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生誕150年 山元春挙

 ――生前は大家として知られたが、没後は忘れ去られた感が強い。

 ゴッホとは真逆のこのパターンも、ままみられる現象である。
 どの時代にも大先生、オーソリティーと呼ばれる人は存在していて、その誰もが後世にまで影響力をもつわけではない。また、忘却される原因はさまざまでも、絵じたいがよくないとはかぎらない。
 いま絶対と思いこんでいる事象も、あすには変転している可能性を常にはらんでいる。変転は急速に訪れることもあれば、和紙に淡墨がにじんでいくがごとくじわじわと、気がついたらそこまで忍び寄っていたということもある。価値観とは、揺らぐものである。

 このような道行きをたどった日本画家として真っ先に浮かぶのが、わたしのなかでは山元春挙(1872~1933)だ。東の横山大観(1868~1958)、西の竹内栖鳳(1864~1942)とは世代が近く、活躍期が重複する。
 円山四条派の流れを汲む春挙は、栖鳳とともに京都画壇を長年リードし、ライバルと目された。春挙の画塾からは名をなした描き手が多く出て、春挙門は一大派閥となった。このことも「大家」像を補強する。
 それだけに、61歳で没したと今回確認して少々意外な感じがしたし、もったいなかったなと思われた。大観、栖鳳よりも遅れて生まれ、早くに亡くなっているのだ。このことも、のちの評価に影響するところがあっただろう。

 ふだん、春挙の作品をまとめて拝見できる展示施設はない。熱心なコレクター、めぼしい太い上客に恵まれなかったこともあるのだろうか。
 収集に力を入れている数少ない館が、故郷・滋賀県の県立美術館。大津市歴史博物館にも所蔵品がある。
 生誕150年の今春、この2館で相次いで(会期はちょうど入れ違いで)回顧展が開催された。それぞれのページに作品の画像が載っているので、気になる方はぜひご覧いただきたい。

 壮大、雄大、ダイナミック。西洋の風を加味しながら大画面に展開される大胆な発想、鮮やかな色遣いが、春挙最大の魅力といえよう。
 山登りを趣味とし、琵琶湖が見渡せる湖畔に邸宅を構えた春挙は、大自然の懐の深さになによりも打たれるものがあったのであろう。その感動を、画道にも活かした。
 岩絵の具でロッキー山脈を描くものなどは、吉田博の新版画を思わせる。吉田博もまた、浮世絵版画の伝統の余香を残したハイブリッドな性格をもっているし、大の登山好きであった点も共通している。
 また、たらしこみが上手く、筆技にすぐれているので、即席で描いた軽めの絵にも見どころがある。大画面の作でも、近寄って細部を観てみたいと思わせるのだ。
 春挙のもとには多くの俊英が集った。大津歴博のページでは、弟子たちの多士済々ぶりを垣間見ることもできる。師風を承け継ぐというよりは、みな個性爆発といった趣。色とりどりである。

 数寄屋造りの別邸「蘆花浅水荘」は、琵琶湖を望む景勝の地にまるっと現存(重要文化財)。この近辺で近世に制作されていたやきもの・膳所焼の復興にも尽力したとのことで、春挙が絵付けをした楽茶碗なども多く伝わっている。
 風雅を好み、あちこちに足跡を残しながら、これまで顧みられることの少なかった春挙。待ちわびていた再評価も、生誕150年という大きな節目に似合わぬ「ひっそり」感をみるに、なかなか容易にはいかぬようだが、これを機に点が線となり、春挙に注目する人が増えてくれればいいなと思っている。


 ※過去の展覧会となるが、こちらのホームページがわかりやすくてよい


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