MOTコレクション「歩く、赴く、移動する 1923→2020」:4 /東京都現代美術館
(承前)
藤牧義夫の版画作品《サイレン(火の見櫓)》(1929年)。
鉄塔や鉄橋、鉄道施設といった、鉄の骨組みがむき出しになっている巨大な構造物を、義夫は好んでモチーフとしている。
現代の風潮にそぐわない言い方かもしれないが、「男のコ」「男子」らしい嗜好だなと思う。鉄人28号やガンダムがこの時代にもしあれば、義夫は興味を示したのでは。ブリキのロボットのような機械が描かれている《給油所》という作品も、じっさいにある。
義夫の故郷・館林に比べれば、東京のこの火の見櫓はずっと大きく、高かったはず。その威容と構造美、メタリックさに惹かれるところがあったのだろう。
それに、機能性一辺倒、無骨で飾らない佇まいにかっこよさや美を見出す意識は、現代の工場見学や産業遺産巡りに通じるところもありそうだ。
「サイレン」という副題をどう受け取るかはともかくとして、虚心坦懐に絵を観れば、構造物への強い興味とともに、全体を包みこむ情緒が感じ取られる。
それはまぎれもなく、色や色調の繊細さがもたらすものと思われる。
闇に包まれてシルエットになっている箇所は、漆黒で塗りつぶされるのではなく、暗い青というか、青みを帯びた黒によって形づくられている。背景の空につけられた微妙な調子も、侘しさをつのらせる。
上の図版ではかろうじて察知できるが、実際の作品はより繊細な色みとなっている。画像データや印刷物では再現しきれないところにこそ、魅力のある絵だと思う。
色の繊細さについては、隣に出ていた《風景(うらまち)》(1933年)に関しても同様であった。
上記リンク先の公式画像、下のわたしが撮影した画像では、よくある色、ひとつの階調で統一されてしまい、残念ながら繊細さが失われてしまっている。
隅田川の絵巻を含めて、義夫にはモノクロームの作品が多いけれど、きわめて鋭敏な色彩感覚を持っていた人ではと思う。
義夫と同じように東京を歩き、描いた画家に松本竣介がいる。この展示室では、デッサンが7点出ていた。
竣介の線は、硬軟さまざま。どれも、まったく無駄がない。
ひとつの作品として完結した感すらある、非常に鑑賞性の高い竣介のデッサンは、同じ「モノクロームの東京風景」である義夫の隅田川の絵巻と、よく呼応しあっていた。
さらに、桂ゆき・朝倉摂というふたりの女性作家に関する寄贈資料からも、東京を描いたものを数点出品。
ミクストメディアのコラージュ作品で知られる桂ゆきの、ペン画+水彩を使った、絵はがきほどの小品絵画。ゆるい描きぶりで、これがなかなかよかった。
交通整理をしているのは、米軍のMPだろう。いくらなんでも大柄すぎるけれど、当時の人々の心境からすれば、これくらい大きく感じられたのかもしれない。終戦直後、GHQ統治下の銀座である。
朝倉摂のスケッチブックからは……猫の絵をご紹介したい。「歩く、赴く、移動する」と題しながら、そのどれでもない、「座る」猫の図がなぜか展示されていたのである。
まぁ、たまにゃあ、足を止めて休んだっていいじゃにゃい。
筆圧が強い。確信的な線である。
朝倉摂の父は、彫刻家・朝倉文夫。猫好きとして知られ、猫の彫刻作品を多数残している。最盛期には19匹もの猫たちが、谷中の朝倉邸(現・台東区立朝倉彫塑館)で暮らしていたのだとか。
大勢の猫と一緒に育ち、その生態に知悉していたからこその、確信に満ちた線なのだろう。猫飼いのわたしからみても、もちろん違和感はないし、すごいなと思える。
うちの子は、この子のように引き締まってはいないけども……(つづく)
※4月からのコレクション展。
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