井筒俊彦、斎藤慶典、アンダーグラウンドミュージック

  卒業論文をただ貼っつけただけです。貼付け時の書式の崩れなどもチェックしてません。そもそも論文提出時に推敲すらしてません。出来が悪いです。でもこれが2ヶ月前の自分の限界であることに変わりはないので、まあ仕方がないです。ちょっとでも光る部分があるのなら、それを慰みにします。斎藤慶典氏の『「東洋」哲学の根本問題』に言及している先行研究もなかったので、何かの役には立つかも知れません。

  もう少しきれいな体裁でみたかったら、下のPDFを見てください。

1はじめに

2018年2月、エマニュエル・レヴィナスやエドムント・フッサールなどの現象学研究者として知られる斎藤慶典は、大股で分野を飛び越え『「東洋」哲学の根本問題――あるいは井筒俊彦』(以下、『「東洋」哲学の根本問題』と略す)を論じた。氏――とこの章だけでは呼びあらわすことにしよう――は、自らが「東洋」について書き記すことについて、同書のあとがきで「本人ですら夢にも思わなかった」と振り返っている(2018, 273)。サバティカルをとった氏は、ウィーンに腰を据え「昼間は原稿書き、夜はコンサートとオペラ通い」という日々を送りながら『「東洋」哲学の根本問題』を執筆したそうだ。だが、筆者は思う。氏は夜にはダンス・フロアに赴いてみてもよかったのではないかと。

筆者は中学生の頃、氏が部長(一般的には校長と呼ばれる職位)を務めていた慶應義塾中等部に通っていた。いつかの全校集会で氏が「女子のスカート丈」という卑近な、しかし年頃の男女が1つの箱で毎日を過ごす隔絶社会においては、期末試験の点数よりも重大かもしれないテーマについて、「エントロピー増大の法則」を手がかりに何か大事なことを我々に訴えかけていたことを覚えている。残念ながら中学生の我々の頭では、その論旨を捉えることはできず、スピーチの結果、何が変わったかといえば、「エントロピー増大の法則」という語が、男子諸君のあいだでバズワードになったということくらいだった。

しかし、当時を思い出せば、全校集会で壇上から述べられるスピーチなんてものは、中学生にとっては大概退屈なもので、せいぜい学生同士の囁き合いの裏で鳴るBGMか、休み時間の駄弁りのネタの種くらいの機能しか果たさないものだ。実際、筆者はほとんどの「お言葉」をとうに忘れてしまっている。にもかかわらず、今になって、未だ氏のスピーチを断片的にでも思い出せているのだから、おそらくそのスピーチには中学生の筆者の心に共鳴する「何か」が含まれていたはずなのである。その「何か」とは、明朗な説明が難しいのだが、無理にでも言語化してみれば、ダンス・フロアで交わされる無意味な言葉と言葉、ダンス・フロアに渦巻くカオスとそれに対するダンサーの無関心。そういったどうしても不可能でありながら、しかしそうであるかのように我々が振る舞うしかないような、きわめて滑稽な片思いの「関係性」のことなのだ。氏の言葉を借りれば、我々が「有=存在」であるがゆえに生じてしまう<端的な「無」>への「一種の回顧的錯覚」だ(2018, 110)。

この「回顧的錯覚」、そして「東洋」哲学的な誤謬は、ダンス・フロアにも潜在的にあらわれている。そしてまた、この誤謬こそが音楽を規定するという側面もある。本論で述べられるのは大体このようなことである。

より具体的に、本論の目的は、「テクノ・ミュージック」や「ハウス・ミュージック」、それに、「現代音楽」、「ミニマル・ミュージック」、「テクノ・ポップ」といった、テクノロジーの活用が大前提とされる音楽をめぐる諸言説において、氏がいうところの「東洋」哲学が内包する根本問題を、潜在的に有していることを明らかにすることである。扱うものの多くは「音楽批評」と呼ばれるようなものだ。したがって、批評に対する批評という形で本論を読むことも可能であり、その読み方と本論との関係において、音楽批評に新たな批評言語が生じるということもありうる。しかし、筆者の目的はあくまでも音楽批評を、そして音楽批評を媒介として音楽そのものの源泉たる形而上学を、「東洋」哲学の観点から思考することがそもそも可能なのか、そしてそれが可能なのだとすれば、如何なる問題を抱えているかを明らかにすることなのである。したがって、これから述べる、すべてのことは、「読み」の可能性を見出すにとどまり、それ以上を望むようなものはない。音楽聴取や音楽にまつわる諸言説から拾い集められた、形而上学的思考の数々を個別的に「読み」、そして「東洋」哲学の根本問題としての形而上学的誤謬を発見する。だが、発見されるのは、あくまで「読み」の可能性である。それだけである。だから、もしも、この作業によって、次なる音楽批評の展開可能性を基礎づけるという形で、間接的にでも音楽の諸実践に貢献できたのならば、本論の任務は筆者が望む以上に全うされたといえるだろう。

1-1目的

整理しよう。目的は、斎藤の提示する「東洋」哲学の根本問題、すなわち形而上学的次元における「空」と<端的な「無」>との混同、あるいは<端的な「無」>からの逃走を、「ある音楽」をめぐる諸言説も痕跡として蔵していることを明らかにすることである。したがって、音楽の諸言説を「東洋」哲学からの視点で「読む」ことが可能であることが提示されなくてはならないし、また、斎藤のいう「東洋」哲学を批判的に再検討しなければならないだろう。

1-2対象・手法

「ある音楽」とは何か。それは「アンダーグラウンド・ミュージック」である。本論で取り上げる音楽のキーワードを列挙すれば、テクノ・ミュージック、テクノ・ポップ、ハウス・ミュージック、ミニマル・テクノ、ミニマル・ミュージック、ノイズ・ミュージック、アフロ・フューチャリズム、シミュレーショニズム、クラフトワーク、ファンカデリック、Pファンク、ジョージ・クリントン、サン・ラ、デリック・メイ、ジェフ・ミルズ、ホアン・アトキンス、リッチー・ホウティン、アンダーグラウンド・レジスタンス、ジョン・ケージ、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、カールハインツ・シュトックハウゼン、コンロン・ナンカロウ、ポール・D・ミラー、ライナルト・ゲッツ、大友良英、椹木野衣、佐々木敦、野田努、三田格、サイン・ウェーヴ、DJ、サンプリング、カットアップ、リミックス……。

音楽――に限らずありとあらゆる対象――というのは非常に厄介で、何か言葉で捉えようとすると、するりと大事な部分が言葉の格子から逃れてしまう。かろうじて何かを捉えられたとして、それは、もはや言葉で捉えようとした何かとは似ても似つかない別のものとなってしまう。いつでも我々は言葉足らずなのだ。例えば、以下の引用。

1)「テクノ」とはそれ自体、音楽をめぐる種々の「テクノ(ロジー)」にアプリオリに依存し、またそれらに(なかば積極的に?)逆措定された音楽である。

2)任意のパルスを、特定のオーダーによって継起的に配列すると、それは「テクノ」になる。(佐々木 2001, 53)

これらは佐々木が提示する「「テクノ」の二つの条件」である。本人も自覚しているように、ここでは「テクノ」のダンス・ミュージックとしての機能は無視されている。それだけではない。たとえば、ナンカロウの「自動演奏ピアノのための習作」は、1)自動演奏ピアノというテクノロジーにアプリオリに依存しながら、2)自動演奏ピアノが穴の空いたロール・ペーパーを用いたシーケンサーを内在しているがゆえに、「テクノ」の条件を満たしているといえる。しかし、ナンカロウを「テクノ」の芸術家だというのは、歴史的な文脈を逸脱しているし、ここで歴史的文脈を整理し直さずとも、端的に我々の耳はその断定を拒絶するだろう。

先に列挙したキーワード群のなかには、ファイン・アート的なものに関係する語もあれば、商業的なラベリングによって確立された語もあるし、純粋な数学用語さえ含まれる。客観的にいって、それらは音楽に関わるという以外に共通点はない。しかも、何か高度な議論を通じて共通点をみいだそうというのでもない。それらはただ、音楽に関わり、筆者の主観に関わるのだ。これから見る「東洋」哲学における個物とはおよそ次のようなものである。すなわち、一見、個物として存立しているように見える全ての「事」には、実は全宇宙が参与している。しかし、それと同時に、なぜか我々が生きる経験的現実においては「事」が個物として成立してしまっている。要は、「ミックス・テープ」には「ターンテーブル」が関わり、「ミックスした誰か」が、スムージーを作るための「ハンドミキサー」が、「土星の環の周回速度」が関わるのだから、それが何であるか示そうとする記述はせいぜい、記述者の「色眼鏡」を提示するくらいのことでしかない――でしかないが、やはり、これは大事なことだ。

筆者が、先の列挙で示したかったのは、筆者自身の「色眼鏡」だ。あの列挙は、筆者の聴覚的経験の蓄積を根拠に組織された「アンダーグラウンド・ミュージック」の布置である。クラフトワークは3度もグラミー賞を受賞しているのだから、これを「アンダーグラウンド」として捉えるのは、一般的には微妙なのかもしれない。しかし、筆者にとって、クラフトワークは「アンダーグラウンド」なのである。よりこの感覚を具体化するなら、キーワード群にディーヴォやボアダムスといったアーティストや、ムーグ社のシンセサイザーやアカイ社のサンプラーといった楽器を足してもいいだろう。

もちろん学術的な研究は、可能な限りで客観性を堅持すべきである。しかしまた、対象をできる限り傷つけないような仕方が追求されるべきであるし、如何なる対象記述であれ、無理やり何かを強いてしまうことは避けられない。「DJみたいなテーマで本を書くってときは、慎重にならなくてはいけない。あまりに学問だ科学だって騒いで、現実をがんじがらめにしない方がいい」のだ(Poschardt 1997=2004, 12)。とくに、筆者はこの「アンダーグラウンド・ミュージック」の世界の住人であり、自らが対象に含まれていながら、対象を客観的に把握できるなどとのたまうのは、驕りという他ないだろう。

だから、もしも、読者が本論をより自然な形で読み解きたいと思うのならば、これは客観性がないとか、これは学問ではないという前に、まずは取り上げられる対象に直に触れてみて欲しい1。そうすれば自ずと筆者の「色眼鏡」が透明になっていくだろうし、同時に読者一人ひとりの独創的かつ学問的謙虚さをもった「色眼鏡」が生じてくることだろう。

さて、前置きがあまりに長くなってしまったが、ここで対象を明確に、端的に述べておけば、それは「アンダーグラウンド・ミュージック」をめぐる諸言説である。「アンダーグラウンド・ミュージック」を奏でる張本人の言葉も、「アンダーグラウンド・ミュージック」を批評する言葉も、「アンダーグラウンド・ミュージック」そのものが語る言葉もひっくるめて「諸言説」である。

本論では、斎藤の提示した「東洋」哲学の根本問題を参照しながら、「アンダーグラウンド・ミュージック」をめぐる諸言説に潜む「東洋」哲学的思考の痕跡を拾い集め、具体的に検討する。ただし「思考の痕跡」といっても、その言説と作者(話者・著者)を結びつけて「作者の思考」を間接的に表現しようというのではない。だから、一般的な思想史研究のような、まず作者の人生を、社会との関係において記述し、それに関連づけて思想言説を読み解くのとは異なる手法を採る。その手法とは、おそらく「東洋」哲学とはまったく関わることのなかったであろう言説であっても、それを「東洋」哲学の視点から「読む」ことができるのではないかという可能性を提示するだけなのである。というと、ポスト・モダン以降のテクスト論のように聞こえるかもしれないが、しかし本論には、テクスト論のように作者を「除去」したいという欲望はない。本論は、ただ2つの可能性、すなわち作者はこう主張したかったのかもしれないし、作者とは何の関係もないことなのかもしれないと、あくまで、どちらの可能性も保持したまま、言説を「読む」のである。

この手法を採るのは、対象に何かを強いる事態をなるべく避けながら、しかし、対象を記述するために、対象の特性に身を委ねた結果である。特にこの場合の対象とは、DJである。DJであり、社会史家であるウルフ・ポーシャルトは次のように語る。

作者の死と読者の誕生とは、同時に起こるというわけだった。これを音楽にあてはめると、作曲家の死とリスナーの誕生とが、同時に起こるってことになるんだろうか。じつはDJは両方なんだ。作曲家でもあり、同時にリスナーでもある。誰かが死ぬなんてこととは関係ない……作品の「神学的」意味なんて、ちっとも怖くなんかない。だって、作者/作曲家の考えどおりに、リスナーが理解する必要なんかないんだから(そもそもそんなこと無理な話だしね)。作品はそのままで、もうDJ作業の一部なんだ。

あるいは、DJであり、「フォイエルバッハとワーグナーを同時に扱う論文で学位を取得」した評論家でもあるポール・D・ミラー a.k.a. DJスプーキーは次のように語っている。

一九六〇年代のパリでは、状況主義者(ルビ:シチュアシオニスト)たちが「漂流」や心理地理学といったコンセプトを打ち立てた。が、今日、意図=志向性の不覚的な迷路をさまようという感覚は、創造行為の全体(性)となりうる。選択、検出、形態決定、そして構造建築、それが新しいアートをまわしてく。その挑戦とは、思考のほとんどあらゆる契機=瞬間に新しい世界、新しいシナリオを想像しようと追求し続けること、可能性の海に漂うこと。DJの「ミックス」はテクストのもうひとつのかたちだ。(2004=2008, 25)

さらにこうも述べている。

音楽はつねにメタファーだ。オープンなシニフィアン、目に見えない、実に融通の利く素材だ。凝り固まったり型にはめられたりしない。リズム・サイエンスは主な作曲法としてエンドレスな再文脈化を用いる。そしてぼくらのジェネレーションで最も重要なアーティストたちの幾人かは、ミックスをアレンジする方法は無限にあるんだってことに絶えず気づかせてくれる。(2004=2008, 28)

無限の可能性に心を開くこと。聞くと同時に作ること。作り続けること。それらがDJの姿勢であり、「アンダーグラウンド・ミュージック」の作法である。だから、このような「アンダーグラウンド・ミュージック」において、「作者」を除去という欲望は決して満たされ得ない。「作者」がいようがいまいがどうでもいいことなのだ。

1-3先行研究、位置づけ

「東洋」哲学と「アンダーグラウンド・ミュージック」とを結ぶ議論は、研究論文からコラム、評論に至るまで、管見の限りでは存在しない。また、本論で手引きを担う斎藤の『「東洋」哲学の根本問題』を参照している先行研究も2019年7月時点では存在せず、ゆえに、「東洋」哲学の根本問題――「無」の可能性を自覚したときにしばしば生じる「無」への「空化」――を論じた先行研究も存在しない。

大まかに本論の位置づけを示しておけば、本論は、思想史研究の枠組みに多くが重なる。先に述べたように、本論を音楽批評として位置づけることもできる。繰り返し説明すれば、本論では批評言説の分析に比重が置かれるため、「批評の批評」という「読み」が可能であり、その「読み」においては、新たな批評言語がテクストと読者の間の合意の上に成り立つということがあり得るのだ。しかし、筆者(=作者)の本論に対する主観的な位置づけは、本論が学部の卒業論文として書かれている以上、「アンダーグラウンド・ミュージック」に潜伏する形而上学的次元における誤謬を明らかにするという意味で、思想史研究の枠組みに多くを重ねるポジションに置かれる。

ただし、「アンダーグラウンド・ミュージック」の戦略をとりあげるという事情や、上述した言説の「読み」に重きをおいた手法は、思想史研究の枠組みをいわば否定的に逸脱しようとするだろう。それらの事情は、「思想史」というときの「史」、すなわち種々の「歴史」というコンセプトを撹乱し、果てには、時間や空間といった我々が生きる世界におけるもっとも基本的な分節線すらも透明にして、無分節、すなわち「空」の次元、さらに<端的な「無」>の可能性を我々の眼下にひらく。この事態にあっては、もはや「思想史」に修正を加えたり、書き足したりすることは、トートロジーの無限後退という戯れになってしまうだろう。戯れに陥らないためには、可能性を発見し続け、それを保持することが必要になる。したがって、繰り返すが、本論は、「アンダーグラウンド・ミュージック」をめぐる諸言説に潜む「東洋」哲学的思考の痕跡を拾い集め、その「読み」の可能性を探求するのである。

さて、上述したように、直接的に本論の関心に適った先行研究は見当たらない一方で、井筒俊彦は一般的に芸術作品の範疇に収まるような対象について「東洋」哲学的観点から「読む」研究を残している。「ロシア的人間――近代ロシア文学史」である(2014)。また斎藤も『「東洋」哲学の根本問題』のなかで、井筒のロシア文学論を具体的に検討している(2018, 87–103)。これらの議論については、のちに具体的に検討するため、ここでは詳しく立ち入らないが、本論の位置づけをより明確にするために、僅かに議論を先取りしておこう。井筒のロシア文学論のなかでは、「空」論の萌芽的形態があらわれており、それゆえに、「東洋」哲学の根本問題――すなわち<端的な「無」>と「空」のすげかえ――が潜む可能性がある。

「無」と「空」という東洋哲学における形而上学的次元の概念を文学論の中心的位置にすえた井筒の試み、そして、この試みを、より「東洋」哲学の根本問題に引き寄せて検討した斎藤の試みは、部分的に本論の問題関心に関わるものであるし、また、実際に検討の対象にもなる。だが、本論がもっとも関心をよせるのは「アンダーグラウンド・ミュージック」から如何に「東洋」的なものを「読む」かであり、したがって、これから斎藤や井筒の議論は、批判的に修正が加えられながら、いささか暴力的にスライドされてしまうだろう。「アンダーグラウンド・ミュージック」の担い手たちの思考のうちに「東洋」哲学的なものがあるなどと外から騒ぎたてるならば、それは斎藤にとっても「アンダーグラウンド・ミュージック」にとっても暴力とまではいわずとも、何かしらを強いることにならざるを得ない。

