私はもうかれこれ10年以上、美術•芸術系の大学で先生(専門は建築とデザイン理論)をしているわけですが、いつも実にもったいないと思うのは「デザインには理論がある」というのをほぼこうした専門教育の場でしか皆さんに伝える機会がないということ。 世の中はデザインで溢れているし、反対にデザインを享受していない人は少なくとも我が国には皆無といっていいでしょう。もっと多くの世代にデザインとは何なのかを、センスで語られてしまうことが多々あるデザインということについて、その本質を正しく理解す
大学での建築の設計やデザインの演習などは、成果物として図面やCG、模型写真などをまとめたプレゼンテーションシートを提出してもらいます。たとえばA1サイズで3枚とか、A3サイズで6枚とか、図面の縮尺や必要な情報を最低限盛り込むとそれくらいの紙面が必要とのことから、提出のボリュームを課題に応じて教員側で決めます。提出時には100作品ほど目を通すのですが、その提出期限の多くは23:59〆切ということが多い。そうなるとこちらは、データで提出された内容を日付けが変わった真夜中からひとつ
デザイナーを巡る根深い問題 格差社会というと、なんだかあまり良くないイメージを持ってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。著しい貧富の差などを示し、社会問題にもなっている言葉のひとつです。 この言葉の核心は、あるところには溢れんばかりにあるし、ないところにはとことんない、ということかと思います。 さて、私は先日、20年来の大学時代の友人から久しぶりに連絡をもらい、チラシのデザインの相談を受けました。同じ大学の友人ですが、アルバイト先で知り合ったことから所属学部は私とは
オランダで興った、ヨーロッパを席巻する近代芸術ムーブメントであった「デ・ステイル」と時期をほぼ同じくするも、リートフェルトはそれとは異なるチャンネルで家具の実験をスタートさせたという仮説。それが正しければ、一体彼は何を目的としてそうした実験をしていたのかを明らかにしようとする試みをスタートさせるまでのお話が、前回の超私的デザイン論でした。 今回はその続きです。 感覚に寄り添ってみる 実は私は、まだデザインを学び始める前の10代の終わりの頃、都内のデパートでリートフェルトのレ
第三回では、デザインとその再現性についてのお話をしてきました。今回はオランダの家具職人でデザイナー、そして建築家とも呼ばれるヘリット・トーマス・リートフェルト(Gerrit Thomas Rietvelt, 1888-1964)について、数回にわたり話を進めていこうと思います。 前衛芸術運動「デ・ステイル」 今から100年ほど昔になりますが、ロシアも含むヨーロッパ各地で新しい芸術を目指す運動が興っていました。イタリア未来派、ドイツ工作連盟、ゼセッション、ロシア構成主義など、
今回、デザイン論の第3回はデザインは理論で説明ができること、つまり、理論的に優れたデザインは読み解くだけの深さがあり、その背後には再現性が見えがくれしているというお話です。 ブロックと再現性 就学前の息子が自宅でよくブロック遊びをしていて、車やら家やら、そうしたものをつくっては私に見せにきます。ブロック遊びですから、組み立てたものを壊してまた別のものをつくるということが前提のもの。とはいえやはり本人なりによくできたと思っているものは壊したくないし、ましてや他者に壊されるのは
前回はリノベーションを皮切りに、新たな価値観の創出とそのために視点を自由に切り替える意識と頭の使い方について論じました。さて、超私的デザイン論の第2回は「図と地の関係」という、デザインを学ぶ者に対して私が必ず伝えるお話をからスタートしていきます。 図と地の関係 建築をデザインするときでも、グラフィックを考えるときでも、私は常にこの「図と地の関係」を考えます。目線を切り替える=ものを見る意識の持ち方を切り替えるといって差し支えないでしょう。 分かりやすい例でいうと、1915年
これまで15回におよび、超私的デザイン概論として、私の経験をもとにデザインのアウトラインについてお話をしてきました。ここからは少し解像度を上げて、テーマを絞ったお話をしていこうと思います。 内容としては大学2年生くらいに向けたデザイン論というイメージですが、なるべく分かりやすいお話になるように心がけていきます。 本題に入る前にひとつおことわりをしておきます。少なくとも私が勤務してきた(している)美大のデザイン系・建築系の学科では、義務教育で使うような共通した教科書はなく、教
