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丸山晩霞 日本と水彩画 /中村研一記念小金井市立はけの森美術館

 明治の中ごろ、水彩画のブームがにわかに巻き起こった。
 素人でも気軽にチャレンジできる水彩画は、職業画家や画学生の垣根を越え、広く一般層にまで浸透。手引き書が増刷を重ね、各地で講習会が催された。このブームを大下藤次郎、三宅克己、吉田博らとともに牽引したひとりが、丸山晩霞(ばんか)だった。
 このうち吉田博はのちに新版画に転じ、そちらのほうで名を高めている。
 いっぽうで大下、三宅、そして晩霞に関しては、近代美術の通史にはほとんど登場しない。「そういうブームが一時あった」という文脈で、大下の名が出るくらいだろうか。
 ブームはブームとして過ぎ去ってしまった形だが、わたしはこの頃の水彩画が、じつはとてもすきなのである。

 明治も中ほどになってくると、西洋由来の技法を用いているからといって、バタ臭さはもうない。水彩絵の具を、画家たちは淡々と使いこなしている。
 彼らが描いたのは、田園や山岳の風景。名所旧跡や、気を衒ったフォトジェニックな好みは見受けられない。
 彼らの作品紹介に適切な画像を探そうと思って丸山晩霞記念館のホームページを開いてみたら、最適な動画に巡り合えた。昨年秋に開催された「水彩の明星」展のPR動画だ。

 この展覧会、サブタイトルには「心にしみる 淡く透き通る風景」とある。
 そう、「しみる」のである。
 じんわりと、それこそ水彩絵の具がにじんでいくように……

 晩霞の《春の日》は、本展にも出品されていた。
 春の野に出でて若菜摘む母娘。見わたせば、あちこちに大きな蕗の薹がにょきっと頭をのぞかせていて、これは採集もしたくなるよなと、かのほろ苦い春の味覚を思い浮かべながらにんまりしてしまう。
 花や草、積み藁など、描かれる要素は非常に雑多といえるが、このくらいの雑多さこそ、人間の暮らしと自然とがまじりあう、人家に程近い里山の生きた姿といえるだろう。郊外を歩いていて、思いがけずこのような風景に出合えるとうれしいものである。

 《長入》は、晩霞の生まれ育った土地を描いている。なだらかな丘陵地の開けた景観は、いかにも信州の里山といった趣。木々は紅白の花をつけて、さながら桃源郷だ。

 随所に描きこまれた人々はけっしてのっぺらぼうの記号的表現ではなく、それぞれが晩霞の家族や親類、ご近所さんであるのだろう。あの道、この曲がり角……写生など心がけなくとも、すべて空で、克明に描けたはずだ。故郷とは、そういうものだろう。

 こういった郷里・信州や旅先の日本各地の里山、さらには海を渡って巡ったヨーロッパ各地の風景を描いた水彩画が、展示室の半分を占めた。これらを眺めるのは、至福の時間であった。
 いま丸山晩霞の名前を聞くとすれば、かろうじてこういった明治期の水彩画家として、ということになる。大正に入って画風を一変させてからの作品については、触れられる機会が甚だ少ない。
 じつのところ、小金井で開かれている今回の展覧会の主眼は、むしろ後者にある。
 展示室のもう半分は、「絹本に水彩」で「欧米の自然風景」を描く、しかもそれが「掛軸や屏風」といった形態をとるといった、いまとなっては珍妙・キッチュな作品たちが並んでいたのであった。
 琳派の草花図だとか、明清の山水や花卉画だとか、明治末から大正前期にかけて流行った南画風の日本画だとかの影響も、絵の随所に見え隠れしている。
 彼なりに、新しい日本の絵を追求しようとしたのだという。
 情緒ある水彩画のほうにわたしは魅かれるけども、こういった試みをした画家がいたのだという事実に関しては、知的興味として惹かれるものがあったのだった。

 ひとりの画家の生き様として、おもしろい一例だと思う。
 国分寺崖線に沿った「はけの道」の散策とあわせて、おすすめの展示である。

はけの森美術館は、洋画家・中村研一のアトリエ兼自宅を改装したもの。国分寺崖線の斜面を、そのまま庭としている
庭では、湧水がこんこん
竹林。マムシに注意と看板が


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