筆者がこの自覚をもってしても、なお、筆を置かないのは、それが何かしらの対象について記述することの限界ではないかと考えるからだ。数多の研究は、対象に何かしらの暴力を振るうことを避けられてはいない。それを衆目が許すところには、暴力を孕んだ研究といえども、あくまでそれが知的拡張を目指し、かついくらかはその目標が達成されているという前提の支えがある。あまりに乱暴かともおもわれた本論であっても、この前提が求めるところの知的拡張は視野の中心に据えられている。斎藤の議論の批判的継承、「アンダーグラウンド・ミュージック」に刻まれた思考への接続、新たな音楽批評言語の獲得。これらが知的に何も拡張しないということはありえない。しかし、それがどれほど達成されているかは読者に問うところである。

2難しい問題

2-1クリプキによる形而上学の救済

本論は学部の卒業論文として書かれたものである。通常の論文であれば、掲載雑誌や関連する学会をつうじて、読者をある程度限定し、様々な前提知識の説明を省くことができるが、殊に卒業論文においては、読者のバックグラウンドは様々であり、個々人によってかなりの程度、前提知識に差があると想定される。読者が導べなく議論の只中で迷ってしまうことがないよう、ここでは本論で展開される形而上学的議論の意義――あるいは困難――を丁寧に説明する。なお、本節では伊佐敷隆弘の整理した議論に則ることとする(2015)2。

ライプニッツが提示した「なぜ無ではなく何かが存在するのか」という問に代表されるような形而上学という哲学上のレベルは、哲学史において、とりわけ分析哲学の方面から強烈な非難を浴びせられてきた。一例を挙げれば、論理実証主義者アルフレッド・エイヤーは主著『言語・真理・論理』の「形而上学の除去」と題する章の中で、「形而上学的命題は真でも偽でもなく無意味である」と述べている(1946=1997, 36)。エイヤーは検証可能な命題だけを有意味だとする「検証原理」にもとづき、検証できる経験が存在しない形而上学的命題を論理実証主義的哲学から退けたのであった。

しかし、20世紀末以降、形而上学はそのような批判をのりこえるに至る。伊佐敷は形而上学の復興の要因を「検証原理が元々持っていた難点」、「クワインの全体論」、「ストローソンの記述的形而上学」、「クリプキの固定指示詞と可能世界論」にわけて検証しているが、ここでは伊佐敷が「最大の要因」とする「クリプキの固定指示詞と可能世界論」だけをとりあげよう。

ソール・クリプキは、エイヤーが自明視していた「必然=アプリオリ=分析的」および「偶然=アポステリオリ=総合的」という等式に対し「必然的だがアポステリオリな真理」や「偶然的だがアプリオリな真理」の存在を指摘し、「必然」や「偶然」といった概念に形而上学的概念としての自立性を与えたのだが、この一連の作業は「固定指示子」という鍵概念を導入することによってなされた。「固定指示子」とは「あらゆる可能世界において同じ対象を指示する」言葉であり、名前(固有名)はすべて「固定指定子」である(1981=1985, 55)。

たとえば、「フォスフォラス(明けの明星)とヘスペラス(宵の明星)は同一の天体である」という真理がある。フォスフォラスとヘスペラスが同じ天体だということを人類が知ったのは最近のことであるから、これは経験をつうじて得られた真理といえ、つまるところ、これはアポステリオリな真理だ。しかし、フォスフォラスにせよ、ヘスペラスにせよ、それらは固有名であるから「固定指定子」である。「固定指定子」は「あらゆる可能世界において同じ対象を指示する」のだから、これらの固有名はあらゆる可能世界において「金星」を指示するということになる。だから「フォスフォラスとヘスペラスは同一の天体である」という真理は、「金星は金星と同一の天体である」という自己同一性を意味し、すべての可能世界で成り立つ。すなわち必然的真理ということになる。それゆえこの「フォスフォラスとヘスペラスは同一の天体である」という真理は、アポステリオリでありながら必然的な真理だということになるのだ。

さて、より丁寧な説明を心がけるのならば、この次に「偶然的だがアプリオリな真理」を検討してみたいのだが、しかし、ここで本論にとって直接には関係のない事柄についての煩雑な議論に紙幅を割くことは得策ではないだろう。最後にクリプキが至った結論部に僅かに言及して、脱線を締めよう。

クリプキは以上のような議論を幾分大雑把に重ね、「必然」と「アプリオリ」、あるいは「偶然」と「アポステリオリ」のむすびつきを切断し、「必然/偶然/可能」という形而上学的概念と、「アプリオリ/アポステリオリ」という認識論的概念に峻別する。その結果、検証可能な命題だけを有意味だとする「検証原理」に基づき、検証できる経験が存在しない形而上学的命題を無意味とするエイヤーの「形而上学の除去」の目論見は、形而上学的概念と認識論的概念の混同による誤謬ということになり、晴れて、形而上学的議論が「アプリオリ」に無意味であるという非難は退けられることになった。

しかし、だからといって、形而上学における論証が「アポステリオリ」に有意味だとか、正当だとかと、即座に断定することはできない。それは論理実証主義者たちがいったように無意味なのかもしれないし、有意味なのかもしれない。さしあたっては、形而上学的論証が何によって正当化されるのかは、いまだ判然としないということだけがいえるにすぎない。

だから、本論が「無」や「空」といった形而上学的レベルの概念を、我々の生活世界に点在する「アンダーグラウンド・ミュージック」に強引に適用するからといって、それが正しいかどうかや、その行為に意義があるかないかという基準をもって読まれることは、筆者にとっても読者にとっても困惑を招来するだけである。もちろん、形而上学的議論だろうが、チラシの裏の落書きだろうが、それらが言説として何ものかに間接的暴力を振るってしまうことには自覚的でなくてはならないだろう。「アンダーグラウンド・ミュージック」に対して何か言葉を吐くときには、なるべく彼らにとって無害であるか、有益である内容がともなわなくてはならない。

では、一体何が彼らにとって有益なのだろうか。一筋縄ではいかない問題である。だが、幸いにも筆者は音楽を愛し、また、音楽を作る人間である。音楽の供給者として筆者が望ましいと考える言説とは、かのデリック・メイをうんざりさせた、音楽に貨幣的な表現を与えることにしか興味を示さない種々のシステムに抵抗するための批評言語である。この言語を生みだす試みこそがアンダーグラウンド・レジスタンスであったとさえいえるのかもしれない。筆者はアンダーグラウンドのやり方で、決して、アンダーグラウンドに暴力を振るうことなく、新たな批評言語の創出をめざす。アンダーグラウンドのレジスタンス運動を内側から支えたいというささやかな欲望を、この試みによって果たせたらとおもうのだ。

2-2議論の次元の峻別

エイヤーに典型的な、形而上学的概念と認識論的概念の混同は、本論の対象になる言説においても見受けられる。たとえば、佐々木敦の「トイ・インストゥルメンタルの立てる音、それは「楽器」による音、すなわち「音楽」が必然的に、ア・プリオリに帯びている「情緒」や「観念」や「文化的背景」を一切持たない、優れて物質的な音である」という言明(2014, 157)。

これは「「楽器=音楽」は情緒や観念、文化的背景をもつ」という命題は必然的かつアプリオリな真理であるが、「トイ・インストゥルメンタル(=玩具「楽器」)の立てる音は情緒や観念、文化的背景をもつ」という命題は偶然的にアポステリオリに偽であることが可能であるといっているようなものであり、概念区別以前の問題を生じさせるきわめて不可解な言明だ。ここではその批判に立ち入りはしない。しかし、音楽聴取をめぐる批判的言説のなかで「必然的に、ア・プリオリに」という語をつかう際には、クリプキほどに明晰な慎重さを求めはしなくとも、自らがどのような哲学的次元において論を進めようとしているのかについては、それ相応の厳格さが求められる。

本論も、井筒や斎藤の形而上学的議論をあつかうという点で、この厳格な峻別を心がける必要がある。とはいえ、ここで音楽聴取から出発して形而上学を展開するというアクロバットをやってのけるつもりは毛頭ないし、それが可能だともおもわない。繰り返すが、これから述べられるすべてのことは、音楽聴取や音楽にまつわる言説から、形而上学的思考の痕跡をひろいあつめ、そこにみいだされる「東洋」哲学の根本問題としての形而上学的誤謬の可能性を指摘するに留まるものなのである。その意図は、「東洋」哲学的音楽批評の可能性を拓くことをめざすこと以外にはない。

2-3マイノリティについて語るということ

「アンダーグラウンド・ミュージック」は、「テクノ・ミュージック」や「ハウス・ミュージック」と呼ばれるような、クラブ・カルチャーにおいて醸成された音楽とかなりの部分、クロスオーバーする。そのような「アンダーグラウンド・ミュージック」を語るときに注意しなくてはならないのは、それらの音楽の文化をめぐる議論の多くが、当事者たちのマイノリティ性を強調するということである。

クラブ・カルチャーには正史というものは存在しない。さほど多くもないそれぞれの論者が、それぞれの歴史記述を披露してはいるが、「クラブ」という語の定義すら固ってはいないし、当のクラブも日夜メタモルフォーズし続けており、一般化できるような記述は管見の限り、ひとつとして存在しない。ただ、クラブ・カルチャーにかぎらず、音楽、とりわけレコードの登場以降の音楽に関する歴史記述に典型的にみられるのは、文化の原動力をマイノリティ性に閉じ込めようとするものである。しかし、そのやり方は、音楽を「抵抗」だとか「革命」だとか「若者文化」だとかいった使い古しの牢獄に囚えたいという語り手の欲望にまみれており、音楽の全体性を見失わせるおそれがある。

マクロ的にもミクロ的にも「テクノ・ミュージック」や「ハウス・ミュージック」の歴史をもっとも精緻に紹介することに成功した野田努著『ブラック・マシン・ミュージック』は、退廃したデトロイトに暮らす黒人らから必然的にうまれた音楽として、ハウス・ミュージックやテクノ・ミュージックが位置づけられている(2001)。このような紹介だけでは、デトロイト、「テクノ・ミュージック」、黒人。その3者の創造的脈動の全体像は、我々の想像力の無能がゆえに、マイノリティとしての黒人ばかりが拡大され、デトロイト、「テクノ・ミュージック」、「虐げられた」黒人という3者として歪曲されてしまうのかもしれない。

しかし、野田がそのようなことを意図して『ブラック・マシン・ミュージック』を著したわけではない。たとえば、野田は、クリントン3の「アフロ・フューチャリズム」について「ソウルという黒人文化にとってなかば聖域に属するような言葉すら茶化してしまう度量」(2001, 181)があるとか、「ファンカデリック4の因習打破は、黒人そのものの歴史にさえも向けられていた」(2001, 186)などと述べており、「テクノ・ミュージック」や「ハウス・ミュージック」の前史において、クリントンがなした、ブラック・ミュージックの伝統的な立場、すなわち公民権運動のような「抑圧」と「抵抗」に黒人を位置づけるような立場の撹乱の徹底をみすごしはしなかった。

野田は、あとがきにおいてこう語っている。

本書のタイトルに”ブラック”を冠したのは、彼らの文化に対する敬意は勿論のこと……それこそホアン・アトキンス5がほかの文化を貪欲に取り入れることで自らの文化を批評的な態度で前向きなものにしたように、彼らの経験してきた文化がぼくたち自身のカタリストにもなり得るのではないかというささやかな願いによるものである。現在の日本には、イシュメール・リードに知られたら怒られそうな黒人体験ないし黒人解釈を利用した商売がはびこっている。とくに音楽の分野には多い。それがただの文化的搾取か、それとも何か有意義な創造に繋がるものなのかは、その文化(この場合は黒人文化)を自分の側に引き寄せて考えられるかどうかに関わっているだろう。(2001, 476)

野田は、自ら遠い文化にわけいることで、自らの文化にとって有用な「ブラック」をみいだそうとしたのだ。なるほど、ここで三田が少数派の牢獄からの脱獄を図っていることは明らかである。しかし、筆者は殊更「ブラック」に何かしらの操作を加えて、文化発展を目論むやり方を一度遠ざけてみたいとおもう。なぜなら対象に、人種、民族、地理、歴史といった個別の拘束具をはめたり、チラつかせたり、観察者自らにはめてみせて仲間のふりをするときには、対象の全体性、あるいはのちに述べるような「個物に対する世界の全参与性」を軽視・無視する危険が孕むからだ。そのような危険を避けてとおるためには、我々の日常的な言語によって、それらを記述するしかない。わざわざ学術的な呼称を用いたり、彼らの仲間のように呼びあらわしたりしても、事態をより悪化させるだけだ。「黒人」という語が一般に使用されていること自体が、抑圧の1つの形態であるということは確かにあるだろう。「アフロ・アメリカン」という語を日常的に使用することが1つの抵抗の戦略として有効な場合があることもまた事実である。だが、マイノリティの防衛は本論の目的ではない。それよりも、本論に限っては、あるがままの「アンダーグラウンド・ミュージック」のうちに可能性を見出すことが重要なのだ。このあるがままの――より正確には、日本人たる筆者のみるところの、日本において観察された――「アンダーグラウンド・ミュージック」において使用される呼称は「黒人」、あるいは「ブラック」ということになる。

3「東洋」哲学の根本問題

3-1「東洋」哲学とは何か

これまで幾度となく、「東洋哲学」ではなく「「東洋」哲学」という語を使用したが、一体「東洋」とは何なのだろうか。井筒は一貫して東洋を括弧で括り続けるが、それは東洋という歴史や地理に束縛された思惟の「根源的パタン」を解放するという意図、そしてある自戒の念が込められていたようにおもわれる。斎藤は次のように述べる。

井筒の東洋哲学研究にとって、プロティノスの占める位置は極めて大きい……プロティノスが東洋と西洋を繋ぐ要の位置にいるからなのである。彼を通じて哲学は一旦西のギリシア・ローマ世界からイスラームに移され、そのイスラームを経由して再び哲学は西洋中世に受け継がれていく。他方でイスラーム哲学は、先のイブン・ルシド(のアリストテリズム)を批判する形で登場したイブン・アラビー(一一六五ー一二四〇)によってイスラーム独自の展開に先鞭が着けられることになる。(2018, 22)

プロティノス、イブン・アラビーとは井筒がとりくんだ哲学者の名だが、彼らが西洋とも東洋ともいい難い位置にいたことを考慮すると、彼らが目下に入る井筒の「東洋」哲学研究と、一般的に考えられている「東洋哲学」とのあいだの思想史的理解の差異に気づかされる。

井筒の東洋哲学研究はその背後にほぼ全世界的かつ全時代的規模の哲学・思想を従えているのであり、そこで精錬されて取り出された哲学的思惟の構造は、人類が数千年の長さに亘って思考してきたことの一つの基本形を示していると言っても過言ではない。つまり、それを敢えて「東洋」と限定する必要はもはやないのであり、それは端的に「哲学」なのだ。それでもなお「東洋」と形容するのは、従来の哲学が「西洋」に偏していたその偏りを正す意味でしかない。(斎藤 2018, 22–23)

従来、とりわけ我が国では端的に「哲学」と言えばそれは西洋のそれを指していたが――そうでない場合には、わざわざ「インド哲学」とか「中国哲学」といった限定を付す必要があった――、その限定を取り払ったまでのことなのだ。限定を取り払ったことを示すために(のみ)、敢えて「東洋」を冠するのである。(斎藤 2018, 23)

しかし、本当に「偏りを正す意味」しかないのか。「限定を取り払ったことを示すために(のみ)」「東洋」といわれるのか。上の引用の直後、斎藤は、井筒の視野が地理的には、ほぼ世界的規模(いわゆる東洋に加えて、ロシア、ギリシア、西ヨーロッパ)にわたり、時代にも、古代から現代(西洋哲学に限れば、プラトンやアリストテレス以前の古代ギリシア哲学からポスト・モダン思想のデリダに至るまで)にまでおよぶものであったことを示したのち、「事実上彼が目指していたのは、これまでの人類の知的営為を踏まえた上での「新たな哲学の創造」だったと言ってよい」と述べる(2018, 23)。なるほど、確かに全世界的規模に目をむけた井筒の試みは、もはや端的に「哲学」なのかもしれない。冠し続けた「東洋」にも、偏りを正す意味くらいしかないのかもしれない。

しかし、井筒が一貫して冠するのをやめなかった「東洋」という括りには、「哲学」と「東洋哲学」という区別には、もっと重大な論点がふくまれているのではないか。上のように述べた直後、斎藤は、井筒の「共時的構造化」について論じるが、実はその中で、井筒の「東洋」の用法に付された限定性が立ちのぼる。「「東洋」哲学をその時代的・地域的制約から解放し、その論理展開の骨格を類型化して一つの構造体として提示するということ」という部分である(斎藤 2018, 24)。これは、上に引いた「新たな哲学の創造」に関わる重要な作業であるが、この作業において、「東洋」哲学は「解放」されるべきものとして言及されている。では、「東洋」哲学は、何によって限定されているのか。井筒は次のように語る。

中近東・インド・中国のすべてを含めた広い意味での「東洋」哲学のなかに、到るところ、さまざまに違った形で繰り返し現れてくる東洋的思惟の根源的パタン……。(2013a, 5:392)。