この超私的デザイン概論も今回で15回目となります。概論としてはいったんここまでとしますので、今回がひとつの区切りとなります。 さてここでは、デザイナーとしての私の(不思議な)ライフスタイルのお話となります。デザインを長年学んできたことで、自ずとそのライフスタイルも試行錯誤を繰り返しながら独自の性の高いものになっているのではないでしょうか。もちろん私はデザイナーですので仕事の内容はデザインの実務とデザイン教育が中心にはなりますが、仕事内容がデザインだからできるというライフスタイ
今回は「デザインとは?」というお話しをスタートしてから14回目になります。大学の授業回数にならい、15回でこの超私的デザイン概論もいったん終わりにする予定です。残すところ今回とあと一回となります。その後は、今のところですが、概論ではなくより具体的な〇〇論とした少し専門的な内容をお話ししていきたいと考えています。 取り組みやすいが難しい さて今回は、椅子のデザインについてお話しをします。現代に生きる皆さんのほとんどは、椅子のある生活をされていると思います。自宅には食事をするた
デザインについてこれまでお話をしてきて、今回で第13回となります。これまでデザインについての概説ということで進めてきましたが、イメージとしては、子どもさんから大人まで、わりと初めてデザインに触れる方たちへ向けて講義をさせて頂くつもりで筆を進めています。もちろんすでに勉強をされてい方もご覧になって頂き、何か参考になるところがあれば良いと思っています。 「使う目線」と「つくる目線」 私のデザインレッスンの課題のひのつに、置き時計のデザインがあります。なんてことはない、安価な既製
このタイトルの副題は、私が所有しているある書籍にインスパイアされて利用させて頂きました。後ほどその書籍のご紹介とあわせて典拠を明記致します。 前回は、デザイン教育におけるスタディとは?そしてそれにまつわるちょっとこわい話となってしまいました。発想力がないと、この先淘汰されてしまうのでは、といった内容です。 それを受けて今回は、では発想力はどのようにして鍛えるのかを絵本のようにポップな書籍を紹介しながら進めていきたいと思います。この記事も前回とは異なり明るくほっこりとした内容
スタディという英語をご存知の方はたくさんいらっしゃると思います。私などの世代では、中学生の頃に基本の英単語として「勉強する」と習いました。 このスタディという単語、じつはデザイン教育においては少し違ったニュアンスで多用します。 前回は、私が取り組んでいる全世代に向けたデザインスクール「デザインレッスン」についてお話しをしました。その中で、「デザインのプロセスを経て」ということを述べたと思います。デザインのプロセスとは?その一端を今回は「スタディ」をテーマにお話しをしようと思
これまで、デザインとは?という話、そして主に美術大学と大学院などでどのようなことが行われているのかという、私自身の学びと経験に基づく「今の実際」について話をしてきました。 その中で、デザインはより多くの方に開かれることに越したことはないという内容と、反対に、やはり現実としては大学•大学院という狭いコミュニティの中だけででデザイン教育がなされていることについて述べてきました。 お気づきのように、開かれるべきものが狭い世界に特化されてしまっていること。このことの矛盾を暗にお伝えし
前回は美大ではどのような学びをするのかということについて、簡単にですがお話をしました。今回はより専門的にに学ぶための場として、四年生で配属をされるゼミと、その延長としての大学院についてお話しをします。 ゼミ -4年生- 前回も簡単に触れましたが、卒業論文や卒業制作といったいわゆる専門的な「卒業研究」を進めていくために、その分野のプロから直接指導をうけるクラスのようなものをゼミといいます。学生は3年間で勉強してきたことの中から、研究のテーマをぼんやりとイメージし、その研究に最
こんにちは、神戸のデザイン学博士、中村です。今回は、前回の記事「美大ってどんなところ?」で触れた美大のデザイン系実習での作品評価に関する話題です。 タイトルからして、多くの関係する方々からなんとも反感を買いそうな内容になるかも知れませんが、それはそれで今の私の所属する美術系建築学科では事実であることから、誤解をうまないよう丁寧にお話をすることを試みようと思います。 家のイメージ タイトルで示した〇〇に入るワードは、実は前回の記事の住宅デザインの課題の件のところで登場させたも