中国陶磁の色彩 2000年のいろどり /永青文庫
東洋古陶磁は、主に2つのカテゴリーに分けられる。「鑑賞陶磁」と「茶陶」である。要は茶の湯に使えるか、使えないか。
もちろん、双方にまたがる例や、煎茶器のようにどちらでもない作も少なからずあるけれど、おおまかにいってこの2つだ。
細川侯爵家の伝来品から、中国古陶磁をピックアップする本展。
そのリストは、大名家の御道具としての「茶陶」と、近代になってから買い足された「鑑賞陶磁」からなっている。とりわけ、後者が多くのウェイトを占めていた。
唐三彩と清朝磁器に、名品が目白押し。張りのよいボディに繊細優美な宝相華文が施された磁州窯《白釉黒花牡丹文瓶》(北宋時代・11~12世紀 重文)も、著名な作である。
これら「鑑賞陶磁」に属するもの、なかでも総じて華やかな作が、「お殿さま」のお好みであったらしい。
ここでいう「お殿さま」とは、細川家16代目の護立(1883~1970)。孫は、永青文庫の現・理事長にして元首相・護熙氏である。護立は、日本における鑑賞陶磁コレクターの先駆けのひとりであった。
生きた時代が、護立の中国陶磁蒐集を後押しした。中国国内で唐三彩や磁州窯のやきものが大量に発掘され、清朝の瓦解により王侯貴族が秘蔵していた宋磁や明清磁器が国外に流出。イギリスはじめ欧米のコレクターたちが競って中国陶磁の名品を買い漁り、市場が形成されていた。
大正15年(1926)、護立はおよそ1年半にわたってヨーロッパを周遊。藍の発色が美しい《三彩獅子》(唐時代・8世紀 重美)や《三彩花弁文盤》(下図。唐時代・7~8世紀 重文)といった唐三彩の逸品を日本にもたらした。帰国後、護立の蒐集品を軸に、豪華本『唐三彩図譜』(岩波書店 1928年)が出版されている。
本展にも『唐三彩図譜』の所載品が多数出ていたが、その表紙や本展のリーフレット表面を飾ったのが《三彩宝相華文三足盤》(唐時代・7~8世紀 重文)。
蝋抜きによって表された細かい斑文、緑釉・褐釉の発色も完璧、直径37.3センチと大ぶりで、3つ脚も完存。世界的な唐三彩の逸品である。
本展では、《灰陶加彩馬》(北朝時代・6世紀 重美)をはじめとする古代の「灰色の土器」を皮切りに、次いで唐三彩の「多色のやきものⅠ」が展開され、以下「白と黒のやきもの」、「青のやきものⅠ」(青磁など)、「青のやきものII」(青花=染付)、「多色のやきものⅡ」(五彩=色絵など)……といったように、やきものの「色」に着目し、時代順にも配慮しながら、館蔵の中国陶磁がまんべんなく並べられていた。
中国陶磁の長い歴史の全貌を通覧できる……とまでは、なかなかいかないけれど、個人コレクションらしい時代や種類、作品傾向の偏りをみせながら、文字どおりに “多彩” な見どころがある展示となっていた。
2階の小部屋・第3室では、エピローグとして「近代における中国陶磁」が。
ここでは中国陶磁に影響を受けて制作された河井寬次郎らの近代陶芸が中心だが、最も興味深かったのは《加彩女子》(唐時代・7~8世紀 重美)と、それをモデルに油彩で描かれた梅原龍三郎《唐美人図》(1950年)であった。
梅原は、壺中居に預けてあった《加彩女子》をどうしても絵のモデルにしたく、所蔵者の護立に懇願。一時的に手許に置かせてもらって、この絵を仕上げたのだという(画像は上図参照)。梅原の熱望ぶりが伝わる依頼状も、一緒に展示されていた。
中国陶磁の2000年、そして、鑑賞陶磁華やかなりし頃の近代日本を思いながら、帰りの坂道を下るのであった。
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