百物語 第六十夜
黄金色
夜明け前
輝く空
輝く地面
父さんが買ってくれた靴
あなたの大好きなイチョウ
あなたの大好きな父
あなたの大好きな父が買ってくれた靴
あなたの嫌いなギンナン
地面に転がったギンナンをよける身軽なあなた
そのあなたの様子
夜明け前
この銀杏並木のあなた
気持ちを冷めさせる秋の空気
つぶれたギンナンの匂い
人の内側の匂い
人が腐っていく匂い
僕の生家は戦前からそれなりの土地持ちだったらしい。
戦争が終わっても、うちは裕福だったと思う。
それを子供だった僕にさえ実感させるのは、広い家のことだった。
敷地も広い。
そう、その話だった。
母屋へと向かう進入路の両脇には大きいイチョウが並んでいた。
秋、美しく輝く黄金色を彩る一方で、
ギンナンがつぶされたイヤな匂いがたゆたう。
それがこの季節の記憶だった。
僕には姉がいた。
ふたつ年上の九歳の姉。
隠したって仕方のないことだから言っておく。
僕は姉さんが好きだった。
たった七歳の僕だ。
この好きは児戯に過ぎないのかもしれないけれど、
僕は姉さんのことが好きだった。
愛していた。
僕は姉さんと結婚をして、
子供をつくり、この広い家で幸せにすごす、
そう本気で思っていた。
隠したって仕方のないことだ。
九歳で死んだ姉の話だから。
あの日の朝方。
僕は父さんに喜んでもらおうとギンナンを拾っていた。
父さんはギンナンを肴に飲むのが好きだった。
幼かった僕をそう駆り立てたのは、
子供の僕にでもわかるあからさまな父さんの姉さんへの贔屓だった。
この間も、姉さんは父さんとふたりで汽車をを乗り継ぎ銀座までいき、
デパートで綺麗な靴を買ってもらっていた。
姉さんはギンナンが嫌いだった。
正確にいうとイチョウは好きだったようだけれど、ギンナンのあの匂いが嫌いだった。
秋になり、地面にギンナンが転がり始めると踏みつぶさないように、
ぴょこぴょこと避けてあるいていた。
その様子が、とても愛おしかった。
僕は姉さんには出来ないギンナンを拾うことで
父さんに取り入ろうと考えたわけだ。
まだ外は夜だった。
イチョウ並木で僕はしゃがみ込み、籠に拾ったギンナンを集めていた。
僕の指先はギンナンの匂いが染み付いてた。
人の内側の匂い。人が内側から腐っていく匂い、姉さんはギンナンの匂いを常々そう言っていた。
地面に這いつくばってギンナンを拾っていると、視界に真っ赤に輝く靴が見えた。
姉さんがこの間、父さんに買ってもらった靴だ。
姉さんのお気に入りの靴。
「姉さん?」
そう言って顔を上げると、寝間着にあの靴を履いた姉がいた。
表情は見えなかった。
姉さんは一歩前にでた。
僕が丁度拾おうと思っていたギンナンを、あのお気に入りの靴で踏みつけていた。
僕は急に怖くなった。
「父さんがね、さっきお利口になるおまじないをしてくれたの」
姉さんは僕を突き飛ばした。
背中でギンナンがぐにゅっとつぶれたのがわかった。
イヤな匂いが漂う。
僕は姉さんから目が離せなかった。
姉さんは寝間着の裾を上げて、お前にも教えてあげる、とまた一歩踏み出し、あれだけ避けていたギンナンをまた踏みつぶしていた。
僕は大声をあげて母屋へと駆け出していた。
朝の出来事を父さんに伝えたのだが、狐に衝かれたのかもしれない、そう言って黙り込んでしまった。
イチョウ色のあの獣のせいで姉さんはおかしくなってしまった。僕は父さんの言葉を聞きそうおもった。
この日の夜。
姉さんは死んでいた。
母屋の離れで。
つぶれたギンナンの匂い
人の内側の匂い
人が腐っていく匂い
落ち葉
重なる
真っ赤な靴
あなたが好きだった靴
あなたが好きだった父
獣が越えるべき冬
厳しい季節
その前の美しい季節
表情のないあなたの顔
あなたの顔
秋の空気
ギンナンの匂い
落ち葉の寝床に横たわるあなたは
それでも美しかった
これは絶望
これは絶望
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