つまり、「東洋」哲学は「東洋的思惟の根源的パタン」によって規定されているのである。さらに次のようにも語られる。

意識を鍛錬して、常識的な、日常的な、経験的な、生まれたままの状態においておかないで、徹底的に訓練して、それで意識の深層を開いて、そういう開かれた深い意識の層の鏡に写ってくるような実在の形態、そのあり方を探求していく……主体的にそれのなかへとけ込んで、それのなかで生きていく……それがぼくにとっての「東洋」……そうなると結局、西はスペインのグラナダまで行ってしまう……それどころか、グラナダから、悪くすればジブラルタル海峡をこえてもっと向うへもいきかねない。それからいわゆるアラブ国家、アラブ文化圏とインド、トルコ、ユダヤ、それからペルシャ、そして中国、チベット、日本などが全部一つになって、それが精神の黎明の場所みたいな感じにぼくの心には映ってくる……。(井筒 2013a, 5:16)

「意識の深層を開いて」、そこの「鏡に写ってくるような実在の形態」を「探求していく」というのが「東洋的パタンの根源的思惟」なのであって、それは、全世界的哲学にみられるのではなく、井筒が「精神の黎明の場所」とみるところにのみあらわれる限定的なものなのである。実際、井筒はこの点にきわめて自覚的であったようにおもわれる。井筒は、ある段階的手続きを自らに課す。すなわち、第1の段階では「東洋」哲学や「西洋」哲学が依然としてそれのみであり、それらは「共時的構造化」によってコンテクストから解放され、第2の段階でようやく「根源的パタン」の析出に至る。そして、それを主体的に引き受ける――井筒においては「哲学素……を取り出して、それを身近な日本語に移す努力をする」(2013a, 5:17)ことであった――ことで、第3の「新たな哲学の創造」が可能になるのである。とはいえ、井筒は「新たな哲学の創造」に至る前に無念にもこの世を去ってしまったのであり、筆者のみるところ、井筒は第2の段階から第3の段階に至る道すがらであったようにおもわれる。

したがって、井筒が冠し続けた「東洋」には、偏りを正すという機能的含意だけでなく、自分にはいまだ主体的に「哲学」をなし得ないという自省の念が込められていると考えられるだろう。

3-2「東洋」哲学の根源的パタン

それでは、井筒が析出した「根源的パタン」とはいかなるものだったのだろう。斎藤は次のように整理する。

「ある根源的な東洋思想の構造型」は、今や「理理無礙」から「理事無礙」へ、そして「理事無礙」から「事事無礙」へと展開してゆくことが明らかとなった。井筒による「空」(すなわち「理」)論の徹底は、このようなものだったと言ってよい。(2018, 111)

逆さから辿ろう。まず「事事無礙」とは、あらゆる存在者が互いに透明である世界の実相を認識する、あるいは意識がそこに到達することをいう。井筒は華厳を参照しつつ、「経験的世界のありとあらゆる事物、事象が互いに浸透し合い、相即渾融する」という(2013b, 9:9)。それは「理事無礙」という実相に意識がはいることによって把握されうるものとなる。

「理事無礙」とは、あらゆる事物、事象が群雄割拠する「事」としてみられた世界の根底が、「「無」ないし「空」であることが観じられ、この地点から翻って再びこの世界を見たとき、かつて「事」として見られたものの背後が「透けて」そこに「理」すなわち「空」が重なる」意識の階層である(斎藤 2018, 111)。各々の「事」の背後に「理」すなわち「空」(これは無分節を指す)がみてとられるならば、「事」と「事」とのあいだに引かれた分節線も当然ながら「透けて」しまう。このような思惟によって、「理事無礙」から「事事無礙」に至るのである。

しかし、「「理」すなわち「空」」という表現は、「理理無礙」において困難――「東洋」哲学の根本問題――を生じるようになる。「理理無礙」を斎藤は次のように説明する。

「無分節的「理」」から「文節的「理」」への移行を看て取ることができるのであり、したがってそれは「理理無礙」という自体を指し示していることになる。華厳が論じた「理事無礙」の更にもう一つ手前に、イスラームは「理理無礙」を見出した、というわけである。(2018, 111)

「無分節的「理」」とは、イスラーム哲学における「アッラー」であり、神の原初の名であり、それはすでに名である以上、分節化されていると考えられる。しかし、この「アッラー」の内部ではいまだ何も分節化されてはいない。しかも、この「「アッラー」は、その名が響き渡るのみで(つまり、純粋なシニフィアンであって)、その名が指示しているはずのものに何の輪郭も与えられていない(シニフィエをもたない)」のだ(斎藤 2018, 110)。だから、これは「無分節」といわれるのである。

他方、「アッラー」という名の中で分節がはじまるとき、それは「分節的「理」」とよばれる。「アッラー」の中で、様々に内部分裂が起きながらも、「アッラー」の外部には何ものも存立していない階層である。

「アッラー」という「名」。これが問題の表現である。それは世界の根源たる神の自己思惟によって生じた「名」であり、あと僅かに思考を徹底してみれば、「名」すら「無い」神とは、完全に「無化」された、指示することもできない<端的な「無」>である。つまり、「理理無礙」に意識が到達したとき、思考は論理的に<端的な「無」>の可能性を導き出せるのである。にもかかわらず、斎藤によれば、以上の「神名論」を論じたイブン・アラビーも、「根源的パタン」を析出した井筒も、この<端的な「無」>については――そこに思考が到達した痕跡は残されているにもかかわらず――思考せず、さらにいえば、井筒において、「「無」と<「無分節」の「存在エネルギー」>の同一視ぶりは、徹底している」のである(斎藤 2018, 117)。

3-3<端的な「無」>

「理」という次元の奥、または手前の思考に対しては「無」という次元がひらかれる。この「無」を斎藤は<端的な「無」>と術語化する。

それはもはやいかなる「名」ももたない。「名」に見えるものも、「名」として機能しない。「名」とは何かを指し示すものにほかならないが、その「名」によって指し示されるものがそもそもないからだ。<端的な「無」>とは、このことにほかならない。したがって、(いま用いた<端的な「無」>を始めとして)それに付けられた「名」に見えるものは、せいぜい「仮の名」でしかない。形而上学が逢着する究極の地点にはもはやこうした「仮の名」しか与えられない……<端的な「無」>はもはや指示対象ではなく、指示される何ものもないことだけを示しているのだった。(斎藤 2018, 113–14)

この術語化は、<端的な「無」>という概念が「存在」の引力から逃れるための戦略である。我々の思考は、何か対象の「存在」を求めてしまう。この引力から逃れるためには、術語化によって、自らの思考展開において、<端的な「無」>の本当に「なにもない」とう事態を刻みつけるのである。

さて、この<端的な「無」>という次元が、思考の前にひらかれたとき、我々は「アッラー」とか「理」といった「空」の次元におかれた「何か」が、なぜ「事」という形で分節され、世界に存立するようになるのかという問題に出会わざるを得ない。「空」とは、「「存在」への動向に充ち溢れ、今にもおのれを突破して「存在」へと立ちいでんとする「力=エネルギー」の塊」といわれる(斎藤 2018, 8)。では、何を契機に「空」は「おのれを突破」するのだろうか。

この究極の地点に立ち至った後は、そこから踵を返すようにして「存在」への途をまっしぐらに邁進していくのみなのである……「無」は、結局のところ、そこから「存在」が発出してくるところの究極の源泉以外ではないことになってしまうのだ。(斎藤 2018, 115)

「ただの無」という「死物」が可能なら……そのことは、全てが、世界が、(世界へと向かう「存在エネルギー」の塊すら)存在しなくてもよかった可能性を示唆する……[しかし、「東洋」哲学においては]暗黙の裡に「存在」が至上命令と化しているのである。はたして「存在」は、……「必然」だろうか。(斎藤 2018, 121)

この問いは危険をともなう。というのも、人の思考が麻痺するのはこの地点なのである。「東洋」哲学の根本問題――すなわち<端的な「無」>からの撤退ないし「空」化――は、この地点において生じる。実のところ、これは斎藤においても同様である。以下で確認しよう。

3-4「階梯」論

「突破」という問題にかんする斎藤の議論を検討する前に、一度、斎藤の「階梯」論をみてみたい。斎藤は、「理理無礙」から「事事無礙」に至る展開を眺めた井筒の、その自らの「新たな哲学の創造」の段階では、2つの「階梯」を構造的に有していると考える。斎藤の見るところ、井筒の「東洋」哲学とは、「存在へと向かう止むことのない動向」をその中核に存すものである(2018, 8)。この動向を我々の生活世界から逆さに辿るとき、その第1の段階は「第一の階梯」といわれる。井筒における「第一の階梯」は、事物を相互に区別することで存立へともたらす分節化機能を「コトバ」と術語化し、それを唯識哲学における意識の最深層である「アラヤ識」のうちに定位させることであった。このことは「アラヤ識」のうちに一切の分節化に先だつ無分節態への通路が伏在することを示唆するが、この分節化機能を遡り、無分節態へと至る道程が「第一の階梯」なのである。「第一の階梯」は「表層から深層へ」とも表現される(2018, 7–8)。

「第一の階梯」の思考が無分節態へと至ったのちに、「東洋」哲学は「第二の階梯」へと思考のフィールドを移す。これについては以下の引用が全体像を掴むのに丁度いいと思われる。

無分節態が分節化されてさまざまな存在者として姿を現わす過程の解明である第二の階梯……世界の根底に見いだされた無分節態においては、それがいかなる輪郭ももたないが故にいまだ何ものの姿もない。すなわち、「無」ないし「空」である。だが、それは単に何もないのではない。それは「存在」への動向に充ち溢れ、今にもおのれを突破して「存在」へと立ちいでんとする「力=エネルギー」の塊なのだ。したがって、この「力」が限定=分節化されて何ものかが何ものかとして存在するに至ったとき、その何ものかの内にはその存立を支える「力」が蔵されている。その仕方を仏教哲学の精華の一つ華厳は、万物を相互に関係づける「縁起」によって全てが一挙に存在するに至る「挙体性起(@@ルビあり)」として捉える。(斎藤 2018, 8)。

この「第二の階梯」において華厳が論じる「挙体性起」という世界顕現の仕方は、本論にとってきわめて重要な意味をもつ。次節で詳しく検討しよう。

3-5「創造不断」、「挙体性起」

「挙体性起」とは何かを説明するためには、まず「創造不断」というアラビーの術語を紐解かなければならない。これはいわば、ライブハウスでストロボが高速で明滅する感覚を世界の在り方にまで拡張する論理である。

日常的意識にとって、ある一定の期間、存在し続けるかのごとくみえるAは、実は、互いに酷似した一連のもの(強調点:もの)(A1→A2→A3→A4→……Ax)なのだ、というのが唯識の見方である。(井筒 2013b, 9:158)

つまり、「世界はそのつど新しい」というのである。この「創造不断」という考え方は存在と時間とを密接な関係性の中におく。

何かが「ある=存在する」とは当の何かが時間の変転の中で同一であり続けるということではなく、そのつどの時ごとにその何かが姿を現わしては消えてゆくということなのである。(斎藤 2018, 255)

時の念々起滅は、同時に、有(強調:有)の念々起滅でもある。(井筒 2013b, 9:107)

「有」すなわち「存在」と「時」すなわち「時間」は、同じことなのである。(斎藤 2018, 255)

しかし、斎藤の「創造不断」の理解には1つ問題点がある。そのつど、新たな「存在」が生じるということは、「起滅」という言葉にも示されているとおり、一度存在したところの何かは、次の瞬間、あるいはその瞬間の前後から、「滅されて」いるのでなければならない。「滅する」とは、「空」のような無分節態に戻るというのではなく、<端的な「無」>に帰すということではなかったか。このことを斎藤が理解していないわけではない。にもかかわらず、斎藤は、前後から全く際断された「瞬間」――先のA1とかA2――あるいは「存在」のうちに「動向」をみてしまうのである。

何かがそのつど姿を現わし=存在することの内には、私たちの眼には同一物に見えるものがこれまで経てきた無数の生起と消滅の痕跡(歴史)が刻まれており、かつこれから生ずるだろう出来事への動向が兆している。したがって、想起(される過去)や予期(される未来)が時間の連続性を前提していると考えるのは誤りである。時間が連続しているから、何かを記憶することができ、かつての出来事を反復できるのではない。失われてもはやないものを、時を隔てて(前後際断)、あたかもこの裁断を乗り越えるかのようにあらためて創造しうるほどまでに現出の強度が昂まったが故に、時間があたかも連続体の如きものとして、そのつど現出の中で(そのたびごとに)樹立されるのである。反復とはこのことであり、したがってそれは創造にほかならないのだ。(斎藤 2018, 226)

「あたかも」とつけたすことで、あくまでアナロジー6に過ぎないことを示唆しているものの「際断を乗り越えるかのようにあらためて創造しうるほどまでに現出の強度が昂まった」存在とは一体どのような存在の事態なのだろうか。「創造不断」は、存在の際断性のみならず「世界生起の根本的偶然性」をも示している(斎藤 2018, 229)。世界生起の根本的偶然性とは何か。それは世界が「無くてもよかった」ということである。このことは、創造不断の際断性が「無」と関係――という言葉は本来不可能な表現なのであるが――していることの必然的帰結としての「挙体性起」という存在のあり方によって明らかになる。

繰り返すが、一度存在したところの何かはそのつど「滅する」のであり、存在は言葉の厳密な意味でそのつど「無く」なっている。「無」といわれる何かは、「何か」という仕方で指示することもできない、しかし我々の言語構造的に「何か」としかいいようのない「何か」であり、存在しない、非存在の「何か」なのであるが、だとすれば「無」と同時平面上には、ありとあらゆる存在の想定が退けられなければならない。「無」の他に「有」があるという事態はありえないのである。とすれば、ある存在がそのつど「滅する」、「無」に帰すというのであれば、ある分節線によって固定された存在とは別に分節化された、ありとあらゆる存在もまた「滅する」のであり、したがって世界はそのつど「無」によって前後の瞬間から際断されているということになる。

このことは、我々が生きる世界の生起の仕方も明らかにする。この現実がそのつど「無」であったところの「何か」から、ふたたび世界として「創造」されているのならば、この世界は前後の時間や空間から裁断されているとしか考えられない。したがって、そのつど世界は、「全体として」姿をあらわすのでなければならない。存在しているこの世界は、そのつど「全体として」存在しているのである。

このような存在の仕方を華厳は「挙体性起」とよぶ。「何かが何かとして姿を現わすそのたびごとに「全存在世界」は「一挙開顕」するのであり……「同時炳現」する」のである(斎藤 2018, 227)。そして、斎藤は「挙体性起」が世界の実相であるならば、「一つの事物の内には(一つの<いま・ここで=現に>の内には)他のすべてが含まれているのでなければならないことになる」という。井筒もこの全てが含まれる一つの事物ということについて、「ただ一つのものの存在にも、全宇宙が参与する」(2013b, 9:47)と述べている。とすれば、何か分節された個物をみるということは、それを透かして全存在世界をみていることと同じ、あるいは同時に理解され得ることだということになる。これは先の華厳における、個物Aと個物Bのあいだに引かれた分節線が透けた世界の実相である「事事無礙」という世界の実相認識とまったく同一の事態であり、また、この「事事無礙」と、依然として個物Aと個物Bが「事」として分節化されている世界の実相が同時に重ねて看取され得る世界の在り方、すなわち「理事無礙」とも同一の事態といえる。

ここで、ふたたび先の「おのれを突破」する「空」の問題にぶちあたる。なぜ「理(=空)」は「事」として「挙体性起」するのか。これについて斎藤はこのように答える。

いまだ限定されない「存在エネルギー」の塊[=空]が限定されることによって何ものかが姿を現わすためには……「ある=存在」の内に全てが閉じ込められたその充満が「破れ」るのでなければならない。そして「存在」が破れるとは、それがその「外」に、つまり「存在ではないもの」へと開かれること以外ではない。「存在ではないもの」、すなわち「無」がそこに何らかの仕方で介入しなければ、世界が開=披かれることはないのだ。(2018, 128)

「空」は「無」に触れることで「破れ」、限定、すなわち分節化されはじめるのだ。では、如何にして「空」と「無」は接触するのか。この疑問については次にように述べられる。

「存在」と「無」のこの接触が、はたして「存在」がおのれの内に「無」を孕むほどまでに「冪(ルビ:べき)(Potenz = potentiality)」を昂めた結果なのか……それともおのれの外部に触れられた結果なのか……いずれにせよ確かなことは、「存在」が何らかの仕方で「無」と触れることなしには世界が開=披かれることはなかったに違いないということなのである。(斎藤 2018, 124)

「空」と「無」の接触の仕方をめぐる思考は、遂に内発的な自己展開と、外部的な接触という2つの選択肢を残して、おのれの無能に直面する。前者の選択肢は、「際断を乗り越えるかのようにあらためて創造しうるほどまでに現出の強度が昂まった」存在に対応するだろう。しかし、斎藤の議論は全体をつうじて明らかに後者の選択肢に則ったものとなっている。

「力」すら存在しない事態、すなわち言葉の厳密な意味での「無」は、もはやそこに理解しうる何ものも「ない」のだから、思考の限界を画するものとなるほかない。思考はここに至って思考にとっての絶対他者に直面し、そこから先に進むことはもはやできない。思考は、そこから引き返すことしかできないのだ……にも拘らず、現に思考が引き返すことで、その地点におのれが逢着しらことを(その可能性において)証しするのだ。(斎藤 2018, 139)

斎藤は、後者の選択肢、すなわち「「力」すら存在しない事態」を思考の限界地点の証しとして選びとるのだ。そのことによって、「東洋」哲学の根本問題を確定するのである。また、このことによって「世界の根本的偶然性」も明確になる。

