初めまして~自己紹介と私の人生の略歴~
こんにちは、初めまして!
現在心理セラピストになるため修行中の、小林やすのりと申します。
今日は初投稿ということで、私の人生の略歴を書きたいと思います。
【私の人生の略歴】
1985年、4人兄妹の長男として東京都に生まれる。
父親は自営業、母親は父親の会社を手伝いながらパートをしていて、父方の祖母を入れて7人家族だった。
子供の頃から対人恐怖があり、人の顔色を窺う日々だった。
人を信用できず、助けを求めることもできないので、孤独に耐えていた。
人から嫌われて見捨てられることに異常な恐怖心があり、人の一挙手一投足に左右され、常に恐怖と不安の毎日を送る。
その原因はもちろんわからず、自分が弱い性格で、バカで無能だからだと思っていた。
小動物のように怯える態度が支配的な人間を引き寄せ、学年一のワルや、支配的な人間から利用され、パシリとしての学校生活を送る。
そのことからさらに人が怖くなり、人が嫌いになる。
思春期に入ると、周りの子と同じように集団に溶け込めない自分、人と向き合うとなぜか頭が真っ白になり何もしゃべれなくなる自分の弱さ・無能さに関して思い悩むようになる。自己否定と無価値感の強化が始まる。
支配的な同級生からの搾取も続き、お金もとられていたが、反抗すると100倍ぐらいの力で潰されそうな感覚があり、あまりの恐怖でひたすら耐えていた。
学校には行きたくなかったが、不登校になったらなったで親から責められそうで怖かったので、ひたすら自分の感情を殺してロボットになった気分で学校に通っていた。
18歳、高校卒業間近の時には、人生早く終わらないかなと思い始める。自分はただの失敗作で、こんなバカで無能で弱い自分はさっさと死ぬべきだと強く思っていた。
惰性で臨んだ大学受験は当然やる気が全く出ず落ちまくったが、大学を出したいという親の執念により、知り合いの塾の先生にマンツーマンで教えてもらい、中堅大学の夜間学科に入学する。兄弟が多く親の経済状態が苦しいというので、学費は2年目から自分で全額払った。
大学では対人恐怖が強く常に一人だった。人を恐れている割には話しかけられるとすぐなびく癖があり、公安が監視対象としている極左暴力集団が主催するサークルに入部してしまい、抜けるのにかなり苦労する(殺害されなくてよかった)。ここでさらに対人恐怖が強化される。
22歳の時に、こんな自分ではダメだと一念発起し、ファミレスの正社員の仕事を始める。
人に囲まれる職業を選ぶことで、人への恐怖に対して荒療治をしようと試みたが、強い恐怖と不安を抑圧して自己否定で頑張っていたため、2年で精神が限界に達し、突然失踪。1か月ほど放浪し、友人の家を転々としたのちに退職する。自己否定と対人恐怖がさらに強化されるが、徹底的に抑圧する。
その後も、強い自己否定から来る反復強迫と自己破壊衝動により、仕事を転々としたり、衝動的に別荘を買って貯金を使い果たしたり、騙されたり、使いもしない情報商材を買ったり、ネットワークビジネスに手を出して3か月で100万以上を使って続かなかったり、無理やり独立して事業を始めたりと、訳の分からない行動をとる。全ては親や世間を認めさせたいという無意識の裏返しであった。こうした行動で、累計700万円ほどをドブに捨てた。
人間関係ももちろんうまくいかず、人と深い付き合いができず、自分を利用する人間に囲まれていた。そんな自分のことがとにかく嫌いで、何とかしたかったが何ともできず、その事実も抑圧する。27歳の時、初めて恋人ができたが、うまくいかずに半年で別れる。
仕事を失踪して辞めたり、自殺未遂をしたりすることも数回繰り返し、いよいよ自分の異常性を認めざるを得なくなり、精神科を受診。ASDと診断される。この時30歳であった。自分の生きづらさは生まれつきだったんだと思って少しホッとする。
ASDとして、もう人生高望みせず、低時給でも自分ができそうな仕事をしようと思い、35歳まで働く。しかし愛着の問題と自己否定を前提に抱えていたため、反復強迫や自己破壊衝動が止まらず、現実の自分とかけ離れた「素晴らしい自分」になろうとして高額のコーチングを受けたり、情報商材を買いあさる。
親や世間から認められたい、人からすごい人だと思われたいという無意識の欲求があり、自己否定で頑張るのだが、同時に強い対人恐怖や、人への依存・幼児退行の傾向があったため、非常に混乱が強く、最終的には全て失敗した。
累計300万円ほどを使い、150万円程度の借金が残る。「敗戦処理」に2年近くを費やす。この時35歳であった。どうせ何をしても失敗するのだから、もう何もしなくていいのかもしれないと思い始める。その時やっていた仕事も、人間関係で揉めて辞める。失業保険が1年出ていたので、働く気も起きず、実家で無職・半引きこもり状態になっていた。
36歳の時。自分の人生の師とも言えるような人々と出会う(スピ系・今思えばその人たちに親を投影していただけだった)。
その人たちのコミュニティに所属し、自分の人生を立て直そうとする。
そしてそのコミュニティのオーナーの女性と恋愛関係になる。
だが、その恋人と親しくなり、関係が近くなったとたん、依存と幼児退行が発動し、続いて自己破壊衝動が発動して発狂して自殺未遂する。そして、恋人とその両親に大きな迷惑をかけ、約束を破って逃亡してしまう。それが原因で恋人にはこっぴどく振られ、完全に縁を切られる。この時37歳。
この37歳の経験は、自分にとって非常に衝撃が大きかった。なぜ自分は子供の頃からこんなに人が怖く、異常な行動を繰り返しているのか。その原因を知り、克服したい、もう二度と、こんな人生は嫌だと本気で思った。
自分の問題を克服したい一心で、心理学を学び始め、「アダルトチルドレン」や「愛着障害」、「幼少期のトラウマ」、「対人恐怖」、「自己否定」、「複雑性PTSD」などの言葉を知る。自分はASDではなかったのかもしれない、愛着障害により、それと似た症状が出ていたのだと認識を改める。
自分の自己否定も、反復強迫も、対人恐怖も、トラウマも、依存をベースにした対人関係も、自分の幼少期の親子関係と、その時に行った「幼児決断」に起因していることを知る。さらに、自分の心の傷や闇が、思った以上に深く、病状はかなり深刻であることも知る。
そうした闇や傷を克服し、本当の意味で自分の人生・幸せを手に入れることを決意し、37歳の終わりに実家から出て一人暮らしを始め、カウンセリングやセラピーを十数回受けて、「自分の育て直し」を開始する。
その時に出会ったご縁のひとつが、心理の世界であり、リトリーブサイコセラピーだった。
自分の問題を理解し解決するため、リトリーブサイコセラピーの講座でお世話になっていて、心理セラピストになるため修行中。
このnoteでは、自分が研鑽の過程で考えたことや、気づいたことを書いていきたいと思います。
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