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一夜を越せば 清方が愛した江戸、東京。人、暮らし。/鏑木清方記念美術館

 鏑木清方記念美術館の展示に、清方の修業時代の画帳が出ていた。片手にのるほどの袖珍の帳面で、開かれたページには歌舞伎役者の顔がさささっと鉛筆で描き留められていた。このスケッチに合う記述が、自叙伝『こしかたの記』にある。

 感激と興奮の渦巻くうちにと、歌舞伎座から私の家まで、急げば十分そこそこの道ではあり、動きは眼の底に、口跡は耳朶にとまったままで、机の前に坐ることが出来た。芝居スケッチを版下にする時はいつもこうして筆を執った。一度眠って一夜を越せば、印象はうすれ去って、ふたたび覓(もと)むるすべもない。(「挿絵画家となりて」『こしかたの記』)

 そうなのだ。「感激」も「興奮」も「印象」も、ひと晩眠れば、打ち寄せる波が砂浜を洗うようにするりと流され、「事実」だけが後に残る。事実を並べたてた文は、法律や辞書、ビジネス文書だけでいい。情動や情感や情緒をこめて絵なり文なりを残そうとするならば、早くに取りかかるに如くはない……
 実感としてわかっていたはずなのに、近頃はこれができかねていたから、この一節に出合ったときは不意を突かれた思いがした。
 取り急ぎ出典だけメモをし、自宅で原典に当たってテキストデータに起こした。
 そういえば、「感激と興奮の渦巻くうちに」描かれたあのスケッチは、「生(き)」という言葉が似つかわしいものだった。あの筆線を思い返しながら引用箇所を音読していると、「思うがままにかけばよいではないか」と語りかけられているように錯覚してしまうのだ。まこと、都合のよい話ではあるのだが。


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