「無」と「有=存在」を媒介するものが根本的に欠落していることこそが、「有=存在」の根底にその無根拠性=偶然性という仕方で「無」の次元を開くのである。この現実はなぜか存在しているのだが、ひょっとしたらそれはなくてもよかったかもしれないのだ。(斎藤 2018, 130)

しかし、斎藤は本来、斎藤自身の議論の特性上、「創造不断」論において――たとえ「創造不断」と同様の事態を指し示す多くの議論が「瞬間」に動向をみていたとしても――そこに「動向」をみるべきではなかったのではないか。引用か何かで他者の口にそれを語らせるに留めるべきではなかったか。斎藤は動向を孕んだ「空」と、「無」とをきわめて厳密に峻別しながらも、「創造不断」論にあっては、「際断」と「空」への帰還とをむすびつけてしまったのである。

ただし、斎藤は最後の最後で、ふたたび「創造不断」論に<端的な「無」>の可能性を示唆することを忘れてはいない。

私たちの眼は瞬間ごとに失われる「存在」が無限定態としての「空」へと還帰するのか、それとも無限定ですらない端的な「無」に帰すのか(この場合の「帰す」は還帰を意味しないのだった)を区別できないのだが、こうした区別不能な二つの次元の可能性が井筒の視野に入ることはないのだ。(斎藤 2018, 229–30)

斎藤は「創造不断」というときの「滅する」が「空」へと還帰することを指すのか、<端的な「無」>に帰すことを指すのか、それを思考の無能ゆえの限界点として、結論づけはしない。あくまでも<端的な「無」>は可能性として保持されるものなのだ。しかし、片方の<端的な「無」>という選択肢が可能性として保持されるものであるならば、もう片方の「空」という選択肢も可能性として考えられなければならなかったはずだ。だから、斎藤がいくらかの紙幅を割いた「創造不断」論に、この「空」が可能性としてではなく、自明なものとして導入されてしまったことは残念という他ないだろう。

以上の指摘は、斎藤のその見事な仕事に対しては、あまりにささやかな失敗であり揚げ足とりにもみえてしまうかもしれないが、しかし、ここにこそ、あの<端的な「無」>という言葉のむずしさ、すなわち思考の限界点ゆえの誤謬の生じやすさがあらわれているのだ。これから述べられる、テクノにおける<端的な「無」>と「空」との混同は、この斎藤の失敗とまったく同一の次元で生じる事態であり、おそらく読者はこれ以降のテクノに関する議論の多くの部分で既視感を覚えるのを禁じ得ないかもしれない。だが、その既視感こそもっとも思考の無能として肝に銘じておかなければならない訓戒となるものであり、その既視感があるからこそ、我々は<端的な「無」>と「空」との混同や、<端的な「無」>の可能性の忘却から逃れることができるのである。

3-6『ロシア的人間』

前節で検討した斎藤の失敗に関連して、井筒のロシア文学論を検討した斎藤の議論もみておきたい。この検討によって、より<端的な「無」>と「空」との難題が明確になるだろう。

斎藤はこの著作で展開されたロシア文学における「「原初的自然」(カオス)と「光と理性の秩序」(コスモス)」の葛藤」の場所を、井筒哲学における「アラヤ識」と同定したうえで、さらに、井筒がわずかに触れていたドストエフスキーの「罪」の問題について真正面から取り組む。その結果、井筒における「罪」と「愛」の混同や「私」と「我々」の混同が批判され、その論拠において<いま・ここで=現に>という斎藤の術語が示す意味が確定される(斎藤 2018, 88–104)。<いま・ここで=現に>とは、ある時間における「存在」、「現象」、「私」を指す。「ある=存在」は、分節線を「透かして」みることによってのみ看取できる――「事事無礙」から「理事無礙」――のであり、それは(分節化された)「存在者」の「存在」以外ではない。したがって、分節化をもって「存在者」を成立させる「本質」は、「存在」のうりにはじめから織りこまれていることになる。これは「現象」がこの現実の根本であることに等しい。「現象」は、そのつど何かが姿をあらわしては失われていくこと、すなわち「時間」以外ではない――「創造不断」論をおもいだそう。同時に、「現象」が「現象」たりうるためには、それをみる「私」がそこに居あわせていなくてはならない。かくして、この現実をなしている「存在」と「現象」と「私」は同一の事態であることが明らかになる。この事態を斎藤は<いま・ここで=現に>と定式化するのである(2018, 12)。

<「存在者」(名詞=実詞)が「存在する」(動詞)>という事態はその存立の「場所」を必要とするのであり、そこにその場所として常に寄り添っているのが<いま・ここで=現に>(副詞)なのである。(斎藤 2018, 12–13)

さて、<いま・ここで=現に>という術語が、「理事無礙」という「空」ないし<端的な「無」>の看取において可能になるものであることは明らかである。とすれば、「罪」と「愛」、「私」と「我々」といった二項の混同の論拠が<いま・ここで=現に>におかれていることは、その混同が<端的な「無」>と「空」とのすげ替えによって生じているといえる。なるほど、井筒のロシア文学論は、一見「東洋」哲学とは別の次元に位置しているかとおもいきや、「東洋」哲学の探求の連続面に布置していたのである。本論の関心において、この議論は1つのお手本になりうる。とはいえ、これから対象にされるのは「アンダーグラウンド・ミュージック」をめぐる言説である。いささか強引に「東洋」哲学の根本問題は敷衍されてしまう。だから、直接の参照は避けることにしたい。本論において、このロシア文学論は、あくまでも関心を部分的に共有する先行研究として、「東洋」哲学の根本問題、それ自体の一般化の可能性を示唆するものとして位置づけることがせいぜいなのである。

4「アンダーグラウンド・ミュージック」を「読む」

4-1「ミニマル・ミュージック」

4-1-1「一つの音」

さて、これで「アンダーグラウンド・ミュージック」に残された痕跡を読むための道具が揃った。まずとりあげたいのは、「ミニマル・ミュージック」である。これはその語義からして、思考の限界地点に直接接している。佐々木は次のように述べる。

「ミニマル」な「システム」それ自体には、明らかに創造的な発展性がない。それはその成り立ちからいって、本質的に自閉的、自足的であり、ひとたび生まれ落ち、動き出したら最後、ただひたすら同じ動きを連続し続けることしかできない……バロックやセリーの「システム」は、その楽曲内において、基本的には潜在的、もっと言えば隠蔽的に作動しているのに対して、「ミニマル」の「システム」は、余りにもあけすけに開示されており、むしろ開示すること自体が目的化されてさえいる……まずもって「システム」それ自体の「美」を指し示そうとする。つまり、そこにはただ「システム」しかないのだ。「ミニマル」な「システム」は結局、自己言及しかしない。いや、それさえもしない、と言った方が正確かもしれない。それは作動するか、しないか、それだけであり、他には何もない。(2001, 43–44)

佐々木が「ミニマル・ミュージック」というとき、ケージの残したテープ音楽や、グラスの「2つのページ」という曲などをレファレンスするが、これらは一聴してわかるように、あるループする「形式」に、音が加算・減算されたり、同様のループがパラレルに僅かな調子の違いを孕みながら同時進行するといったものであり、反復ないし反復を前提とした差異の析出・提示がなされる。この「形式」こそが「ミニマル」な「システム」であり、「動き出したら最後、ただひたすら同じ動きを連続し続けるしかない」という特質をもった音楽の「システム」なのである。だから、それは「作動するか、しないか、それだけであり、他にはなにもない」のだ。

だが、作動の有無以外に、何1つとして「ない」といっても、それが「システム」であるという限りにおいて、それは要素結合であり、その内部には2つ以上の要素があるはずである。この要素を佐々木は、シュトックハウゼンが提示した「一つの音」と同定する(佐々木2001, 65)。「一つの音」とは、それを音波という事象としてみるならば、「正弦波音」とか「サイン・ウェーヴ」とよばれる単一の周波数成分のみをもつ波動ないしその聴覚的形態である。およそすべての、波形によってあらわすことのできる音は、様々な周波数のサイン・ウェーヴのくみあわせであり、したがって「サイン・ウェーヴ」とはいわば音響世界の「最小単位」である。だから「原子」と同様に、「サイン・ウェーヴ」それ自体を人間が直接に観測することはできず、物質的なものでありながらも、「同時に一種の「概念=コンセプト」でもある」のだ(佐々木 2001, 66)。そして、佐々木は次のような可能性を示唆する。

「一つの音」を可能足らしめる「正弦波音」というもの、それ自体を、紛れもない「音楽」として聴取する、ということのラジカリズム……。(2001, 70)

だが、「一つの音」は、「ミニマル・ミュージック」においては、音響合成のための素材としてしかあつかわれず、その後「忘却され、隠蔽されてしまう」(斎藤 2018, 68)。かくして、この「一つの音」それ自体を音楽として聴取する「ミニマル」の「ミニマル」とでもいうべき、「ラジカリズム」の可能性はここで一旦後景にひいてしまう。

4-1-2「反復」「回帰」「持続」、そして「提示」

ところで、この「ラジカリズム」は、本当に極限としての根本に根ざした「ラジカリズム」なのだろうか。「一つの音」は、別の箇所では「ミニマル・ミュージック」の基本的な構造としての「提示」としてしめされる。その他の構造とともに引用しよう。

a)反復

繰り返し。たとえばドレミファソ、ドレミファソと続くようなもの。

b)回帰

たとえばドレミファソ、ソファミレド、ドレミファソと続くようなもの。この二つのさまざまな組み合わせによって、無数のヴァリエーションが考えられる。

c)持続

たとえばド~~~~~~というものである。

a)b)に対してc)が有利なのは、それがそもそも「演算的」な「システム」ではないということである……原理的に「終わり」がない。a)b)は……常に既に「終わり」続けているのである

……d)提示

上に従えば、それはつまり、たとえば、ド、それだけ、ということである。ひとつの音をそこに置くこと。(2001, 57)

ここで「終わり」続けているといわれる「反復」と「回帰」は、分節化された「事」として考えられはしないか。「事」とは、「理」ないし「空」が分節化された(した)ことによって経験世界に立ちあらわれる個物である。音楽においては、「12音階」であり、「A4=432Hz(440、442)」であり、「ピアノ」であり、「ヤマハのピアノ」であり、「スタンウェイのピアノ」である。

ところで、分節化された「事」とは、いかなる分節体であっただろうか。「挙体性起」をおもいだしてほしい。「挙体性起」とは、そのつど世界が「全体として」姿をあらわすことであった。そして、それゆえに、あらゆる個物(事)は、全宇宙との関わりにおいてのみ存在しているのだった。この論理を音楽において展開してみれば、「12音階」のうち基準ピッチである「ラ」が、「A4=442Hz」から「A4=440Hz」に変われば、当然、その他の音階も「B4=496.12822535274Hz」から「B4=493.88330125612Hz」に変わる。あるいは、その日の気温が高ければ、基準ピッチを鳴らす音叉が熱膨張し、調律師は「スタンウェイのピアノ」を「A4=441.9Hz」にセッティングするかもしれない。もっといえば、「12音階」には、宇宙の80%を占めるダークマターの構造布置の変化による共鳴の違いにいつだって晒されているし、エレキギターの5弦の音程を調節する筆者の耳に、朝食の目玉焼きによって生成されたほんの0.001グラムの耳垢が堆積していれば、これまた調弦は狂うだろう。精密さを競って生産された電子チューナーの内部にも、気温によって調子を変えるトランジスタがのっている。端的にいって、「12音階」という「事」には「全宇宙が参与している」のだ。

以上のことは、「反復」と「回帰」についても同様である。たとえば、「ドレミファソ、ドレミファソ」という「反復」は、実のところ、気温の変化によって微妙に変化し続ける。記譜された「ドレミファソ、ドレミファソ」は概念であった、実体ではないから変化することはないという反論もあるだろう。しかし、概念とは歴史的に構築されたものであると考えるのが普通である。つまり概念もまた全宇宙の参与からは逃れられない。また楽譜とは「読まれて」はじめて楽譜であり、音楽であると考えるなら、音痴が読めばそれは絶対音感をもつ人とはまったく違うものになるし、絶対音感をもつ人がそれを読むときであっても、絶対音感者の基準ピッチがいつも「A4=442Hz」だとはかぎらないことはすぐにわかるだろう。「回帰」についても、「ドレミファソ、ソファミレド、ドレミファソ」というヴァリエーションは、我々の拍子感覚、すなわち、どこに一拍目を感じるのかによって決定されうるものである。

しかし、「反復」と「回帰」について、より重要なのは、それが「常に既に「終わり」続けている」ことである。「終わる」とはいかなる事態なのだろうか。「終わる」といって、すぐにまた次が「はじまる」ことはありうるし、我々の経験世界は基本的に「終わり」、そして「はじまる」のくりかえしだ――これは斎藤においては「なぜか」そうなのであった。では、この「終わる」と「はじまる」のあいだにはどのような空隙が横たわっているのだろうか。何が「終わり」と「はじまり」を分け隔てるのか。なぜ、「終わり」、なぜ、「はじまる」のか。「ミニマル」な「システム」は、なぜ「作動」し、なぜ、「作動」しないのか。本当に、「作動するか、しないか、それだけであり、他にはなにもない」のか。

4-1-3「ミニマル・ミュージック」から「理理無礙」を「読む」

ここにきて、ようやく「東洋」哲学の思惟から、「アンダーグラウンド・ミュージック」を「読む」ことができる。筆者はこの「終わり」と「はじまり」の間に、「東洋」哲学の根本問題を見出す。それは次の形でなされる。すなわち、「終わり」と「はじまり」のあいだに、あるいは「作動」の有無のあいだに、<端的な「無」>ないし「空」を見出す。そしてまた、佐々木がいうところの「提示」される「一つの音」の手前に「空」があり、「一つの音」が実のところ、「空」ではないことを明らかにする。

「反復」「回帰」「持続」は、大前提として「提示」されるところの「一つの音」をふくむ。「ドレミファソドレミファソ」であれ、「ドレミファソ、ファソラシド」であれ、「ド~~~~~」であれ「ラ~~~~~」であれ、それは「ド」や「ラ」という「一つの音」があってのことである。この「一つの音」とは、きわめて観念的なものである。自然界にある音は、すべて「サイン・ウェーヴ」のくみあわせであり、「サイン・ウェーヴ」それ自体を我々が耳にすることはできない。たとえ、コンピューターによる演算の結果として、スピーカーから出力されたとしても、スピーカーコーンの音響特性や聴者の耳の形によって、微弱な倍音をふくまざるを得ない。しかし、佐々木はこう述べる。

「ひとつの音」というものは、やはり絶対的に在るのだと考えてみることも出来る。音は観念ではなく、実在する。(2001, 58)

佐々木は、「一つの音」を実在として仮定することで、「提示」という「ミニマル・ミュージック」が忘却の彼方においやった構造を実在化する道をひらくのである。ところで先に、「反復」「回帰」「持続」が、「提示」を前提としていることを述べたが、これは観念的に、というだけでなく、物質的にも、やはり「提示」をふくむ。「反復」と「回帰」は「提示」、「提示」の結合体、その結合体の反復体、それらの回帰体と考えられるし、「持続」は、「提示」の持続体である。したがって、「提示」が実在するならば、「反復」や「回帰」、「持続」もまた実在である。しかし、この逆はあり得ない。すなわち、「提示」は「持続」の「回帰」だとか、「提示」は「回帰」の「持続」だとかいうのは不可能なのだ。これらのことは、「提示」の物質的な「原子」特性を明らかにする。

筆者は、先に「提示」される「一つの音」を「空」と同定したいと宣言した。しかし、この時点ではいまだ「一つの音」は「原子」でしかなく、いわば「存在」の最小単位であり、「空」すなわち「存在」への動向に充ち溢れた「力=エネルギーの塊」とはいいがたい。だが、こうはいえる。「一つの音」は「分節的「理」」であると。

「分節的「理」」とは、「無分節的「理」」である「アッラー」――それは名でありながら、シニフィエをもたないのであった――の中で、様々に内部分裂が起きながらも、「アッラー」の外部には何ものも存立していない階層であった。これをコンピューターによって演算されてはじめて可視化されるような「一つの音」とするならば、こうなる。すなわち、「一つの音」の前である「0」という音ならざる音が、「0」の中で分裂して「0/1」となり、「サイン・ウェーヴ」が生じる。だが、その外部にはいかなる共鳴体もなく、ただ「サイン・ウェーヴ」が真空の中に響くだけなのだ。

ここで重大な事実があかるみにでる。「一つの音」の前の、音ならざる音だ。それは「無分節的「理」」であり、シニフィエをもたない「名」であり、「0」である。だが、「0」という「名」はある。外部に如何なるものがなくとも、それは「存在」であり、その内部においては如何なる分節もなく、言葉の強い意味で「無分節」な「存在」である。それは、斎藤がいうところの「空」、すなわち「存在」への動向に満ち溢れた「力=エネルギーの塊」とぴったりと重なるものである。

したがって、佐々木がみいだしたのは、「空」が内部で分節した「分節的「理」」であった。そして、佐々木はこれ以上の奥まった階層へは進まない。佐々木は「空」の手前において、「分節的「理」」という音とは何かを追求することに終始する。

こう考えてみる時、重大な転倒が生じる。「システム」としては、これは「0/1」という二進法、デジタル、関係性的思考の、ある極限ともいうべきものとも思える。しかしそうした時にはじめて、「1」という特定の音に対する、マテリアリスティックな態度が、逆説的に立ち上がってくるのである。「ミニマル」の「システム」の極限において、ひとつのある「音」が提示される。それは、いかなる「音」なのか?……(2001, 58)

