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美大のゼミと大学院

前回は美大ではどのような学びをするのかということについて、簡単にですがお話をしました。今回はより専門的にに学ぶための場として、四年生で配属をされるゼミと、その延長としての大学院についてお話しをします。

ゼミ -4年生-
前回も簡単に触れましたが、卒業論文や卒業制作といったいわゆる専門的な「卒業研究」を進めていくために、その分野のプロから直接指導をうけるクラスのようなものをゼミといいます。学生は3年間で勉強してきたことの中から、研究のテーマをぼんやりとイメージし、その研究に最も近いことを専門としている教員=研究室を希望します。
中には学生に人気の研究室もあります。この場合、人数が多すぎては指導ができないことから定員が設けられている大学がほとんどで、配属されるかどうかはそれまでの成績が関係したりします。
つまり、成績がかんばしくないと希望する研究室に行けなくなるということになります。

ゼミの様子については、私の経験では、ひとりの教員を10名程度の学生たちが囲み、学生それぞれが各自の研究の進捗を伝え、問題を確認しながらディスカッションを進めていくといった具合です。
グループミーティングみたいな雰囲気ですね。
メンバーは四年生だけでなく、大学院生も含まれていたりします。
私も卒業研究のためにゼミに配属されていましたが、大学院の先輩たちも毎回のように参加していました。
このゼミの運営は、教員それぞれに一任されており、毎週ゼミが開催される研究室もあれば、隔週で開催されるゼミ、不定期開催のゼミなどもあります。
指導の内容や時間も教員によって様々です。ありがたいことに、私が所属した研究室の先生はたいへん厳しくも熱心で、毎週のように成果をもっていかなければなりませんでしたが、だからこそ今があるのは間違いありません。

大学院① -修士(博士前期)課程-
大学四年生を無事に終えて進学となると、その次は大学院に進みます。大学院は、さらに勉強して研究を深めていく教育機関で、履修しなくてはならない授業は少なくなります。大学生が4年間でだいたい130程度の単位取得が課せられていることに比べ、大学院の修士課程では2年間で30単位程度と、必須となる授業は半減します。
その分各自が取り組んでいる研究や制作に時間をさき、独自性の高い成果をだしてね、ということです。
美術系の場合、制作を研究論文に替えることができるのが一般的です。

四年生では一年をかけて取り組んできた論文または制作を、修士ではじっくりと2年間をかけて検討していくというイメージです。
なお、細かい話ですが、大学院に進学した学生のことを院生と呼ぶのが一般的です。

大学院は、建物でいうと二階建てになっています。一階は「修士課程」とか、近年では「博士前期課程」と呼ばれるものです。修士は最短2年で終えることができます。最終審査をパスすると「修士号=マスター」という称号を得ることになります。
建物の一階をクリアしたら、二階へはいかずにそのまま外へ出ていくこともできます。就職か、進学か、ということです。
この時点で、ほとんどの院生が就職をしていくというのが私の経験上の印象です。
修士は、学士(大卒)に比べて適度に年齢も上ですし、目標をもって勉強をしてきたという主体性が強い場合が多く、知識も豊富です。

社会からしたら即戦力になり得るちょうどいい人材ですから、業界にもよるでしょうが、デザイン職を希望する場合には大変有利に働きます。

私の事務所にも、修士の院生がポートフォリオを携えて訪ねてくることがありますが、受け答えもしっかりとしていてポートフォリオの内容も密度が高く充実しています。これならすぐに戦力になりそうだな、とこちらは感じるわけです。

大学院② -博士(博士後期)課程-
さて、院生の中でもごく少数、割合としてはひと学年に院生が10人いるとして、さらに進学をするのはそのうち1人いるかいないかくらいでしょうか。
大学院という建物の二階に上がっていこうとする院生がいます。この方たちは、修士号の次にある最終段階の「博士号=ドクター」の称号取得に挑む院生です。

私は修士号を取得した後、博士後期課程に進学した少数派です。指導教員に進学の相談をすると「正直、おすすめできない」と言われました。それにはいくつかの理由があります。

