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呉春 -画を究め、芸に遊ぶ-:3/大和文華館

承前

 展示の終盤には洒脱な、すっきりとした作品が並んだ。蕪村風の「こってり」感は、もうほとんどみられない。
 伝統的な画題を崩してユーモラスに描く《三十六歌仙偃息図巻》と、卑近なモチーフを軽妙にとらえた《蔬菜図巻》(泉屋博古館)。どちらも、類品が数例知られている。一定の需要があって、好まれていたようだ。

 《蔬菜図巻》はさらさらと、まことに瀟洒な描きぶり。どの野菜もキノコも、たいへんおいしそうである……衣をつけてカラッと揚げ、天つゆと大根おろしにさっとくぐらさせて、いただきたい。
 冗談(願望)はさておき、呉春には美食家としての一面が伝わっており、その事実は、本作のみずみずしい描写とけっして無関係ではないはずだ。さもありなん、な描写である。
 なお、所蔵先の泉屋博古館では2018年に「フルーツ&ベジタブルズ -東アジア 蔬果図の系譜」と称する展示が開かれ、伊藤若冲《菜蟲譜》(佐野市立吉澤記念美術館  重文)との比較がなされた。
 その後、今年に入って《菜蟲譜》の「菜」だけバージョンともいえる《果蔬図巻》(福田美術館)が発見、「若冲激レア展(略)」で現在お披露目中である。こちらとの比較展示も、いつか観てみたい。


 食べ物シリーズ……というわけではないが、サトイモ畑を描いた《芋畑図襖》(京都国立博物館)。知ってはいても観るのは初めてで、これが、たいへんよかった。
 ただ芋の葉があるだけなのだが、余白の豊かな膨張に、目をみはってしまう。

 画題としては珍奇ながら、どこにでもみられる、じつにありふれた風景だ。わたしも、散歩中にみつけたくらい。

 それがこの絵になると、情緒・情感をともなって、静かにこちらへ迫ってくる——そんな、ふしぎな存在感がある。
 見たそのままをただ描いたというよりは、芋を供える中秋の「芋名月」を表しているらしい。この、たっぷりの情緒。きっと、そのとおりなのだろう。

 《芋畑図襖》においてすでに示されている、呉春晩年の清く澄みきった画境をさらによく物語るのが《泊船図襖》(醍醐寺  京都市指定文化財)。

 これまた、静かで豊かな絵画世界。
 ぜんっぜん関係ないはずなのだが、この絵の前に立っているとき、ふと「ポッポッポッ……」と、昔懐かしい蒸気船の作動音が、遠くのほうから聞こえてくる錯覚があった。小津安二郎『東京物語』のラストシーンである。
 いや、呉春描く舟の動力源はもちろん人力であって、そんな音などしないのだけれども……なぜか、わたしのなかでは、重なるものがあった。
 あすこのシーンにも港があって、モノクロームで、やっぱり「余情」にあふれているのだ。

 ——《泊船図襖》は、本展のトリを飾る作品であった。つまり、余情たっぷりで本展は閉幕。余情があまりに後を引いたゆえ、後期展示にやってくるモチベーションも高まったのである。
 《泊船図襖》は通期展示だからよかったものの、《芋畑図襖》は前期で京博に帰ってしまった。「京博のコレクション展に出るようなことがあれば、きっと馳せ参じよう」と決意を固める、吉宗であった。


[10月27日撮影]大和文華館の庭。色づきは例外的で、全体的に紅葉はまだまだ
[11月24日撮影]色づきは……1か月経ってもまだまだだった


 ※呉春《蔬菜図巻》が縮小レプリカに! 原品は全長8メートルあまりもあるので、こちらも相当長いだろう。



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