ここでいわれている「0/1」はもちろん、「1」という特定の音も、「0」が内部において分裂してはじめてマテリアリルとなる音なのであって、やはり、彼が「いかなる「音」なのか」と問う音とは、「分節的「理」」なのである。しかし、佐々木が「無分節的「理」」すなわち「空」や、<端的な「無」>に無縁だったわけではない。

「サイレンス」を聴くことこそ、あの「耳」の果たせぬ夢だったのだ。(2001, 15)

ケージのいう「サイレンス」とは、いうまでもなく「4分33秒」において聴くことの不可能性が明らかになった「無音」であり、ケージが無響室で体験した人間の音すらない言葉の強い意味での「無音」である。誰も聴くことのできない「サイレンス」。これは<端的な「無」>に他ならない。佐々木は、可能性としてこれを保持することができたはずだ。しかし、結局のところ、佐々木は以下の問いに固執する。

「サイレンス」は存在しない。だとしたら「聴くこと」とは何か?(2018, 208)

我々の関心において、問われるべきなのは「「サイレンス」は存在しないが、しかし、存在しないにもかかわらずたしかに可能性として考えうる「サイレンス」とは何なのか」ということなのだ。

「無分節的「理」」にもギリギリのところまで接近している箇所もある。たとえば、連続ドラマ「あまちゃん」のテーマ曲を作曲したことでも知られる、ギタリスト/ターンテーブル奏者、大友良英についての論考では以下のようなことを述べている。

大友は一貫して同じ問題に取り組み続けているのではないかとも思えてくるのだ。それは、一言で述べるなら、音に依るアナーキー(カオス)の提示と、その組織化(コスモス)とを、いかにして両立させるか、という問いである。先ず大友は、既成の「音楽」に対してのサボタージュたる、ノイズと即興演奏のイディオムの拡張を追求することで、混沌に構成を導入することと、秩序にカオスを潜在させることを同時に行おうとした……しかし、カオスとコスモスが手法的に通底したり、あるいはコンセプチュアルに反転し続けるという構造は、カオスとコスモスの峻別自体をあらかじめ揺るぎないものとして前提してしまっている……そうではなく、カオスとコスモスがそもそも完全に同じものなのだということを、音そのものによって示せないものだろうか?こうして大友の新たなフェイズが始まるわけである。(佐々木 2001, 124–25)

「カオスとコスモスがそもそも完全に同じなのだということ」。これは「理事無礙」という世界の実相についていっているのではないか。いや、一度ここで慎重にならなくてはならない。ここにおける「理事無礙」での「理」とは「無分節的「理」」なのか、それとも「分節的「理」」なのか。違うところで、佐々木は大友とのメールによるインタビューを引用している。以下は大友の発言である。

……そうこうするうちノイズ=把握しきれないインフォメーションと、空[ルビ:から]=インフォメーションがない状態ってのが、そっくりだってことにきづいたりって過程が前段階として、ぼくの中ではありました。(2001, 136)

「把握しきれないインフォメーション」とは、はちきれんばかりのエネルギーの塊としての「空」ととれるが、他方、「インフォメーションがない状態」というのは<端的な「無」>もしくは「無分節的「理」」――シニフィエのない「名」――といえる。そして、大友はこれがそっくりだというのだ。となれば、もし「インフォメーションがない状態」というのが「無分節的「理」」をさす場合、「把握しきれないインフォメーション」と「インフォメーションがない状態」とは、いいかえれば「空」と「無分節的「理」」ということになり、それが「そっくり」だという大友は、きわめて正確に音の世界の形而上学的次元をとらえていたということになる。

なるほど、ここで佐々木は「無分節的「理」」との接触可能性にひらかれていた。しかし、佐々木は「カオスとコスモスがそもそも完全に同じなのだということ」に吸いこまれてしまう。ここで生じた佐々木の1つの間違いは、カオスとコスモスという用語では、大友の思考をトレースできるわけもなかったということ。問題は、カオスの内部にいかなる峻別がなし得るのかということなのだ。そしてまた1つの間違いは、大友が<端的な「無」>――大友がいうところの「インフォメーションがない状態」――に触れていた可能性の見落とし。もし大友の思考が<端的な「無」>の可能性にまでいたっていたのならば、大友は<端的な「無」>と「空」とが、「そっくり」だとこたえていることになる。これは大友において「東洋」哲学の根本問題が生じる一歩手前の言明といえる。

4-1-4「ミニマル・ミュージック」から「創造不断」を「読む」

さて、佐々木が「終わり」と「はじまり」、あるいは「作動」の有無というときに、それらのあいだに<端的な「無」>ないし「空」が横たわっていた可能性があったことを検討していこう。実は佐々木は、この問題に対して何も回答していない。それは佐々木の関心の外にある。だが、筆者はここで佐々木の代わりにこたえてみたいのだ。「ミニマル・ミュージック」の「システム」ないし構造が「終わり」、「はじまる」とき、それらは、一度<端的な「無」>ないし「空」に帰す――無論、本来は、<端的な「無」>に帰すという表現はありえない――のではないかと。

我々はすでに「提示」される「一つの音」が「分節的「理」」であることを知っている。そして、これは「終わり」も「はじまり」もしない。「提示」という場合には、ただそこに「置かれる」だけなのだ。しかし、佐々木によれば、これが要素として「システム」にくみこまれたとき、その「システム」は作動するか、しないか、それしかないという事態に急変するという。だが、佐々木は見落としている。なぜ、「システム」が作動し、そして作動しないのかの究明を。

この問いに対して、「システム」は作動しなくてもよかったのだ、とこたえてみたい。たしかに「ミニマル・ミュージック」において、「システム」はなぜか作動している。しかし、「システム」は作動しないということも十分にあり得るのではないか。

「システム」には、およそ全宇宙との関わりにおいて「存在」している。「持続」という「システム」には、「音」が関わり、「耳」が、「空気」が、「共鳴物」が関わる。さらに、「譜面の指示」が関わり、「指示者の気分」が、「指示者の性癖」が関わる。また、「提示」というシステムが関わり、「反復」という、「回帰」というシステムが関わる。この関係の布置はどこまでも広がり、結局のところ、全宇宙が関わるのである。となれば、もはや「システム」とは、そのままで即全宇宙であり、つまるところ、「システム」の「存在」とは、全宇宙の、世界の「存在」である。したがって、「持続」がやむとなれば、それは「全存在」の変貌をもたらすだろう。

だが、もう少し慎重に議論を進めれば、「全存在」の変貌という言明には見落としている部分がある。この言明は、半分正しいし、半分間違っている可能性がある。というのも、「全存在」が変貌するかもしれないし、「全存在」が<端的な「無」>に帰すかもしれないからだ。先の「システム」と全宇宙の参与という発想は、「挙体性起」以外の何ものでもない。そして、「挙体性起」はそのまま「創造不断」という世界のあり方を導きだすことはすでに説明した。

そして、「創造不断」という仕方で、そのつどあらわれる世界は、そのつど「滅する」のだった。「滅する」というとき、「全存在」は言葉の厳密な意味で、「無く」なっている。つまり、<端的な「無」>である。このような世界の実相を支持するのならば、「システム」という「存在」は、そのつど、「滅する」のだ。あたかも作動し続けているかのようにみえた「システム」も、実はそのつど、<端的な「無」>に帰還している。しかし、なぜか「システム」は「存在」している。我々は、いつでもライヒの「カム・アウト」や「イッツ・ゴナ・レイン」を再生することができる。しかし、それを再生する我々すらも、次の瞬間には「滅する」のである。斎藤は、このような世界の「存在」のあり方を、ただ1人保証するものとして「私」という視点を設定した。ロシア文学の件において、この世界と「私」の関係性は、<いま・ここで=現に>と定式化されたが、ここでも同じ定式が成りたつ。すなわち、「システム」が「存在」と<端的な「無」>とのあいだを、なぜか、行ったり来たりしているこの世界において、<いま・ここで=現に>、目の前でひろがる世界、あるいは「システム」が、たしかに「存在」しているといえるのは「私」ただ1人なのだ。しかし、この保証は、あまりに弱々しい保証だ。何人たりとも例証の作業にすら関われない。真に孤独な例証だ。そのような「私」は、「システム」が「はじまり」、「終わり」続けることについて、このようにいうことしかできない。

「確かに<いま・ここで=現に>、「私」のもとで、「システム」は「存在」し、作動している。だが、それだけだ。今度も「システム」が「存在」し、作動しているなんてことは「私」にはわからない」と。

最後に、少し脱線するが、「ミニマル・ミュージック」における「創造不断」論との関連において、椹木のコンロン・ナンカロウ論にも触れておきたい。

ナンカロウの自動ピアノ演奏は……文字通り、一切の不安定さ、無根拠さから無縁の完全性であり、その意味ではなにかが「創造されつつある」という感情をおよそ抱かせることがない。それは絶え間なく生起しつつあるというよりは、一切が終えられつつあるといった印象のものであり、よりわかりやすくいえば、そこではインプットされたプログラムが機械的に実行されることにより、未来が一字一句、現在に置き換えられているだけなのである。(1996a, 120)

佐々木の用語におきかえると、ナンカロウの自動ピアノ演奏は、「システム」が作動することで「終わり」続けるのである。そして、その永遠の終結は、未来を現在とするのである。これを「東洋」哲学の観点から「読む」と、むしろ、この永遠の終結こそが、「全存在」の顕現を際立たせる「空」ないし<端的な「無」>への帰還なのであって、したがって、この「創造不断」におけるナンカロウの試みが「無根拠さから無縁」ということはありえない。それは未来と現在がだが、椹木はこの「無根拠さ」を、一般的な職人的楽器演奏において見届ける。

優れた演奏は、そうであるがゆえにそのような演奏が実際にいまここで行われつつある[傍点強調「行われつつある」]ことに注意を向けさせ、逆に言えばこのプレイヤーがなにかのきっかけで演奏をやめてしまえば、たちどころにこの創造が消滅してしまうことを暗示している。この意味ではこうした演奏はあくまで人為的になされているのであり、この無根拠さが、それを聞くものをしてきわめて不安な心境に至らしめるのである。この不安とはかならずしも負の意味でとらえられるべきものではない。むしろそれは、人の手によってなにか非人間的なものが生みだされつつあるときに特有の、避けがたい代償のようなものだろう。(1996a, 118–19)

この「無根拠さ」は、人間性と非人間性の狭間において生じる「不安」だというのだ。しかし、より「東洋」哲学の深い洞察を経て、これを「読む」ならば、「無根拠さ」とは、「創造不断」に隠蔽された<端的な「無」>の契機にこそ求められるべきものであって、それは人間の性質に関わる問題ではない。もちろん、椹木が「創造不断」論のような形而上学的次元で議論を展開しているのではないのだから、そのような誤謬は、もはや誤謬ですらなく、むしろ「読み手」の倒錯的な妄想であるにすぎないのかもしれない。だが、後に触れるが、椹木は形而上学的次元において、<端的な「無」>ないし「空」に関わる重大な議論をいくつか残しており、ゆえに、その痕跡が、この純粋な音楽論においてもあらわれている可能性は決して否定できない。ここでは、椹木のナンカロウ論の「読み」の可能性を示唆するにとどめるが、おそらくこのような「読み」を可能にする痕跡は、形而上学的次元において、「空」ないし<端的な「無」>を察知した者の言説において多数確認できるはずである。この知的体験は、我々のあらゆる思考体系に侵食する。たとえば、椹木はケージの沈黙論の中で、「無音」というきわめて経験的な事象について、「空」と<端的な「無」>のすげ替えの痕跡を残している。

なにも描かれていない「無」の空間がこれほどまでに豊かな内容をもつのならば、人間がわざわざ努力してその上に拙い筆さばきを展開するまでもないだろう――これが、ジョン・ケージによる「無」の理解です。つまりジョン・ケージにとって「無」は、「無」であるどころか、組み尽くせないほどの多様性に満ち溢れたものなのです……ケージは、音のないまったくの沈黙を体験しようと思い立ち、あるとき、無響室にひとり、籠ることをします。これは、音が反響しないようにつくられた特別な部屋のことです。ところが、この部屋に入ったケージが体験したのは、完全な「沈黙」ではなく、「豊かな無」とでもいうべきものでした。この部屋で彼は、外界からの音をシャットアウトしても、内界からの音(心拍音と筋肉のきしむ音)までを消し去ることはできないことに、気づいたのです。(1996b, 31)

ここでいわれる「豊かな無」はもはや「空」ですらない。ここには「事事無礙」から「理事無礙」へと至るような、「事」をみると同時に「空」の世界を透かしてみるような体験はない。あくまでも心拍音は心拍音として、筋肉のきしむ音は筋肉のきしむ音として聴取されている。だから、一見、ここでは「空」と「無」のすげ替えは生じていないかのようにみえる。少しだけ純度の高い「個物」を「無」と表現しているだけかのようにみえる。しかし、椹木は、このようなケージの体験を不可逆的なものと仮定したのち、同じく不可逆的なサイケデリックの方面における世界認識を以下のように表現する。

サイケデリックな現象における意味の喪失や世界の全体性の解体はいずれも、この世ならぬ幻覚体験であるよりはむしろ、世界をありのままに、もはや世界を構成する個々の要素が「名」を失ってしまうほどに「強く」みつめることと関係している……(1996b, 38)

個々の要素が「名」を失う。これほど「事事無礙」的表現もない。世界をありのままにみつめることが、「事事無礙」のレベルに達するほど世界をみつめることであるならば、世界の実相もまた、「東洋」哲学が発見した「事事無礙」、「理事無礙」、「理理無礙」のうちのどれかということになるだろう。そしてまた、ケージもサイケデリック同様の不可逆的な体験によって、世界のありのままを直覚したというのだから、先の「豊かな無」もまた「空」として「読まれる」ことに一定の妥当性があるといえるだろう。

4-2「テクノ・ミュージック」

4-2-1「アフロ・フューチャリズム」

次にとりあげたいのは「テクノ・ミュージック」であるが、その前に、「テクノ・ミュージック」の源流である「デトロイト・テクノ」にミックスされた「アフロ・フューチャリズム」における「東洋」哲学的な思惟の不徹底を確認しておきたい。野田は、「デトロイト・テクノ」のオリジネーターであるアトキンスの語りを引用している。

ホアン・アトキンスは言う。「もしデトロイトで起きたことの真の理由を知りたいというのなら、エレクトリファイン・モジョのことを認識しなくてはならない。モジョのフォーマットなしの毎晩五時間のラジオ・ショーのことをね」(2001, 171)

我々もこれに倣おう。野田は続けて次のように述べる。

”アフロ・フューチャリズム”……このラディカルな発想がモジョのラジオ・ショーにはあった。宇宙と未来に惑溺するその志向はモジョの友人であるジョージ・クリントンがキッズに広く披露したものであり、その起源はサン・ラや後期ジョン・コルトレーンやアリス・コルトレーンなどのフリー・ジャズに遡ることができる。ぼくたちはここで、六〇年代後半のデトロイトに舞い戻らなければならない。そしてモジョとジョージ・クリントンのPファンク軍団についておさらいしておかなければならない。(2001, 171)

ここでとりあげたいのは、このサン・ラとジョージ・クリントンの「アフロ・フューチャリズム」である。サン・ラは、当時の黒人がおかれた凄惨な日々に対する絶望と憤りから、「実はすでにこの世界は存在していないのだ」という世界認識をもっていた。それはアメリカにもアフリカにも自らの安寧を見いだせない現実に対して、現実ではない何かを――サン・ラにける神話としての宇宙やエジプト――を見出すということであった(野田 2001, 179–80)。ここで我々は一度、衝撃をうける。「実はすでにこの世界は存在していないのだ」という表現。この表現の「東洋」哲学との密なつながりは、いわずもがなだろう。だが、ここでは先を急ぐことにしよう。

サン・ラの「アフロ・フューチャリズム」にはむき出しの「絶望」がありありと表現されている。しかし、これは「アフロ・フューチャリズム」が全てそうだというわけではない。モジョのラジオは、彼がクリントンの友人であったことからも推測されるように、どちらかといえば、クリントンの「アフロ・フューチャリズム」に近いとおもわれる。クリントンにおいて、サン・ラの「絶望」は相対化され、前向きなエネルギーに転化される。野田が引用するファンカデリックのある曲の歌詞の対訳を引こう。

ソウルとは何か?

知るか!ハッハッハ!

ソウルとは風呂場のベルである

ソウルとは何か?

知るか!ハッハッハ!

