梅雨が来るのを、待っていた。
今日、東北地方の梅雨入りが発表された。わたしの住む山形県も、週間天気を見ると傘マークが並んでいて、窓の外ではぽつぽつと雨が降っている。
子どもの頃、雨が大好きだった。雨が降るたびにお気に入りの長靴を履いて、水たまりのなかを歩いた。足に水の重みを感じるのが楽しかった。
大人になるにつれて、雨と聞くだけでうんざりするようになった。とくに、通学・通勤中の満員電車のにこもる湿度は手強かった。洗濯物が乾かない。湿度が身体にまとわりつく。ヘアスタイルがきまらない。
それでも雨は美しいものでもあった。蒸し暑い満員電車の中でも、窓の上で追いかけっこする水滴を見ていた。雨と混ざり合った緑の匂いは心を鎮めてくれるし、雨の日の窓辺で全身に湿度を帯びた猫が横たわっている姿は芸術品の域だ。
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あなたにとって、雨はどんな存在ですか?
写真を撮る人の多くは、おそらく撮影日には晴れてほしいものだと思う。太陽という世界で最大の照明が隠れた空の下では、なかなかいい写真を撮るのは難しい。でも、それは晴れの日に撮った写真に無意識に正解をもとめているからで、雨の日には、雨の日なりの良さというものがあるのかも。
そう考えたこともあり、少し前から雨の日の写真を意識して撮るようになった。雨のことをもっと知りたかった。
実際に撮り始めるてみると、撮影中は雨の音に包まれた世界に立つのが気持ちよかった。現像から戻ってきた雨の写真には、なんとも言えない静けさが漂っていて、もっともっと雨の写真を撮りたいと思った。けれども、いざ雨の日を楽しみにして待ってみると、これが意外と雨の日って少ないもので。毎日でも降ってくれていいのにと思った。そこにきて、いよいよ梅雨シーズンの到来だ。梅雨入りしたと聞いて、心から嬉しい気持ちになった。
雨はわたしたちが生きていくのに必要不可欠で、土を冷やし、飲み水を確保して、植物を育ててくれる。生き物にとっては絶対になくてはならない存在であることは間違いないのに、それを"天気が悪い"などと表現するのは、ちょっと勝手すぎるかも。雨を撮るようになって、そんなことを思うようになった。
今年は、梅雨を謳歌したくて、最近、カメラ専用のレインカバーや防水のフィルムカメラを購入した。年に数回しか登場しない長靴だって待機しているし、お気に入りの傘もある。こうしてnoteを書きながらも、雨の音に耳をすませる。屋根を打つ雨のリズムを聴きながら、このシーズンの到来をひとりちいさく祝っている。
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