秋が深まってきました。秋の夜長に、映画鑑賞を楽しんでいる方もおられるでしょう。今回は私、ぶらっくまが、映画にまつわる話題をお届けします。
去る9月の出来事になりますが、イタリアで開かれた世界三大映画祭の一つ、第80回ベネチア国際映画祭で、濱口竜介監督の作品「悪は存在しない」(日本では2024年に公開予定)が最高賞の金獅子賞に次ぐ銀獅子賞(審査員大賞)に選ばれました。
濱口監督は既にカンヌとベルリンの両国際映画祭、米アカデミー賞でも賞を射止めています。世界三大映画祭(カンヌ、ベルリン、ベネチア)のコンペティション部門とアカデミー賞の全てで賞を獲得するのは、日本人では故・黒沢明監督以来の快挙となりました。
濱口監督は1978年、川崎市生まれ。〝世界のハマグチ〟となるより前の2013年から約3年間は、神戸に住んでいたんです。
(2013年6月掲載)神戸在住の濱口竜介監督 重視するのは「言葉」
上の記事では、「ドライブ・マイ・カー」などの近作に通じる、言葉への強いこだわりが語られています。
また記事中で触れられている、東北を舞台にした記録映画については、別のインタビュー記事があります。
(2013年11月掲載)映画監督 濱口竜介さん/被災者の声を後世に
東北での映画製作で「対話」や「語る」「聞く」という行為と深く向き合い、「地方で映画を作ることの面白さに気付いた」という濱口監督。
その後、最初の記事の末尾に出てくる、神戸での「即興演技ワークショップ」とそこから生まれた一つの作品が、濱口監督のキャリアにとって一つのエポックとなります。
(2015年12月掲載)「ハッピーアワー」濱口竜介監督/本番前の「本読み」を重視/女性たちの苦悩、静かに描写
記事には「重視したのは本番前の『本読み』。役者たちは、脚本をニュアンスなしの『棒読み』でひたすら反復し、せりふを記憶」「カメラを回すときは演技に感情を込めてもらうが、その瞬間、その場で『本当に感じたことだけ』を表現してもらった」とあります。
この本読みは、フランスのジャン・ルノワール監督のドキュメンタリー映画に出てくる演技指導法に由来するそうです。濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」の中で、劇中劇「ワーニャ伯父さん」に出演する多国籍の俳優たちの稽古方法としても描かれています。
(2016年1月掲載)メード・イン・神戸 世界で喝采/監督も主演も市民「ハッピーアワー」
こうして生まれた濱口監督と神戸の縁。「ドライブ・マイ・カー」が米アカデミー賞で作品賞など4部門にノミネートされたのにとどまらず、日本映画で13年ぶりの国際長編映画賞に輝いた際は、神戸の関係者も喜びに沸きました。
(2022年3月掲載)濱口監督 米アカデミー賞/「ハッピーアワー」撮影地 支援者ら喜び
実は、濱口監督と神戸の縁は、これにとどまりません。濱口監督が東京芸大大学院で師事していたのが、映画監督の黒沢清氏。黒沢監督は神戸出身で、神戸を舞台にした映画「スパイの妻」(濱口監督も脚本に参加)で2020年、ベネチア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)を受賞しました。
この2人の貴重な「師弟インタビュー」の記事2本を、最後にお届けします。
(2021年12月掲載)「映画と神戸 未来への視線」㊤
(2022年1月掲載)「映画と神戸 未来への視線」㊦
「スパイの妻」の撮影に使われ、黒沢監督が「出合ったのは奇跡的」「こんな建物は日本中探しても他にないと思う」と語った旧グッゲンハイム邸については、この「うっとこ兵庫」の記事「迷い込む愉楽 魅惑の『路地』」でも少し触れています。
このインタビューは2021年末に行われたので、お二人のやりとりからは、映画業界が苦境にあえいでいたコロナ禍の空気も色濃く感じられます。
一方で黒沢監督が、今や若き名匠となった濱口監督の成功を喜びつつ、「濱口は-」と呼び捨てにしているのが、いくつになっても変わらぬ「先生と生徒」の関係を表しているようで何だか心が温まります。
〈ぶらっくま〉
1999年入社、神戸出身。
上記のインタビュー記事にもありましたが、濱口監督の「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹さんの短編小説を原作としています(映画と同名の短編を含め、計3編の小説の要素を取り入れたとされています)。ただ映画と小説の両方をご覧になった方は分かるように、村上作品のエッセンスを生かしつつ、全く独自の映画に仕立てられています。映画では赤のサーブ(という車)が印象的で、あまり車に興味のない私も「かっこいいなあ」と思いましたが、これも原作では設定が少し違いました。原作と脚本の差異に着目するのも楽しいですね。