ソウルとはトイレットペーパーで巻かれたジョイントである

ファンカデリック”What is Soul”(2001, 181)

一見してわかるだろう。クリントンにおいては、もはや絶望など、「そんなことに囚われている暇があれば、もっとファンクをやればいい」という気概によって、1つのサンプリングの「ネタ」になってしまっている。この相対化はクリントンの戦略である。クリントンは、黒人としての伝統の撹乱を確信犯的にすべりこませている。

クリントンの活動は、ブラック・ミュージックの伝統的な立場からはじまっている。だが、クリントンはその伝統的な態度を撹乱した……クリントンは形式的なブラック・ミュージックをやらなかった。ファンカデリックの因習打破は、黒人そのものの歴史にさえも向けられていた(野田 2001, 188)

ところで、「アフロ・フューチャリズム」とはいかなる思想なのか。クリントンやサン・ラの作品には、宇宙やSF的な未来、あるいは古代エジプトのモチーフが頻出する。それらは作品の中心的なモチーフとして機能している。宇宙や未来というモチーフについて、野田は以下の引用において、きわめて正確にその背景をいいあてているように思われる。

メタファーとしての宇宙は、黒人にとって地球からの脱出を意味すると同時に、そこが黒い自分たち自身の故郷であることも暗示する。夜空を”ダーク・スカイ”と表現するように、宇宙は黒い。アフロ・フューチャリズムの本質には歴史的拘束からの激しい解放願望があり、その先に広がる宇宙はときとして、白いアメリカに同化することなく抵抗し続ける彼らの黒い居場所にもなり得る。しかもサイエンス・フィクションにおける未来という仮定が、黒人文化の伝統以外の要素がそこに混合されることに必然性を与える。極端な話、宇宙では何をやってもいいのだ!(野田 2001, 191)

未来の宇宙とは、黒人にかぎらず、あらゆる人種、民族が、何も気負うことなく、あるがままでいられる居場所なのだ。ここにおいて、あらゆる人々は文字どおり「解放」されるのである。このようなユートピア的な願望の投影が、宇宙や未来になされているのだとして、古代エジプトのモチーフは、クリントンにおいて、前述の「撹乱」の戦略の一貫としてとらえられる。

アフリカ系アメリカ人の古代史への執着は並々ならぬものがあった。Pファンクは、古代エジプトに根ざしたブラック・ナショナリズムの世界観をまるで愉快な漫画のように置き換えナンセンス化した。真面目な黒人たちが陥るブラック・ナショナリズム的な世界観を和らげ相対化した。セックスを謳歌し、阿呆を気取り、俗物を称揚し、あるいはペドロ・ベルの漫画的なアート・ワークによって歴史的厳粛性をポジティヴな笑いに変換した。(野田 2001, 189)

古代史への執着は、サン・ラも「真面目な黒人たち」も等しく陥った罠である。この道において、解放は夢でしかなく、行く先は袋小路である。クリントンはこの点を正確に理解し、ユーモアの道へ向かったと考えられる。

おおまかに「アフロ・フューチャリズム」はこのようなブラック・ナショナリズムとその相対化のあいだをゆらゆら揺れながら、どちらに確定することもなく、「テクノ・ミュージック」や「ハウス・ミュージック」に引き継がれていった――より正確には、ある種の駆動力として機能していった。その典型は先のモジョのラジオということになる。

このまま「テクノ・ミュージック」や「ハウス・ミュージック」に議論を進めてみてもいいのだが、その前に、野田があまり高く評価しなかったサン・ラの「絶望」を本論の関心の俎上にのせてみたい。そうすることで、「テクノ・ミュージック」や「ハウス・ミュージック」がいかに「アフロ・フューチャリズム」における「東洋」哲学の根本問題を継承しているかが明確になるはずだ。

4-2-2サン・ラの「絶望」

サン・ラは当時の黒人がおかれた凄惨な日々に対する「絶望」と憤りから、「実はすでにこの世界は存在していないのだ」という世界認識をもっていた。サン・ラが率いるサン・ラ・アルケストラに参加していたアルト・サックス奏者であるマーシャル・アレンは『FACT』誌のインタビューで次のように語っている。

ラは、人間にうんざりさせられている。彼は、イスラエルよりもエジプトを7、人間よりもエイリアンを、未来よりも過去を強調することで、エイリアンになりたがっていた。(Merat 2015)

もはやサン・ラにとって、人間であることや、自らが生きるアメリカの未来など眼中にはいらないものであったのかもしれない。未来よりも過去を強調することで、現実世界との接続を喪失してしまった「未来」に思いを馳せるのだ。つまりそれは人間ならざるもの、エイリアンの「未来」だ。ただ、実際のところ、このアレンが伝えるサン・ラ像には、ジャズ・ミュージシャンとしての印象が強く投影されており、サン・ラの「絶望」がどのようなものであったかは、判然としない。サン・ラ自身、とりまく状況を語るよりも、作品をつくりたがり、宇宙を語りたがる人物であったため、いかなる「絶望」の只中を生きたのか、その痕跡はあまり残されていない。

とにかく、サン・ラの「絶望」は、「世界が存在しない」という世界認識や、未来、宇宙、古代エジプトという、「ここ」にはない、「ここ」とは関係のないどこかへの志向を導いた。そして、この「絶望」は、クリントンによって相対化されながらも、しかし、依然としてデトロイトの音楽家たちに影響を与え続けた。かんがえてみれば、当然のことなのかもしれない。「世界が存在しない」という言明は、「アフロ・フューチャリズム」の極地に達してしまっている。いくらクリントンがそれをユーモアで相対化しようとも、一度極限に達した思考の痕跡はなかなか振り切れない。サン・ラの「スペース・イン・ザ・プレース」は、クリントンの相対化の戦略における余剰なのだ――もちろん、黒人の伝統的な態度にとっても。しかし、クリントンにおいて後景に追いやることしかできなかった、サン・ラの余剰は、意外にも「東洋」哲学的「読み」によって相対化できるかもしれない。

「実はすでにこの世界は存在していない」という世界認識が、世界の実相をいいあてているのだとしたら、世界の存在の仕方は<端的な「無」>に直面するものだといわなければならない。「存在していない」というなら、それは「空」でも「理」でもなく、<端的な「無」>なのだ。なくてもよかったが、なぜか偶然あるという「創造不断」の世界である。だが、「すでに」という表現をどうとらえるかがむずかしい。「すでに」「存在」していない世界を「この世界」という「私」とは一体何か。

<いま・ここで=現に>とは、ある時間における「存在」、「現象」、「私」を指すのだった。「私」が、<いま・ここで=現に>というときには、必ず、同時に「私」が「存在」するところの世界がなくては(=同一でなければ)ならない。だが、サン・ラという「私」は「すでに」「存在」していない「この世界」を、「この世界」の只中で、<いま・ここで=現に>指示するのである。あべこべの世界である。<端的な「無」>においては、<端的な「無」>のままで、何かを指示する「存在」のごとき「無」があり得るということなのだろうか。いや、この詮索は思考の限界をとっく突破してしまっている。我々は<端的な「無」>については、いかなることも知り得ない。ここで進むべき道は、サン・ラにおいて誤謬があった可能性への道である。サン・ラはある「存在」の瞬間と瞬間との間に、すなわちある時点における<いま・ここで=現に>と、また別のある時点における<いま・ここで=現に>との間に「空」をみ、自らの「存在」を「空」の側から反射して看取したのではないか。つまり、斎藤のいう「東洋」哲学の根本問題を逆さから孕んでいるのではないか、ということである。さらに言葉を尽くしてみれば、<端的な「無」>の「空」化ではなく、「空」の<端的な「無」>化ということである。

「実はすでにこの世界は存在していない」という言明が、<端的な「無」>の看取にもとづいたのではなく、「空」の看取に基づいているのだとしたら、より正確には「実はすでにこの世界は事事無礙であり、私はいま、世界の根底に「無分節的「理」」すなわち「空」を看取したのだ」という表現を与えるべきだろう。だから、サン・ラの世界認識が我々に提示しているのは、「理事無礙」から「事事無礙」へといたる「東洋」哲学的思惟のプロセスということになる。だからこそ、サン・ラは決して世界が「なくてもよかった」のだという自覚にはいたらない。サン・ラが目指したのは世界を自らの手でつくることだった。

ある何光年も離れた宇宙であなたを待つ。

誰も踏んだことのない、誰もみたことのない場所。

ぼやけた夢の世界をつくって、そこであなたを待つ。(Ra 1968)

サン・ラは現世からの解放を目指したわけではない。ただ、誰の手垢もついていない未知で無垢な音世界を自らの手でつくって、人々を招き入れ、目の前にある「絶望」にとらわれるのをやめにしようと語りかけるのである。「空」を看取し、翻って「事事無礙」の世界の実相を知ったサン・ラにとって、「絶望」はよりクリアなものとしてみえるようになる。サン・ラにとって「絶望」とは「事」を「事」としてしかみようとしない人々の視線に晒され続けなくてはならないことなのだ。

人々は、精神が理解することよりも多くの未知なるものをもっている。未知は素晴らしい。それは闇みたいなものだ……。私の音楽は暗い伝統についてのものだ。暗い伝統は、黒い伝統よりも多くのことを意味している。彼らが黒とよぶものには、たくさんの区分がある。ここに私はいない。(Heron 2007)

サン・ラは「事」としての「黒い伝統」よりも、無分節的な「暗闇」――すなわち宇宙――を自らの足場とする。それは「事」的な世界からの離脱であり、「空」の知覚にはじまる「事事無礙」的世界への旅である。したがって、サン・ラの思惟が<端的な「無」>の可能性に到達することはなかったにせよ、「空」という世界の準根源的なあり方には達していたとおもわれる。クリントンのそれを比較したときには、きわめて悲観的にみえたサン・ラの「アフロ・フューチャリズム」は、しかし、「空」の論理として「読む」ことで、クリントンの相対化の戦略よりも深淵なところで、「絶望」と対決するものであることが明らかになるのである。このように「読み」かえられた「アフロ・フューリャリズム」は、「ハウス・ミュージック」や「テクノ・ミュージック」にもひきつがれていく。

しかし、それでもデトロイトの何人かの黒人はジョージ・クリントンの「アフロ・フューチャリズム」を、彼の進歩的な態度を真剣に汲み取った。エレクトリファイン・モジョがそれを受け継ぎ、そしてラジオDJという立場で彼なりのやり方で展開した。(野田 2001, 195)

野田は、ジョージ・クリントンの相対化の戦略を「テクノ・ミュージック」の源流の1つとするが、しかし、その深淵部に、サン・ラの「絶望」があったことを見落としている。

4-2-3「テクノ・ミュージック」

日本では「テクノ」といったらYMOやクラフトワークのような、「テクノ・ポップ」を想像する人も多いようだが、フリークの間では、主にクラブでかかるような、ひたすらに単調なビートを強調し、あとはいくばか装飾音を纏っただけという、フロアにダンスの熱気を醸成する機能に特化した音楽が「テクノ」とよばれている。そして、その源流は、「デトロイト・テクノ」とされることが多い。さらに遡れば、ジョージ・クリントンの「アフロ・フューチャリズム」を受け継いだモジョだということになる。

デリック・メイは興奮気味にモジョのことを話す。「モジョモジョモジョモージョー! はっきり言うけど、モジョなしでデトロイトはあり得なかっただろうな。おれが一三歳のとき、モジョはすでに噂になっていた。ホアンがおれにモジョを教えてくれたんだ。モジョこそ、おれたちを育てた最重要人物だ……」……ジェフ・ミルズもその影響を認めている。「モジョは正真正銘の反抗者であり、ぼくにとってのリーダーだった」(野田 2001, 199)

デリック・メイ、ホアン・アトキンス、ジェフ・ミルズといえば、フリークなら誰もが認める「デトロイト・テクノ」における最重要人物であり、「デトロイト・テクノ」のオリジネーターだ。そんな彼らにとっての音楽の伝道師がモジョであった。YMOや、クラフトワークといった今日「テクノ・ポップ」とよばれる音楽、そして、ジョージ・クリントンの率いるPファンクやファンカデリックといった「アフロ・フューチャリズム」的ファンクが「デトロイト・テクノ」において、何ら違和感なくミックスされている。たとえば「デトロイト・テクノ」において多用されるスペーシーなシンセサイザーの使用。野田によれば、「サン・ラのムーグ・シンセサイザー、そしてPファンクのバーニー・ウォーレルの電子音など、アフロ・フューチャリズムは非アフリカ的な楽器であるシンセサイザーの音色を効果的に用いている」が、これらのサウンドが「デトロイト・ミュージック」にも転用されていくのである(2001, 197)。

さて、「テクノ・ミュージック」には、以上のようなサウンド面における「アフロ・フューチャリズム」の継承以外にも、形而上学的「絶望」が含意している「空」の引継があったことを明らかにしていこう。

ホアン・アトキンスとリチャード・デイヴィスによるサイボトロン……。それは新しい世代によるアフロ・フューチャリズムだった。デイヴィスは自らを3070と名乗った。彼は自分の名前を捨て、記号化し、抽象化した。サイボトロンはことごとく黒人の伝統に背き、裏切り、そしてクラフトワークやゲイリー・ニューマンに加担した。……アフロ・フューチャリズムをブラック・サイケデリックと言い換えることができるのなら、サイボトロンがやろうとしたことはまさにそこだった。彼は現実という重力から逃れ、ディープ・スペースという濃い別空間のなかに自分たちのソウルを見出そうとした。(野田 2001, 222)

これは産業化社会の終焉を宣言したアルヴィン・トフラーの『第三の波』からの影響も混じりながら形成されたコンセプトである(野田 2001, 221)。だから、デイヴィスが「名前を捨て、記号化し、抽象化した」ことは、要するに自らを「情報化」し、情報化社会とか、知識社会とかいわれるような社会にいちはやく最適化しようとしたのだと理解できる。ゆえに、ここでいわれる「ディープ・スペース」というのも、「サイバー・スペース」のような情報空間として理解するのが、常識的だろう。だが、サイボトロンの「クリア」という曲では、このような脱産業社会的な発想を超越したフレーズが。「声の個性を消去し、匿名化する」ヴォコーダーのかけられた声でくりだされる。野田の対訳を引用しよう。

消去せよ

過去の日々を消去せよ

今日を消去せよ

あなたの心を消去せよ

あなた自身を消去せよ

(2001, 225)

続けて野田は、ヴォコーダーによってロボットのような「声」として発せられるこの「よびかけ」には、「未来と暗い過去を同時に幻視している感覚がある」と述べている(2001, 226)。ところで、この「幻視している感覚」が、知覚だった可能性はないのだろうか。過去も、今日(現在)も、心も、「あなた自身」も、「消去せよ」といわなければならなかったのはなぜだろうか。この要請が生ずるところの感覚は、世界が「なくてもよかった」という感覚とは異なるし、世界を「つくろう」としたクリントンの「アフロ・フューチャリズム」ともまた異なる。むしろ、世界は「透明であったはず」という言明にきこえはしないか。

サイボトロンの「クリア」においては、世界の存在すら消去せよといわれるわけではない。過去も現在も消してしまえば、残るのは未来ではなく、一切の時間的含意をもたない、前後から際断された「瞬間」である。しかも、それは現在ではないというのだから、そこに<いま・ここで=現に>という観測者はいない。いいかえれば、「現象」ですらない。

このような「瞬間」を表現するのにもっとも適するのは「創造不断」である。すなわち、そのつど<端的な「無」>ないし「空」から世界が顕現するという、ストロボの明滅的な存在論だ。しかも、<端的な「無」>はこの場合には問題にならない。なぜなら、少なくとも「瞬間」は予見されているからである。サイボトロンにおける「創造不断」的存在論は、<端的な「無」>の契機を想定していない。世界はそのつど「空」に帰すのである。このことを知覚したとき、世界にそれ自体として存立しているかのようにみえていた、あらゆる「事」は、「無分節的「理」」(「空」)が自己展開した結果――すなわち「理事無礙」――としてみられることになり、そのまま「事事無礙」という認識に至る。だから世界は「透明であったはず」という言明がなされるのである。

したがって、世界の根底に「空」をみるサイボトロンの知覚経験は、サン・ラの「アフロ・フューチャリズム」における「絶望」と同一である。「空」の知覚という意味では「絶望」も「消去」の要請も同じことなのだ。サイボトロンとサン・ラとの間にある表現的差異――世界を「透明」にするのと、新しく「つくる」の違い――とは、「空」といかに対決するかの戦略の違いでしかないのだ。世界認識においては、両者に何ら差異はなかったのである。さらにいえば、両者とも<端的な「無」>の可能性をまったく考慮しないという意味で、思惟の不徹底があったといえるだろう。

4-3「ハウス・ミュージック」

4-3-1「シミュレーショニズム」

「東洋」哲学の根本問題とは、<端的な「無」>を「空」という一切無文節の「エネルギーの塊」と同定してしまうことであった。しかし、これまでとりあげた「アンダーグラウンド・ミュージック」において、佐々木のケージ論を除けば、<端的な「無」>の可能性に思惟が至ることはなかった。世界の最遠部に「空」をみて、それきりなのだ。だが、椹木野衣がいう「シミュレーショニズム」においては、<端的な「無」>の可能性に思惟が至った痕跡がある。検討していこう。

美術史において、「シミュレーショニズム」とは、1980年代前後からニューヨークを中心に流行した、その中核にモダニズムにおける一回性への批判を座した芸術運動である。日本における「シミュレーショニズム」論の牽引者である椹木は以下のように述べる。

オリジナリティや個性といったものは、本来ある流れを塞き止めたときに現われてくる一種の「停滞」なのです。むしろ、世界はつねにあらゆる方向に同時かつ錯乱的に拡散しているというべきでしょう。あらゆるものがあらゆるものと関係を持ち、一瞬たりとも変化しないことはない、それだけが唯一の真実です。そしてひとつの現われが、現代のさまざまな複製メディアを通じて、七〇年代の後半くらいから多様なかたちで見られるようになった――それがシミュレーショニズムでありハウスミュージックなのです。(2001, 112)

椹木は「シミュレーショニズム」を、目まぐるしく錯綜する関係性を「停滞」させることなく表現する芸術的運動としてとらえつつ、同等のものとして、「ハウス・ミュージック」を挙げる。「ハウス・ミュージック」において多用される「サンプリング」、「カットアップ」、「リミックス」といった音楽的な手法は、「シミュレーショニズム」にも転用される。その代表例は、マイク・ビドロの、パブロ・ピカソを完全に模倣した「ノット・ピカソ」である。ビドロのその試みに至るまでの経緯を椹木は要約している。

