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vol4.異業種交流会デビューさせた1本のメルマガ
こんにちは、小林です。
国家公務員だった私。サザエさん症候群にかかり、理想と現実のギャップに苦しんだ結果、公務員を辞めることになります。
※前回のnoteはこちら
さて、私は現在朝活イベントを12年間主催していますが、いきなり主催者になったわけではありません。
異業種交流会という存在を知り、そこでの出会いが私を主催者にしてくれたのです。
そこで今回は、私が異業種交流会をどこで知ったのか。そのことについてお話しますね。
今から約14年前の2007年3月。当時の私は、派遣社員として働き始めました。
実は公務員を退職後、一度は就職をしたのですが、精神状態が完全な状態ではなく、そして想像以上にハードだった職場のため、試用期間の3ヶ月で退職。
その後は、完全に外へ一歩も出ない、本当の“引きこもり”の生活を始めました。
引きこもりを初めて3ヶ月。生活費が尽きそうなタイミングで「そろそろ仕事をしないとヤバイかも」と思い、職探しを始めました。
ただ、元公務員で、試用期間3ヶ月で辞めた自分を拾ってくれる会社はありませんでした。まあ、当然ですよね。
そこで私は正社員になることは諦めて、まずは派遣会社に登録することに。そして、登録後間もなく、派遣社員を募集している会社と出会い、Webデザイナーのアシスタントとして働き始めました。
派遣社員として働いていた私の、2007年当時の目標は正社員になること。それだけを目標に、ガムシャラに働く毎日。自宅と職場の行き来だけという生活を過ごしていました。
そんな中、出会いは突然でした。
知人の紹介で読み始めたメルマガ。ある日、そのメルマガに書かれていた言葉に、私は大きな衝撃を受けました。
そこに書かれていたことは・・・
「ドン底からでも人生は変えられる」
というものでした。
そのメルマガの著者は、当時六本木にあった会社の社長さん。
その社長さんは上場会社に入るものの、営業成績は3年連続ビリでクビ同然で退職。そんなドン底状態から、現在は社長になれたという人です。
このエピソードは、当時の自分にとっては衝撃でした。
というのも、社長というのは私にはまったく関係ないポジションでしたし、勝手に「社長とは特別な才能や能力を持った人しかなれない」と思いこんでいたからです。
なので、「3年連続ビリだった人が社長になれた」という話は、自分の常識を大きく覆し、世界が180度変わったような感覚を味わいました。
それからの私は、週2回送られてくるその社長さんのメルマガを楽しみにし、書かれている内容に大いに刺激を受けながら、毎日を過ごすようになりました。
そんなある日。その社長さんのメルマガで、異業種交流会募集のお知らせが届きました。
異業種交流会?それが私の第一印象でした。
正直、異業種交流会のことはよくわかりませんでした。ただ、異業種交流会に参加すれば、その社長さんと会うことができる。お会いして、直接話をしてみたい。その思いで、異業種交流会への参加を決めました。
交流会の前日まで、とてもワクワクしていたのをよく覚えています。そして、交流会当日は遅刻しないよう、開始時刻の1時間前には到着していました。
ただ、会場の近くに着いたら、不安な気持ちが押し寄せてきたのです。「自分ここに参加する資格があるのかな」と。
なので、会場近くへ行っては駅まで引き返し、駅の近くに戻っては、また勇気を振り絞って会場に向かう。そんなやりとりを何往復もするなど、とにかく緊張の連続でした。
そして、私は勇気を振り絞り、会場の受付へと向かったのです。
これが、私の異業種交流会デビューの話でした。
今、ここまでを書いていて思いだしたのは、異業種交流会の参加って、とても緊張するんですよね。
知らない人の中に入り込むわけだから、それは不安だし、緊張しますよね。
だからこそ、主催者は初めての人をどうやって迎え入れるのか。それが大事だとあらためて感じました。
ちなみに、私の朝活イベントですが、私は初めて参加する人には私の近くに座ってもらい、私の方から積極的に声をかけるようにしています。
ご参考になれば幸いです。
さて、その異業種交流会ではどのような出来事があったのか。そして、会いたいと思っていた社長さんには会うことができたのか。
それを次回のnoteでお伝えいたしますね。
結論からお伝えすると、私の中での世界が一変する交流会でした。
今日もお読みいただきありがとうございました。
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