没後190年 木米:3 /サントリー美術館
(承前)
木米の「画」。
その作行きは、やきものの多種多様ぶりに比べると、かなり限定的だ。画風にさほどの幅はなく、山水を描いたものが大半となる。これらは50代後半から、本格的に描きはじめられたといわれている。
後年の絵が念頭にあると、《秋渓渡橋図》(アーティゾン美術館)は、ある種の硬さを帯びたものと映る。構図・図様には、先行する作品や図譜の影がちらつく。いわゆる「若描き」の作と把握できるいっぽうで、遠景の筆致には後の闊達さに通じるところもある。
木米の画はこのあとさらに、もっと自遊になっていく。
陶磁器という素材のくびきから解き放たれ、立体から平面へ。にじみ、ぼかし、かすれの跡を残しながら、木米の筆は自在に軽やかに、紙の上を駆けまわる。
潤渇のコントラスト、筆の走るがままに任せながらも、勁(つよ)い「芯」のあることを感じさせる線とかたちは、木米画の真骨頂といえるだろう。
渇筆の名品が《聴濤図》(脇村奨学会)。
太い線は、ほとんど使われていない。しかし、それぞれの細い線の、なんと力強いことか!
いましがた述べた『勁い「芯」のあることを感じさせる線とかたち』とは、まさに本作のようなものを指している。まことに玄妙なる筆触・線といえよう。
画像では大幅(たいふく)にみえなくもないが、64.3×15.9センチの小品。それだけに、要素がぎゅっと凝縮された感じがして、実物はさらによいものであった。
その他にも、渇筆のすぐれた作例が多々。なかには、幼時に交遊のあった池大雅の同種の作例を思わせるものも、いくつかあった。
潤筆の魅力あふれる作としては、やはり《兎道朝潡(うじちょうとん)図》(個人蔵 重文)が第一に挙げられよう。「兎道」は「宇治」の古名、「暾」とは旭日を意味する。
宇治川の流れと背後の山容、宇治橋、平等院鳳凰堂といった宇治のランドスケープは、現代でも変わらない。これらを一望のもとに、やや俯瞰気味に見わたしている。
清新の気が充満する、爽やかなる朝の情景。水っけたっぷりの淡墨・淡彩が、和紙にじわりと浸透・定着していった……その行方を追っていると、心が洗われる思いである。
こんな景色を眺めながら香りの芳しい茶を喫したら、なんとよい朝になるだろうか。胸のすくようないい絵だなと、改めて思った。
木米の《兎道朝潡図》には同じ図様のものが3点ほどあり、本展では前後期でバージョン違いの2点を観ることができた。上の《兎道朝潡図》(重文 個人蔵)は最も著名なもので、後期展示で拝見。
前期展示の《兎道朝潡図》(個人蔵)は、制作時期がやや遅れると思われるもの。こちらの画像は残念ながらないが、東京国立博物館所蔵の《兎道朝潡図》(本展には不出品)が作例として近いため、代わってご紹介。
全体に簡略化されているが、素早く、勢いのあるタッチともいえる。小舟など、重文指定のものより速く進んでいそうだ。鳳凰堂が朱色ではなく、松の幹・枝と同じ色とされているなど、細部にも違いがみられる。
広域な地名としての「兎道(うじ)」は「宇治」に取って代わられてしまったが、「菟道(とどう)」という地域名として残っているし、興聖寺の裏手にある、展望台のある山は「朝日山」。《兎道朝潡図》を絵図代わりにして、朝方の宇治をそぞろ歩いてみるのも楽しそうだなと思った。
木米の潤筆が光る作品としては他にも、縦長の軸装に雄大な山水と、豆のように小さな人物を描きこむ一連の作例に魅かれるものが多かった。《重嶂飛泉図》(静嘉堂文庫美術館)、《秋景山水図》(個人蔵)、《化物山水図》(個人蔵)など、どれもすばらしい。
やきものはほぼ展示替えなしであったが、絵画作品は、前後期で総とっかえ。
木米の作品は、陶磁・絵画ともに個人蔵がかなり多い。今回のリストも、146件中101件が個人蔵で、名前は出ているものの通常非公開の所蔵先からの出品も多い。
前後期とも余すところなく拝見できたのは、非常によかった。(つづく)