自分は美術の歴史の先端部になんとか関わろう、なにか新しいサムシングを付け加えようと、いままで考えられるかぎりいろいろな試みをしてきた。ところが、今度こそと思えるような、斬新で人がやったことがない自分だけのアイデアが浮かんでも、いろいろ調べていくと、その程度のことはすでに誰かがやってしまっていて、しかも自分よりすぐれた方法でそれをやっていることに気付く。調べれば調べるほどそうで、自分が考える「オリジナリティ」とか「作家性」とかいったものは、単なる無知の産物でしかない……天才でない自分にできることがあるとしたら、それはせいぜい、過去の偉大な巨匠達の名作を描き直すことを徹底してやることくらいしかないと。にもかかわらずビドロは、まさにそのことにおいて……いままで誰も得たことがないオリジナリティを得ることになったわけです。(2001, 41–42)

このようにして、「シミュレーショニズム」はひとつの極限に到達する。このビドロの「シミュレーショニズム」は、それがくりかえされることによって、「美術の歴史そのもののシミュレーションにどんどん近づいてくる」(椹木 2001, 46)。その結果、「シミュレーショニズム」は美術の進歩史観をその内部から脱構築し、美術の城壁を完膚なきまでに崩す。したがって、次のような事態に帰結するのだ。

シミュレーショニズムでは、必然的に……ジャンルを隔てている壁そのものを打ち壊すということに繋がるわけです……ジャンルの壁とは……自分の存在をみずからが内在的に証明しなければならないという強迫観念(=自己同一性に対する不安)から来ています……これが近代芸術の純粋化への欲望の起源なのです。けれども、同時にそれは絶対的な根拠ではないわけです……クロスオーバーといっても、それはむしろ個々のジャンルが自立したまま交流するようなものではなく、ジャンルの起源にあるはずの、あらゆる感覚が混淆し、激しく交通し、そして別の水路を見いだすような激しい運動性として見いだされなければ意味がありません。(椹木 2001, 64–65)

「シミュレーショニズム」はきわめて動的な運動である。そうでなければならない。美術史を丸ごと内部から食い尽くし、美術を宙吊りにしたところで、安寧してしまえば、結局のところ、「シミュレーショニズム」がなしたのは、最後の「オリジナリティ」を提示しただけに過ぎないということになる。「シミュレーショニズム」がめざすのは、誰も彼もが忘却してしまいがちな、「つねにあらゆる方向に同時かつ錯乱的に拡散している」、「あらゆるものがあらゆるものと関係を持ち、一瞬たりとも変化しないことはない」世界という唯一の真実の再確認なのである。

ここで我々は「東洋」哲学的視座に、ふたたびたたなくてはなるまい。「ありとあらゆるものがあらゆるものと関係」するとは「挙体性起」という全存在の顕現の仕方にぴったり重なりはしないか。「つねにあらゆる方向に同時かつ錯乱的に拡散している」という表現に「存在への動向」に対応したデジャヴを覚えないか。だが、慎重にみてみると、椹木の「シミュレーショニズム」にはある問題が内在している。福田和也は、椹木の著書の解説で以下のように語っている。

シミュレーショニズムが前提としている世界観は、ニーチェの云うところの「完全なニヒリズム」ということになるだろう。「完全なニヒリズム」の世界では、すぐれて物質的なものと、すぐれて理念的なものの区別がない。故に実在しているものと不在であるものの区別もなく、真なるものと偽なるものの区別もない。故に総ては遊戯であるとともに闘争であり、一回的であるとともに多数的なのだ。(2001, 398)

ここでは、椹木的「シミュレーショニズム」に対する拡大解釈が生じているようにおもわれる。福田がいうように、「一回的」かつ「多数的」な「総て」という世界観が「シミュレーショニズム」の前提にあるとすれば、「シミュレーショニズム」という運動が「一回性」の神話を攻撃したという事実を我々はどのようにうけとればいいのだろうか。椹木が「不在」を問題にしたことなどあっただろうか。少なくとも椹木において「シミュレーショニズム」から、「一回性」に対する保守的な動向は退けられている。椹木の「シミュレーショニズム」は、世界の動的な全体性を開示するためだけに動き続ける。このような運動は必然的に、「存在」を前提しなければならない。仮に、それが<端的な「無」>によって露呈する世界の「偶然性」を問題にしていたら、途端に、「シミュレーショニズム」の底は抜けてしまう。しかし、思惟の限界点とはそのようなものである。思惟するところの存在も、結局は自らに底がないことを、<端的な「無」>の地点において知ることになる。福田がいうような世界観を「シミュレーショニズム」に導入したとき、「存在」は危うげなものとなる――「実在しているものと不在であるものの区別」もなくなる――が、しかし、それが「シミュレーショニズム」の究極地点なのだ。そしてまた、この本当の極限にいたって、ようやく「シミュレーショニズム」の不断の忘却は強度を手にいれるだろうし、「ハウス・ミュージック」も資本主義体制下からの脱出に成功できるだろう。

話を急ぎすぎた。椹木の思惟が、少なくとも「空」あるいは「無分節的「理」」にまでいたっていたことを確認しよう。「シミュレーショニズム」は、福田の拡大解釈によって<端的な「無」>にもひらかれたのだが、しかし、福田の助けなしに、「空」の直覚にいたっていたことは確かである。その証拠は、先の引用にもっともあらわれている。くどいが、もう一度おなじ箇所を引こう。

オリジナリティや個性といったものは、本来ある流れを塞き止めたときに現われてくる一種の「停滞」なのです。むしろ、世界はつねにあらゆる方向に同時かつ錯乱的に拡散しているというべきでしょう。あらゆるものがあらゆるものと関係を持ち、一瞬たりとも変化しないことはない、それだけが唯一の真実です。そしてひとつの現われが、現代のさまざまな複製メディアを通じて、七〇年代の後半くらいから多様なかたちで見られるようになった――それがシミュレーショニズムでありハウスミュージックなのです。(椹木 2001, 112)

「あらゆるものがあらゆるものと関係を持ち」とは、1つの存在に「全宇宙が参与する」ということとまったく同一のことであり、したがって、これは「挙体性起」と解せる。他方、「一瞬たりとも変化しないことはない」という言明は、「挙体性起」という仕方をともなう「創造不断」的世界観と理解できる一方で、しかし<端的な「無」>には関わらない「創造不断」とも解せる。なぜなら、もしも<端的な「無」>の可能性を考慮するならば、より正確な表現は「一瞬たりとも変化しないことはないが、つぎの瞬間があらわれる保証はどこにもない」ということになるからである。椹木において、「シミュレーショニズム」が露呈する世界とは、そのつど「空」ないし「分節的「理」」に帰す「創造不断」の世界であって、この世界認識においては、そもそもなぜ世界は「変わり続けるのか」という疑問は問題の俎上にないし、ゆえに<端的な「無」>の可能性も見逃される。しかし、殊に「ハウス・ミュージック」論においては、それが椹木的「シミュレーショニズム」の議論の延長にあるにもかかわらず、<端的な「無」>がいわば余剰として顔をみせている。

4-3-2「ハウス・ミュージック」と「盗用」

「ハウス・ミュージック」は、「ディスコ・ミュージック」に由来している。そもそもはレコードを流すナイトクラブの呼称であった「ディスコ」は、そこにおいて、ただ選曲するだけにとどまらない「プレイ」で魅了する「DJ」たちの登場により、「DJ」の目線からは、より「リミックス」に適した音楽をつくろうという動きが生まれ、聴衆――多くはゲイであった――からは、ダンス・ミュージックとしての機能性と、より性的な欲望を掻きたてるものへの注目が昂ぶり、結果、どこからともなく、それらの動向を宿した音楽のことも「ディスコ」とよばれるようになった。しかし、「DJ」たちは、より音楽的観点において変化を企み、一方は――マッチョイズムを孕んだ――リアリズムに満ちたブロンクスのストリートへと、他方は、エレクトロニクスへの実験精神に可能性をみいだし、シカゴの「ウェアハウス」というクラブへとむかっていった。そして、前者の音楽は「ヒップホップ」と、後者は「ハウス」とよばれるようになった。

この「ハウス・ミュージック」の興隆で起こったのは、金をめぐる混乱であった。

金やクレジット問題に限らずシカゴ・ハウスのシーンはレコードが発売された時点から、すでに淀んだものがあった……ジェイミー・プリンシプルの”You Love”や"Waiting on My Angel"は最初はプリンシプルの<ペルソナ>レーベルから出たものだが、<トラックス>からも同じ曲が彼より知名度の高いフランキー・ナックルズの名義でリリースされてしまった。シカゴではこんなことが堂々とまかり通ってしまっていた。(野田 2001, 109–10)

このような市場秩序の混乱は、まだその音楽が「新しすぎる」がゆえにのことであった。「ハウス・ミュージック」はそのはじまりからして、「盗用」の音楽であった。

ごくごく初期のハウスの多くはジェシー・サンダースの"On & On"を見本にしていたから、ほとんどがほかの曲からの盗用だった……初期シカゴ・ハウスの多くはヒップホップと同じように自分の好きな昔のレコードからフレーズを盗用した。キース・ウィリアムは言う。「おれたちみんながやったことは、他人の曲を盗むことだった……ほかからベースラインを取ってきて、そこになにか別のものを加えたんだ」……ほかからの盗用を、シカゴでは”ジャック”と呼んだ……初期のシカゴ・ハウスにはたくさんの”ジャック”がある。著作権などおかまいなしだ。だいたいアンダーグラウンドではときとして、知り合いや友人の曲の盗用まであり得るのだ。(野田 2001, 114)

「盗用」はエレクトロニクスと友好関係をむすぶものたちの特権である。それまでの音楽は職人的な世界観にあった。ジャズ・バーにかよいつめていた青年が、ジャズ・ミュージシャンになる決心をしたところで、実際になるには、ジャズ・バーで演奏が終わってグラスを傾けている職人たちに声をかけて、師弟関係をむすび、まずは荷運びからという道を歩かなければならなかった。しかし、「ハウス・ミュージック」や「ヒップホップ・ミュージック」においては、フロアないしストリートで踊っていた客が、次の日にはターンテーブル越しにダンサーを眺めているなんてことがざらにあるのである。このようなサクセス・ストーリーを可能にしたのは、他でもない、TR-808やTB-303といったローランド社のシンセサイザーや、テクニクス社やパイオニア社のターンテーブルとミキサーなのである。

ところで、「ハウス・ミュージック」以外にも、近い時期には、別の場所で「テクノ・ポップ」が、エレクトロニクスと友好条約をむすび一大ムーブメントを席巻していた。だが、これらは「ハウス・ミュージック」のような「盗用」に頭を悩ませるようなものではなかった。彼らを悩ませたのは、「テクノロジー」といかにつきあうかということであった。そして、その答えはあまりにノスタルジックなものであった。

クラフトワークが七〇ー八〇年代にことさらこの「一九二〇年代としての未来」を「ロボット」や「メトロポリス」の名において強調するとき、彼らはそれらがノスタルジーとしての未来にすぎないことを知り尽くしていなければならないし、事実このテクノロジーの発展に対する醒めたノスタルジーこそが、クラフトワークの最大の魅力なのである。そしてもちろん、「テクノ」の美学とは、イメージを還元してしまう即物的なテクノロジーの機能とは正反対の、テクノロジーが未発達であるがゆえにそこに発生せざるをえないノスタルジックなイメージによってこそ可能になっているのである。(椹木 1996a, 27)

テクノロジーが完全に透明なインターフェイスとして機能するならば、それはもはや自然と同義である。ここに逆説がある。テクノロジーが可視のものであるためには、それは不完全でなければならず、この不完全さが生みだす一種のぎこちなさ、不自然さを、にもかかわらずわれわれはテクノロジーの先進性として捉えてしまう。ありとあらゆる未来世界のはらむ本質的ぎこちなさ、滑稽さは、このことに起因しており、このテクノロジーの不完全さによるぎこちなさ、滑稽さを積極的に露呈する試みこそが「テクノ」と呼ばれるべきなのである。(椹木 1996a, 127)

このアンビバレントな未来観は、未来に古代エジプトのモチーフをもちこんだ「アフロ・フューチャリズム」とも通底するし、「テクノ・ミュージック」にもみられるが、「ハウス・ミュージック」において、そんなことはどうでもいいことであった。「ハウス・ミュージック」において、テクノロジーに付される問いは、いかに面白い音がつくれるか、いかに踊れる音をくりだしてくれるのかということ以外に何もない。そして、それ以外に何ら目的性がないがゆえに、「ハウス・ミュージック」は「盗用」をくりかえす。「盗用」の「盗用」というポピュラー・ミュージックではありえない音楽も、「ハウス・ミュージック」においてはなんら珍しいことではない。ロンドンにおいては、「誰が何をやっているか皆目見当もつかない匿名性のもとに膨大な量のアシッド・テイク」が生産されたという(椹木 2001, 236)。「ハウス・ミュージック」のその「盗用」は「ニュービート」において無秩序をなすがままにする。

ニュービートはとにかく徹底して無内容である……ニュービートは、ハウスミュージックという莫大な量の情報流にすら結果的には介在せざるを得ない質判断を完膚なきまでに無化する。極端なことをいえば、ニュービートには聞くに耐えるものは一枚もないといってよいだろう。にもかかわらずニュービートは、その驚異的な無名性とビィールス的な没意味のテロリズムにおいては、たしかにハウスミュージックのある強度を典型的に担っていたことは間違いない。(椹木 2001, 236)

なるほど、「ハウス・ミュージック」は「盗用」の無限後退を経て、最後には「没意味」の運動となってしまうのである。しかし、「ニュービート」が典型的に担ったという「ある強度」とは一体何のことをいっているのだろうか。椹木は、単純にその膨大な量を「強度」としてみているのだが、同時に、「サンプリング/カットアップ/リミックスという三種類の認識論的切断……この三種類の認識論的切断だけが、最悪であるがゆえに最強たりうるある強度を有した生き方を提示してくれる」という(椹木2001 243)。ここでいわれている「認識論的切断」とは、「ハウス・ミュージック」のラディカルな部分を近代芸術や、流行としての軽薄な「ポスト・モダン」との対比において際だたせるため語であろうが、しかし、いったい「サンプリング」「カットアップ」「リミックス」は何をもってラディカルといわれるのだろうか。

4-3-3「サンプリング」、「カットアップ」、「リミックス」

サンプリングは、既成品としてのディスク・ミュージックの一部を略奪的に流用し、それを新たなコンテキストの中に接合することによって原意味を脱構築する。カットアップは、サンプリングを敢行する際に、その原意味を爆破するための分裂症的手段で、その原型をウィリアム・S・バロウズの言語実験に求めることができるだろう。リミックスはこうして形成されたサンプリング・ミュージックのプライオリティを再度脱構築することになる。原則的には一種類のサンプリングからは、無限のリミックス・ヴァージョンを導き出すことが可能である。(椹木 2001, 248)

椹木のいうような「サンプリング」は、芸術運動としての「シミュレーショニズム」においても多くみられる手法であり、それ自体、確かに近代芸術との比較においては、ラディカルなものであるが、しかし、「ハウス・ミュージック」のラディカリズムの中核にあるのは、むしろ「カットアップ」や「リミックス」にあるといってよい。このことは、椹木が「引用」、「コラージュ」、「パロディ」を、「サンプリング」、「カットアップ」、「リミックス」と厳格に峻別している点においてより際立つだろう。

「引用」が、結局は他者をいかにして自己に調和させるか、ひと綴りの自己表現の小宇宙に首尾よく配置させるか、という問題だったようにしては「サンプリング」は引用しない。それはあくまで略奪的な戦略なのであり、「引用」がそれをなす当事者の表現的自我を不可避的に肥大させるのに対して、サンプリングを敢行した当事者の自我は抹消され、無名性のなかに霧散する。(椹木 2001, 248–49)

やはり、ここで「引用」との峻別によって、より明確になる「サンプリング」の無名性も「シミュレーショニズム」においては典型的な表現といわざるをえない。しかし他方、「コラージュ」や「パロディ」との比較は「ハウス・ミュージック」のラディカリズムをあかるみに引きずりだしている。

コラージュがいかに異質な要素を同一平面上に共存させようとしているにしても、結局のところそれは、箱庭的な予定調和を目指す表現者の趣味性を具体化する一方法といった感は免れない。これに対してカットアップは、むしろ当の表現者を裏切るべくして機能する。そこには切り刻むことによる偶然性が乱暴に導入され、この偶然性が選択者の意志の必然に従った配列とあいまみえて進行してゆく。(椹木 2001, 251)

リミックスは、サンプリングされ、カットアップされた分裂症空間を、微少な差異を連鎖的に形成する反復へとさらすことによって欲望の無限連続体を導きだす。この意味においてリミックスは……その原型に対する距離の特殊な形成において、パロディと厳密に峻別されるべきものである。パロディとは、要約によってなされる、当の対象の本質直観に基づいている。しかし、リミックスは決して要約しない。それはひたすら反復する。レヴェル・ダウンしようがレヴェル・アップしようがかまいはしない。そこで行われるのは盲目的なまでのひたすらの反復である。(椹木 2001, 253–54)

「カットアップ」の分裂症的「偶然性」、そして「リミックス」の「差異-反復性」。なるほど、これらが「ハウス・ミュージック」のラディカリズムを支えているのである。もちろん、「サンプリング」とは、そもそも「カットアップ」や「リミックス」という表現に内包される基礎技術であって、その重要性は決して曇りはしない。だが、それは「ハウス・ミュージック」の「盗用」を可能にしつつも、それだけでは分裂症的反復が生じることはない。椹木は、「ハウス・ミュージック」を資本主義体制下における「極限」としてとらえる。すなわち、「ハウス・ミュージック」の「カットアップ」と「リミックス」における分裂症的反復によって可能になる、資本主義の諸システムを超越するほどの速度でなされるオートマチックな自己輪転である。