まずは、取得するまでに相応の年数を要することです。
先ほど「挑む」と表現しましたが、誤解を恐れずにいえば、修士はまじめさと熱意、そして大学の4年間で一定の素養をきちんと身につけていれば2年間で取得できます。大学の方針にもよりますが、少なくとも私の周囲はもれなく全員が取得しました。しかし博士号となるとそこが違う。要は段違いに難しいのです。

私が所属した大学院の場合では、博士後期課程は最短で3年間です。修士で2年、博士で3年。最短コースで大学院だけで5年かかります。それに大学4年間があるので、大学入学からトータル9年かかります。
22歳から社会人になるのにくらべると、修士は24歳、博士は27歳です。
その上、頑張ったところで取得できないケースが多々あることからも想像がつくように、最短の3年間で取得するのはよほど計画的でないと難しい。
ちなみに私は博士後期だけで5年間かかりましたので、結果として大学院は7年間、大学入学からは通算11年間も在籍していました。浪人もしていたので博士号取得は32歳です。

最悪の場合、30歳前後になって諦め、生きていくためにそこから就職活動をしなくてはなりません。あの時間は一体なんだったのか、と考えるとちょっとゾッとします。

次に、仮に頑張って取得できたとしても、就職先が限られてしまうことです。
博士号を取得するということはすなわち、研究者としてスタートするということになるため、その就職先も研究職ということになります。
そうすると、もはや大学と研究所くらいしか選択肢がありません。もちろん民間企業の総合職やデザイン職に就いてはいけないといったルールはありませんが、それでは本末転倒です。それなら修士の時点で就職をしたほうが、本人としても企業としても良いわけです。

専門の分野が設立されている大学や研究機関で、ちょうどポストに空きができて、というタイミングでないと就職のエントリーのしようもない。たまたまエントリー先があったとしても、採用は1人ですから博士同士の熾烈な競争になります。
ポスドク(ポストドクター)といって、博士号を取得したもののその後の行き先がないという話はざらにありますし、もはや社会問題にすらなっています。

それでもやる?というのが師匠の言です。

なぜ難しいかというと、
①まだ誰も発見していない斬新な内容を、
②極めて実証的なプロセスと検証を経て、
③複数の付随するテーマで研究論文を書き、
④それぞれの論文が学会などの専門家に厳しい目で審査され、
⑤まるで公開処刑のようなプレゼン審査会で心を打ち砕かれ、
⑥ようやくその研究の意義が学術的に評価され、

ないといけません。
膨大な読書量も必要です。論文の要旨は英語で書かないといけませんでしたし、私の場合英語の論文も当然のように読まなければなりませんでした。海外派遣研究員として渡欧し現地で調査もしました。最後にまとめた論文本編はだいたいA4用紙縦使い、11ポイントの文字サイズで資料編も含めて500ページくらいでしょうか。

さて、それだけのことを指導教員と二人三脚で構築していきますから、ゼミには毎週きちんと出席していました。ところがゼミは四年生と修士が中心で、師匠に指導してもらえるのは半年に一度くらいです。自分で考え、進めなくてはなりません。
それもそのはず、この先研究職に就くわけですから、人に言われてやるようでは話になりません。

友人達は結婚ブームを迎え、親兄弟の援助もなく塾講師のアルバイトで食いつなぐ私はまさにご祝儀貧乏の極み。どうやって暮らしていけていたのか、今考えると不思議です。
師匠が「おすすめしない」といっていた意味をその時初めて実感する、孤独と疎外感に苛まれる日々でした。
しかしそれだけに得られたものは計り知れません。

今もこうして大学で働きながら好きなことをして生きていけるのは当時があってこそです。

以上が美大のゼミと大学院です。
基本的にはグループディスカッションのような形式でひとりの先生に教えを乞い、学校や自宅でコツコツと積み上げていきます。

•四年生は短い時間の中でどれだけの説得力を持ち得るアウトプットになるか

•修士は切磋琢磨しながら要領よく質の高いアウトプットの積み重ねができるか

•博士は孤独と不安と戦いながら、膨大な情報を粘り強く精査し新たな発見ができるか

ご異論はあるかもしれませんが、これが全て経験してきた私の実感です。それぞれどのようなものか、もしイメージができたなら経験してきた甲斐があったというもの。私は嬉しく思います。

さああなたなら、どのコース?

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