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行為と詩情―ACTION & POETRY:1 /新潟県立近代美術館

 新潟へ、白髪一雄(1924~2008)を観に行ってきた。

 白髪の代名詞といえば「フット・ペインティング」。天井から吊るしたロープにつかまりながら、足を使って描きあげる、アクション・ペインティングの一種である。

アトリエにて(1950年代後半~60年代前半)
白髪一雄《天傷星行者》部分

 世界的にたいへん評価が高く、近年もしばしばマーケットをにぎわせている白髪だが、東日本でその作品を目にする機会は多いとはいえない。具体美術協会の他の作家と同様、地元の関西を拠点に活動したため、作品を収蔵する美術館も大阪や兵庫に集中している。
 そのため、このたび新潟でまとまった数の白髪作品が観られるという情報をキャッチして、居ても立っても居られなくなったのだ。

白髪一雄《天傷星行者》(1960年  尼崎市)
白髪一雄《天富星撲天雕》(1963年  尼崎市)

 新潟県立近代美術館は、県庁所在地の新潟市ではなく、長岡市にある。
 この町にはかつて「長岡現代美術館」という、日本の現代美術館の草分けが存在していた。
 同館の解散後、そのコレクションの半分を買い受けてできたのが、新潟県としては初の美術館である近代美術館。
 なかには白髪一雄の作品も複数含まれており、近年寄贈を受けた他の白髪作品とともに、本展に出品されていたのだった。

白髪一雄《志賀#107》(1973年  新潟県立近代美術館)

  ただし、あくまで本展の主軸をなすのは、白髪が生まれ育ち、長年制作をおこなっていた兵庫県尼崎市の所蔵品。尼崎駅前の公共文化施設の一角に設けられた「白髪一雄記念室」で常時、少しずつ公開されている作品群だ。
 かつてわたしも尼崎の記念室へうかがったものだが、「室」と名乗るだけあって、床面積はたいへん小さい。小品しか望めないほどの広さである。
 白髪は小品にも魅力的なものがたくさんあるけれど、やはり本領は、なんの気兼ねもなく、縦横無尽な滑走をみせた大画面の作にこそある。
 尼崎を出て、長岡の広い展示室でゆったりと展示された白髪の大作は、まさに水を得た魚のようであった。

 抽象絵画には難解な評がつきもので、本展のタイトルも「行為と詩情」という、なかなかにとっつきにくいものではある。
 だが作品の前に立てば、どんな言葉も忘れて、ただただ呆然とその滑走の跡を追っている自分に気づく。画面上のどこに焦点を定めても、まったく一様ではない表情をみせていくから、いつまでだって観ていられる。わたしはこの、白髪と対峙している時間が、とてもすきなのだ。

  「精神が自由であることを具体的に提示」することが、具体美術協会が是とする制作姿勢であった。
 白髪の作品を観ていると、この言葉が、ほんとうによくうなづける。

白髪一雄《大威徳尊》(1973年  尼崎市)。仏教への関心を深めた白髪は、比叡山で修行し得度。みほとけを主題とした作品を多く残している。色遣いがもう大威徳明王で、なるほどと思わせる
白髪一雄《酔獅子》(1999年  個人蔵)。写真ではわかりづらいが、巨大な作品。高さ260センチもある
《酔獅子》……絶妙なネーミング


 ——結局、白髪の油彩17点に要した時間は、1時間に及んだ。
 これだけでもう、新潟までやってきた元はとれてしまった感があるけれど、本展は白髪の章を終えたあとも、まだまだ続く。(つづく

「水滸伝」シリーズの《天傷星行者》《天富星撲天雕》


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