ハウスミュージックはたんなる「最終消費文化」ではない。それはスキゾフレニックな最終消費文化である。とりわけ高度の場合の滅裂(zerfahren)は、ときに「言葉のサラダ(Wortsalat)」と呼ばれる状態にいたり、ここでは思考の異常を超えた、いわば機関銃の連射にも似た高速の独白ともいうべき状態が生じる。ハウスミュージックにおける音楽的記号の消費とはそのようなものである。それは音楽的文法の連合崩壊からさらには滅裂へと至り、ついには高速の自動状態にまで到達する。(2001, 270–71)

「ハウス・ミュージック」は、資本主義の先端部において「オリジナル」との微少な差異を提示しては、そのことによって、何か「一回性」とか新たな記号を生みだすわけでもなく、即座に、より正確には同時に、またコンテクストとして整合されていない記号のプールへと放り込まれ、自らも差異を提示する分裂的運動に取り込まれていく。この「ハウス・ミュージック」のシステムには果てがないだろう。その連射は、もはや何ものも追いつけないほどに高速である。しかも、「資本が資本を生む」という自己増殖的な価値の運動体に対して、「ハウス・ミュージック」の運動は、むしろ価値を減じ、ずらし続けるし、しかもその価値とは、自らの価値だけでなく、ありとあらゆる価値である。したがって、「ハウス・ミュージック」は、自らの質的堕落と量的異常性によって、あらゆる価値の根拠を剥奪しているといえる。椹木が「ハウスミュージックはたんなるポストモダンではない。むしろそれは「真正の」ポストモダンともいうべきものである」というのも、このような事情によってであろう(2001, 268)。

だが、本論の関心は「ハウス・ミュージック」がいかに真の意味でポストモダンかということではなく、それがいかに<端的な「無」>による無根拠性に晒されたものであるか、ということである。先に、「カットアップ」と「リミックス」とが、「ハウス・ミュージック」のラディカリズムを組織していることを明らかにしたが、しかし、「東洋」哲学的観点からは、むしろ「サンプリング」――ゆえに「シミュレーショニズム」にも――にこそ真のラディカリズムが潜んでいるとおもわれるのだ。

世界の実相が、我々の経験的な、平凡な認識と同様に、因果の連鎖によって刻々と時間を紡いでいくような、なだらかな連続面として俯瞰することができるようなものだとしたら、無名性のもとで「サンプリング」を敢行することはまったく不可能である。なぜなら、そのような世界のもとでは、あらゆる「命名」が歴史的な「原因」として、「命名」されて以降のすべての「結果」に刻まれてしまうからである。平凡な世界認識のもとで、「名」は「霧散」しえない。したがって、椹木が「サンプリング」に無名性をみるというならば、椹木の看取する世界の実相は、我々の平凡なそれとは異なるものでなくてはならないだろう。事実、椹木はそのような世界観を説明している。

われわれは無限分割が可能であるような、本来はまったく交渉のない分断された瞬間を実はたえまなく経験している。このアナーキズムを保留し世界を共有するためにこそわれわれは観念連合によって瞬間と瞬間とのあいだに因果関係を設定していく。(2001, 168)

まず、「まったく交渉のない分断された瞬間」を、「創造不断」論における、そのつど全体顕現するところの世界として、あるいは、斎藤が術語化した<いま・ここで=現に>という瞬間として「読む」ことができる。反対に「瞬間と瞬間とのあいだに因果関係」が設定された世界とは、先に「サンプリング」が不可能であることを明らかにした、我々の一般的な世界認識に他ならない。ここで重要なのは、そのような世界認識が「観念連合によって」可能になると椹木が述べていることである。この点は、椹木が「創造不断」という世界の実相を明瞭に自覚していたことの証左となるだろう。さらに、椹木は、世界の「無根拠性」に、すなわち、世界が帰還するところの「空」が、<端的な「無」>として二度とあらわれないという可能性を知覚しているとおもわれる言明もある。

シミュレーショニズムにおいては、ありとあらゆる起源というものが否定されている……それ以上さかのぼることができない起源というものを、決定的に否定するわけです……プラトンの対話篇の中で、造物主であるデミウルゴスは、無からなにかを生みだすのではなく、あらかじめ存在している秩序なき原素材に、力ずくで無理矢理かたちを吹き込む者として描かれています。そこには、「起源」といえるものがありません……したがって、そこには無すらもありません。無がなければ、無から立ち上がるはずの創造もありません。したがって、あえていえば私たちは、無限に「起源」を遡ることができるということがいえます。けれども、いくら起源を遡っても、唯一の起源に達することは絶対にない。むしろ、どんなに遡っても、私たちはさまざまなものが錯綜して運動し続ける欲望の衝突の場よりも「前」には、世界を遡ることができないのです。(椹木 2001, 107–8)

「さまざまなものが錯綜して運動し続ける欲望の衝突の場よりも「前」」とは何か。ここでの「衝突の場」においては「さまざまなもの」が運動できるのだから、すでに分節化された「場」であろう。だから、これを絶対無分節である「空」と同定することはできない。しかし、その前でいわれている「あらかじめ存在している秩序なき原素材」が「空」である可能性はある。そして、この「秩序なき原素材」があらかじめ「存在」しており、この「存在」には起源がないという場合には、やはり、まだ思惟にはできることが残されている。それはなぜ「秩序なき原素材」に「デミウルゴス」がかたちを吹き込めたのかという問いへの思惟である。「秩序なき原素材」がこれ以上遡れない「衝突の場」であるならば、その外部に「存在」はありえない。だから「デミウルゴス」は、内部において分節しはじめて生じるのでなければならない。一切の外部をもたない「存在」が、内部において分節化する事態を「東洋」哲学では「分節的「理」」というのであった。したがって、「秩序なき原素材」は「空」ないし「無分節的「理」」であり、「デミウルゴス」の生じた「存在」とは「分節的「理」」である。

このように椹木は、厳密に「空」の自己展開の過程を明らかにしたのち、その過程より前まで遡ろうとすると「無すらない」という。「無すらない」、すなわち「無」の「無化」だ。これは言葉の強い意味で「なにもない」ということであるから、椹木の思惟が<端的な「無」>の可能性に至ったことの証といえるだろう。

さらに、「サンプリング」とはおよそ位相の異なる「ノイズ」論においても、椹木は<端的な「無」>へと思惟をめぐらせている。

なにかが創作される以上、その行為の出発点はかならず存在せざるを得ない。しかし、この出発点(=キャンヴァス)がすでに白く色付けられており、そればかりかよくよく見れば複雑なテクスチュアを有している一枚の「絵画」ですらあることに気がつけば、われわれが無から出発することなど、およそ不可能であることが理解できるだろう……彼ら[アメリカのミニマリズムの美術作家]もまた、無という概念の自己矛盾を、「無」をかき乱す「ノイズ」という視点から、あくまで物質的に理解しようとしたのである……「ノイズ」とはこのように、「無」に限りなく接近しながら、無に融解し去ることがどうしてもできないようななにものかでもある。それはいわば、「無」に対して堂々と屹立する大文字の「存在」ではなく、無のかたわらに寄り添うことなくしては見い出すことすらできない小文字の「存在」なのだ。(椹木 1996a, 130–31)

「小文字の「存在」」ないし「ノイズ」が、「無に融解し去ることがどうしてもできないようななにものか」なのだとしたら、それらは「空」ないし「無分節的「理」」か、「分節的「理」」という他ない。しかも、それらが「無のかたわらに寄り添うことなくしては見い出すことすらできない」のだという。「空」が自己展開し、分節化していくためには、<端的な「無」>に何かしらの仕方で触れなければならなかった。したがって、「無という概念の自己矛盾」とは、それを指示しようとした途端に、すでに「存在」の側にある我々の言語構造に明確に「存在」してしまう<端的な「無」>の困難を的確に提示しているといえるだろう。

上の引用に続けて、次のようにも述べられる。

この弱い「存在」としての「ノイズ」がけっして複製することができないということも、ここで強調しておく必要があるだろう。それが、「無」との必要最小限の「差異」としてしか発見できないような性質のものだからである……複製はほかでもないこの「差異」を無視することによってしか成立しない。なぜならば、一般に完全な複製とされているものも、その物質的条件――たとえば見るひとの目の位置、置かれた場所、そのときの精神状態といった偶然的要素――に着目した途端、ひとつとして同一のものがないことがたちどころに暴露されてしまうからである。(椹木 1996a, 131–32)

「サンプリング」は決して「オリジナル」と同一にはなれない。同一とは、「完全なる複製」とまったく同義なのだが、椹木が知覚していた「挙体性起」の世界においては、「オリジナル」と「完全なる複製」の同居は不可能である。なぜなら、「オリジナル」が「存在」している瞬間と、「オリジナル」とその「複製」が同時に「存在」している瞬間とでは、各々の瞬間の「全存在」の布置が変更されてしまっている。「オリジナル」即全存在、「複製」即全存在という「挙体性起」の世界において、まだ「複製」が「事」として存立していない場合の「オリジナル」と、「複製」が同時に「事」として存立している場合の「オリジナル」とでは、その「挙体性起」における「全存在」の「事」としての顕現がまったく様変わりしてしまっているはずなのである。したがって、上の引用では、「挙体性起」における「複製」の不可能性の考察をとおして、「事事無礙」であるから「理事無礙」という論理への入り口が準備されていたといえるだろう。

しかし、微妙な点もある。確かに、椹木はこの「創造不断」という世界の実相のもとでのみ「サンプリング」が可能であるという。

「サンプリング」が可能となる次元とは、あらゆる出来事がその所属する固有名を離れ、ただ使用可能なツールとして「現在」に立ち現われる世界である。そのような「現在」をそのつど反復し、過去と未来を絶えることなく忘却し続けてゆく人は分裂症者と呼ばれるだろう。(椹木 2001, 168)

もしも、世界の根源に「空」ないし「無分節的「理」」を看取し、そしてなぜそれが「存在」に至るのかに思惟をめぐらせ、とうとう<端的な「無」>の可能性をも看取できたのならば、人はわざわざ「忘却し続け」なくとも、すでに「忘却」しているはずである。そのような世界の実相においては、我々の記憶も含む「全存在」が、そのつど「空」という絶対無分節の次元に帰還する。だが、何かしらの仕方で<端的な「無」>が「空」を破り、次の瞬間、我々の連続的な記憶ともども、「全存在」が、なぜか顕現する。だから「忘却」は、そのつど勝手に「空」に帰還することによってすでに実現しているし、また、連続的に錯覚してしまうほどの記憶も、じつは、<いま・ここで=現に>の記憶でしかなく、前後から全く際断されてしまっているはずだ。にもかかわらず、「サンプリング」によって「忘却し続ける」分裂症者が、椹木の関心を掴んではなさないのである。したがって、椹木は一度<端的な「無」>の可能性ないし世界の「無根拠性」にまで、思惟をめぐらせたにもかかわらず、この末恐ろしい可能性に蓋をし、それらを「空」とすげ替え、いや、それどころか、あたかも記憶が「創造不断」から逃れた連続的なものとしてあつかってしまうのである。これこそが「アンダーグラウンド・ミュージック」において「読む」ことができる「東洋」哲学の根本問題である。<端的な「無」>からの撤退である。

5おわりに

「アンダーグラウンド・ミュージック」をめぐる諸言説を「東洋」哲学の観点から「読む」ことで、<端的な「無」>の可能性の直覚や、そこからの撤退、あるいは、「空」や「無分節的「理」」という次元において、それをあたかも「無」であるかのように振る舞うという事態が明らかになった。また同時に、<端的な「無」>や、「空」という思惟の地点から、多様な音楽的態度、表現が生じることも明らかになった。振り返れば、「空」という次元の直覚からは生起したのは、片や、サン・ラの「絶望」であり、片や、サイボトロンの「クリア」であった。

このような「読み」は、我々の違和感を説明する1つのツールにはなりうるだろう。サン・ラの「絶望」と、クリントンの相対化の戦略を比較したとき、より現実社会において強いインパクトをもったのがクリントンであり、その陰で、サン・ラの「絶望」が我々に違和感を覚えさせるという感覚的事実には、「空」の次元まで思惟を徹底したか否かに要因の1つを求めることができるかもしれない。

さて、以上の「東洋」哲学的「読み」は、ナンカロウ論の部分でも述べたように、きわめて恣意的で、根拠薄弱といわざるをえないものなのかもしれない。少なくとも「何某科学」といわれるような学問の水準に達していない。だが、確かにそれらの「読み」は可能なのだ。そして、この「読み」は対象に何かを強いたりはしない点で、種々の学術界における言説よりも謙虚とはいえないだろうか。もちろん、まったく強制のない言説などというものは幻想だろう。本論も何かしらの強制力を纏っていることは否定できない。しかし、本論は、対象をあの手この手で枠組みに閉じ込めるよりも前に、対象の動的なあり方が前景化せざるを得ない仕組みを採用している。

本論の対象は筆者の主観的な「アンダーグラウンド・ミュージック」である。その主観と、読者の主観とのズレは、普通であれば、単に両者を精緻に比較することで、平均化することができるだろう。しかし、本論で明らかにされた「読み」は、このズレの比較に再帰的に介入してしまうだろう。筆者には、もはや他者の目下にひらかれた<いま・ここで=現に>が、自らが知る<いま・ここで=現に>と同じものだということはできない。この事情は読者にとっても同様なのではないか。ゆえに、対象の実体は確定できない「空」の如きものとなる。筆者の主観と、読者の主観との間で、無数のコンテクストが生成される。コンテクストが生成されるほど、対象の実体はぼやけていく。そして、対象の動作範囲は無限に拡張されていく。本論が振るった強制力の拘束性は、この仕組みによって生みだされる余白を縛れるほどのものではない。このようにして、対象はより「謎」を深め、自らの可能性を深める。

ドイツの文学作家、ライナルト・ゲッツは1990年代以降、テクノ、レイヴ、ドラッグといったクラブ・カルチャーと密接に関係したテーマ群について、自らの体験をもって描写・記述している。

ゲッツが試みようとしているのは、生活実践上の様々な体験を知的な思考によって分類し、整理し、文脈化することによって何かしらの答えを導き出すことではなく、そのようなプロセス自体を、「現在」を描写することによって揺るがし続けることである……示し続けること、書き続けることによって、知的省察が答えという終着点へと行き着くのを拒み、またそれとは別の思考プロセスを不断に生じさせることこそが、彼にとっては重要である。(木村 2014, 89–90)

ゲッツのこの不断の描写には、ゲッツの<いま・ここで=現に>的な、共約不可能性の認識が潜んでいる。ゲッツにとって信頼に足る記述というものは、あくまでもゲッツ自らにおいてのみ信頼できるのであって、記述のプロセスは延々と揺るがされ続ける。

ゲッツは自らその中に入り込んでいき、ドラッグやダンスといった体験を自ら試み、そこにいる人々と実際に触れ合った。それによって、彼にとっての「現実」が「信頼できる[authentisch]」ものとなるのだが、そのような体験は「言葉によってはコミュニケートできないもの」である……。(木村 2014, 74)

斎藤は、ロシア文学論において、<いま・ここで=現に>の意味を確定させた。このとき、他者においても「私」が確認するところの<いま・ここで=現に>がひらけているかどうかは、いかなる思惟をもってしても、推察とならざるをえない問いとされた。この事態と、「言葉によってコミュニケートできない」というゲッツの共約不可能な体験は、同じ世界の「無根拠性」の認識に根ざしているといえないか。というのも、<いま・ここに=現に>は「私」のもとにおいてのみ、そのように表明することができるのであるからだ。「他者」の体験に<いま・ここで=現に>が保証されていない状況下でのコミュニケーションは、どうあがこうが根拠に欠けるのである。

この根拠のなさこそが、本論の通奏低音である。本論は、ゲッツがただ「書き続け」たように、何かを何かに固着させることをひたすらに拒み続ける。そして、同時にこの不断の記述と、読者の側における不断の結論の留保が交わるとき、新たなクリエイションの可能性がひらかれるだろう。

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付録:トラックリスト

本書で取り上げた「アンダーグラウンド・ミュージック」を手っ取り早く体験するためのトラックリスト。一聴すれば、この命名儀式がどれだけ恣意的なのかがわかるだろう。そしてまた、読者にも、朧気に筆者の色眼鏡が視野に被さりはじめるだろう。以下の楽曲は、2019年7月23日現在、YouTubeにて全て視聴可能である。

Mr. Fingers / Can You Feel It

Cybotron / Clear

Kraftwerk / Trans Europe Express

Donna Summer / I Feel Love

808 State / Pacific 0101

Galaxy 2 Galaxy / Jupiter Jazz

Underground Resistance / Eye of the Storm

Octave One / I Believe

Rhythim is Rhythim / Strings of Life

Rhythim is Rhythim / Beyond the Dance

Jeff Mills / The Bell

Juan Atkins / Track Ten

PLASTIKMAN / Spastik

Richie Hawtin / Consume

Steve Reich / Come Out

Conlon Nancarrow / Study No. 40a

Philip Glass / Two Pages

Karlheinz Stockhausen / StudieⅠ

Oval / untitled [= 1st track in Ovalprocess]

Otomo Yoshihide & Sachiko M / Filament 1 – 3

John Cage / 4’33”

Sun Ra / Space in the Place

Funkadelic / Maggot Brain

DJ Spooky / Hologrammic Dub

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