倍という数字に実感がもてる。
おそらくだが、1.5倍にスケールアップされた新しい大門は、巴水にとってすでに画興をひかれるものではなくなっていた。愛しきものが忽然と消え失せることは哀しいが、その跡を上書きするようにそれに似せたものが現れたとしたら、どんなにつらいだろう……
もっとも、そういった感情は、ある種の懐古趣味を共有する者のあいだでのみ通用する話である。大寺には大寺にふさわしい表門が必要であるし、当時の事情からいえば、関東大震災時の損傷による倒壊の危険性や、道路拡幅の必要性といった背景もあったそうだ。
そういえば、巴水の絵をよく見ると、向かって左側の屋根が崩れかかっている。これは雪の重みなどではなく、震災もしくは経年劣化によるものなのだ。たしかに、このままでは危ない。
再建された「当代」の大門も、いまや齢86を数える立派な文化財。戦災を乗り越えた、歴史の生き証人である。大改修を経て、2017年には港区の指定文化財となった。
なお、「先代」の大門は破棄されたわけでなく、両国の回向院の門として移築・再利用された。たいへん惜しいことに、東京大空襲で焼失。余生は短く、「当代」とは明暗を分ける形となってしまった。
——大門の正面、日比谷通りを挟んだ向こう側に、増上寺の三解脱門がそびえている。大門よりもずっと大きな門で、この下をくぐれば、増上寺の大伽藍に足を踏み入れることになる。
今年の10月から11月にかけて、この2階がめずらしく公開されており、わたしも登楼と決めこんだのだった。(つづく)
※もうひとつ、大門を描いた作として《芝大門》がある。大正15年作と、《芝大門の雪》よりも10年以上も先行する。こちらは雨の情景。
※Made in ピエール・エルメのクリスマススイーツ。今年は《芝大門の雪》のパロディであった。