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庭木剪定から得た「死の間際」の感情

人生も老境に入り加藤茶の影響を受けて終活まっしぐらな私ですが、この前久しぶりに下手したら生死に関わったかもしれない出来事に見舞われました。

事の発端は父が不在の実家で母に庭木の剪定を頼まれたこと。

対象となる木は伸び放題になっており、1番高い枝木は2階のベランダに迫る勢いでした。

もちろん今まで人生でやったことはありません。

母もそこまで本格的なクオリティを望んでいたわけではなく、2階のベランダに届きそうな長い枝だけカットしてくれればいい程度の話でした。

遠隔操作型の長い枝切り鋏が故障しており、手元だけ切れる近距離パワー型の枝切り鋏しかありませんでした。

脚立に乗っても上手く届かず、そのまま幅が靴の縦一足分しかないブロック塀に移りバツバツ切っていきました。ブロック塀は外から家の中が見えないようブラインドの役目をしているだけあり、大体地上から私の身長よりちょっと高いくらい。

なんとか伸びていた枝木を落とし脚立に戻ろうと片足を掛けると、脚立が傾き足を滑らしてしまうことに。足場にしていたブログ塀に背中を打ちつけてUの字になり、そのまま地面に落下して悶絶しました。


人間危機的状況になるとスローモーションになると言いますが、ゆっくりとまでは行かずとも頭の回転は早かったですね。


Uの字は普段の生活で滅多に起こり得ない体勢なので、他者から見たらまるで漫画のような光景に見えたかもしれません。


恐らく学生時代が終わってからブリッジなんて1度も試していないので、もしかしたら良い柔軟になったのかもしれませんね。



呼吸が出来ずにその場に蹲り、その間に手足を動かし特に麻痺している部分がないか確認しました。とりあえず両手両足健在で一安心。

その間母が色々話し掛けてきましたが、横隔膜がせりあがり呼吸が出来ない状態です。発声も困難で「ちょっと待って」と絞り出すのが精一杯でした。

暫くして呼吸が出来るようになり、母に促されるように壁に手をついて立ち上がってみました。

途中までは覚えていますが、壁に手をついた辺りで気を失いました。


人生初の失神です。

失神ってこんな風になるんですね。抗いようが無い強制力が凄いです。立とうとした直後までは覚えているんですけど...。

多分急に立ち上がって血の巡りが良くなったとかそんな感じでしょうかね。


幸い現在は「痛い」程度でなんとか収まっていますが、首や腰を強打するとその後の自分の人生の何かが変わってしまう可能性があります。

最悪死に到るでしょう。


私が滑り落ちた瞬間

「やっちまった。ああ終わった。これで俺も身体障害者になるのか、それとも打ちどころ悪ければ死ぬのか。生きててもこれからの人生、他人の力を借りて生きるのが普通になっていくんだな。そんな生き方は嫌だ。生きてたら死のうかな...」

くらいの事を考えながら落ちました。

なんせ背中から落下です。色々と終わりを考えていましたよ。脊髄損傷やら最悪死ぬことも。

ポジティブに言い換えれば謙虚ですね。

心は「俺は意外と、謙虚な奴だったって事か。悪くねェ!(パクリ)」なんて思う程に晴れやかでした。


他者に迷惑を掛けたくない。

子供が親から自立する過程に"一人暮らし"があり、自分自身の力だけで生きていけるようになる目的の一つに「他者に迷惑をかけずに生きる」も当然含まれています。

やはり肉親を含めた他者に迷惑をかけたくない。

他者に迷惑を掛けられる分には耐えられるが、他者に迷惑を掛けるのはどうしても許せない。そんな自分を卑下し過ぎる考えは"セルフネグレクト"というそうです。

私がそれに該当するかは分かりませんが、その場では頭で近いことを考えていました。私は案外、人としてまだマシな部類なのかもしれない気がしてきました。


自分がどんな人間か測り切れない方は、死なない程度の臨死体験をしてみてはどうでしょうか!?匙加減は運です!


...なんてのは冗談です。


現代では「いのちをだいじに」がデフォルト。



また、なんとか五体満足で生活復帰が出来ているからだと言われてしまうかもしれませんが、こんな事を今回は思ってしまいました。

よく事故の遺族の方が語る「こんな形で亡くなって悔しかったろうに」や「本人はまだまだ生きたかっただろうに」は、生者側の視点から語られる今際の際の欲求です。

死に掛けた自分の感覚からはそこから大きくハズレていて、大抵の方は「悔しい!」とか負の感情を抱いて亡くなっていくわけではない気がしました。


不意に訪れた死の間際、後悔や怨恨でなく、人は案外シリアスな事を考えていない説。


「昨日のラーメン二郎、大にすればよかった」


「家の戸締りしたっけかな?」


「明日の会社の会議、行かなくて済みそう」


そう思えば仮に事故で亡くなった方が居たとしても、「心の中ではそこまで苦しまずに済んだのかな?」なんて思えれば多少の救いになるのでは?


キャプテン翼の三杉くんのように自分の死体を見下ろし、自由に感情を抱ける状況になれば当然「ふざけんな!どうして俺が死ななくちゃなんねぇんだ!?」なんて沸々と怒りが湧いてくるのかもしれません。


が、世の中を憎み続けた人生や、世界のシステムに苦しみながら生きている人でも、一瞬の事故で亡くなる方は直前には大抵悟ったかのような穏やかで安らかな気持ちで死を迎えているのではないかという話でした。

もちろん個人差もあるでしょうけどね。


最後に、庭の剪定はマジで気を付けて下さい。

素人がやるモンじゃない。

私のような低身長一族の出身が関わってはいけない世界です。八村塁でもないと剪定出来ないような高さの庭木を素人が脚立に乗って剪定するのは非常に危険!

プロに任せましょう。

怪我したり死んだりした後じゃ遅いです。

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