生誕100年 白髪一雄展 「行為にこそ総てをかけて」:2/尼崎市総合文化センター
(承前)
具体美術協会への参加を機に、白髪一雄の作品は巨大化し、それに応じてロープにぶら下がって滑走して描く「フット・ペインティング」が確立された。構図や色彩感覚といったものを捨て去った無心の絵画が、ここに生まれた。
いずれも縦180✕幅270センチに及ぶ「水滸伝」シリーズなど大作・代表作に取り囲まれる一室は、本展のハイライトといえよう。豪傑の名を冠するにふさわしい衝動と爆発、暴力的とまでいえそうな強大な力の放散が、観る者をとらえる。
本展会場の可動壁や天井は、けっして高さのあるつくりにはなっていない。
というか、たいていの会場では、作品の大きさに準じて、白髪作品どうしの距離はそれなりに広くとられているイメージがあったのだが、本展ではかなり密に、矢継ぎ早に作品が配置されていた。
それゆえに「取り囲まれる」感覚は否が上にも強く、四方からかかる圧の強さに、くらくらしてしまうほどだった。
白髪一雄の作風は、初期作品を除けばおおむね3期に分類される。
具体美術協会に参加したての「フット・ペインティング」真っ盛り、最も脂の乗った時期(1960年代前半まで)。
それに続くのが、素足に代わって「スキージ」と呼ばれる長いヘラを用いて描いた時期(1960年代後半~70年代)。扇だとか、雨水を拭く車のワイパーにも似た要領で、面的であり、ある種の秩序をもち、かつ大胆さを失わない新たな表現が獲得されている。
仏教への関心が高じて高野山で修行を積み、精神世界の深化を制作に反映させた頃でもあり、密教の尊像や経典に由来する言葉をタイトルにつけた作が多い。《密呪》(1975年 尼崎市)もそのひとつ。
スキージを回した軌跡が、中央に円となって現れている。
この種の作を観るとき、円は曼荼羅を構成する一部のようにもみえるし、あるいは法輪が勢いよく回転するさまなども想像してしまう。「水滸伝」の頃の暴虐性は鳴りを潜め、静的な感じを受ける。
※今回、初めて拝見しためずらしい作品がこちら、不動明王はじめ五大明王を墨で描いた小品。なんともゆるゆるで、仙厓さんや民衆仏の味わいである。こんな「かわいい系」の作品もあるのかい……
1980年代以降、白髪はふたたび「フット・ペインティング」に取り組む。
「水滸伝」の頃にこれでもかとみられた、断面が数センチはありそうなほどの絵の具モリモリぶりはもうなく、墨の表現や前衛書を思わせる玄妙な作風。
技法としては「回帰」ということになるけれど、わたしはこの種の作に、枯淡と洗練の並立を感じる。達人の技とも言い換えられよう。
——白髪一雄のバックボーンをなした故郷・尼崎とのつながりからスタートし、時系列に沿って作家の全貌に触れていく本展に続いて、会場に隣接する白髪一雄記念室でも「これぞ白髪一雄 躍動の痕跡」という企画を拝見。
白髪の年賀状の原画、ファッションブランドとのコラボや、尼崎市民から集めたエピソード集「白髪さんと私」などを楽しんだ。
関連企画は、まだある。下の階にあるギャラリーアルカイックでは、現代美術家による白髪へのオマージュ作品を展示する「白髪一雄の好奇心 林 葵衣+」を拝見。
林さんはなんでも、「白髪一雄現代美術賞」の第1回受賞者とのこと。
今回は、白髪が残した「作品計画帳」のなかからプランを選び、イメージを膨らませた新作を展示。白髪一雄が甦ったようで、おもしろい取り組みである。
以上を拝見して、尼崎市総合文化センターを後にした。
尼崎の “白髪愛” には、恐れ入ったものである。
次の大規模な白髪展がいつになるか、わからないけれど、必ずやってくるであろう「またの日」を、楽しみに待っている。
※展覧会は閉幕してしまったが、渾身の図録は現在も書店で販売中。資料充実で、決定版といえる内容。
※《群青》のパスケースがグッズ販売されており、購入を迷った……パスケース、きょうび使わないからなぁ。
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