岩手・盛岡「民藝」さんぽ
盛岡の、あこがれの場所。
それは「光原社」。
大正13年創業の民藝品店で、社名は宮沢賢治の命名による。
当初は版元で、あの『注文の多い料理店』を世に出したことによって、文学史にその名を刻んでいる。
暖簾分けの「仙台光原社」には、帰省のたびにお邪魔してきた。
そこいらの民藝店の店先を覗けば、出西や湯町といった山陰の諸窯、益子に砥部、小鹿田、沖縄のやちむんあたりの定番品が、どこの店にもひととおりは並んでいるものだろう。仙台光原社にも、これら各種取りそろえられていた。
だが、そういった枠の中で、具体的にどんな作品を店頭に取りそろえるかに関しては、店ごとの個性やセンスがかなり如実に表れるのではと、わたしは感じている。
仙台光原社のラインナップはいつも、わたし好み。大いに好感をもっていたから、盛岡の本店にいつかは行ってみたいと思っていたのだ。
光原社は、盛岡駅から徒歩圏内に店を構えている。
敷地内には展示スペース、工房、喫茶室などを併設し、「民藝村」とでもいえそうな一角が形成されていたのであった。
光原社の「可否館」に立ち寄ることもまた、この旅の大きな目的であり、楽しみのひとつだった。岩手県美のあと、お腹を減らしたまま、気温4℃のなかを40分ほど歩いてこられたのは、ひとえに可否館のコーヒーを美味しく飲むためである。
タイミングよく、待たずに入ることができた。カウンターを含めた十数席、それにキッチンのすべてが長方形の1室に収まる「いい感じの狭さ」。
ステンドグラスの真ん前の理想席な席が、これまたちょうどよく空いていた。メキシコの伝統的な椅子・エキパルチェアに腰かけながら、つつましく美しい室内にため息を洩らす。
ここまでは順調だったけれど、名物のくるみクッキーは売り切れ。仙台の光原社で何度か買い求めているから味は知っているのだが、そのほかの食べ物は、アイスクリームとワインゼリー(!)くらい……どちらも流動食で、お腹に溜まりそうにはない。迷った末、アイスクリームにした。
中庭を取り囲むようにして、各種の施設が配置されている。腹ごしらえのあと、ひととおりまわってみた。
光原社の店舗で、自分用のうつわとおみやげ探し。いろいろと目移りしてしまう。小ぶりのものをいくつか購入した。
盛岡の民藝めぐりは、光原社を離れて市街地へ。
岩手県庁や盛岡城址に程近い一等地に、多くの民藝関係者が定宿とした民藝旅館「盛久」がある。ぜひ投宿してみたかったものだが、現在は旅館を廃業して貸しギャラリーとなっている。
訪問時は所蔵品展が開催中で、宿に残された志功や濱田庄司らの作品が拝見できた。
盛久ギャラリーから、石垣だけの盛岡城を突っ切ると、中津川という川に行き当たった。盛岡城は、中津川を天然の堀としてそのまま利用した縄張りになっている。
対岸には、川沿いにすてきな喫茶店や近代建築、民藝のお店が点在しており、すべて徒歩でまわれる範囲。散策にはもってこいであった。
——盛岡は、聞き及んでいたとおりの歩きやすく、きもちよい街だった。目的地を絞って短時間でまわったが、まだまだ、いいところがたくさんありそうだ。
都会すぎない、観光地然ともしていない……ふだん着の街であることに、いちばんの魅力があるのだと思う。チェーン店や高層建築も多くない。
じつは、ニューヨーク・タイムズが「2023年に行くべき52か所」に盛岡を選出するにあたって評価したのは、まさにそんなところだったのだという。海外メディアの取材力や目のつけどころが鋭敏すぎて、怖いくらいである。
同じ日本にいて、隣の県で育ちながら、外から教えてもらうまで、このよさを認識できずにいたとは……そう恥じ入ってしまうくらいの、よき出合いであった。
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