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私が「古民家」に惹かれる理由

旅をしているとき、
ついつい探してしまうのものがあります。

古民家などの古い建築を、リノベしたカフェやホテル。古きを活かして、新しい空間を作っている場所。

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年季の入った木造建築、力強い梁、自然光が生きる明るすぎない室内、寛げる縁側。
ああ、なんて落ち着く場所なんだ。。。

私はthe日本家屋にリアルタイムで住んだことはないですが、
それなのに、居心地の良さや、古いものの「味わい」を感じずにはいられない。

それは一体何故なのか?自分の中で掘り下げて考えてみました。

古民家などの「古いもの」を見ると、意図せずに思考が豊かになる説

オープンしたてのカフェ。
黒板や壁に書かれたおしゃれなグラフィック。
ピカピカの床と壁と建物。
theインスタ映えする今風のメニュー、スイーツ。

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※写真はイメージです。笑

こんなお店に行った時、私は何を感じるか?

おしゃれだな。インスタ映えしそうだな。

こんな感想を持つことが多いなと。もちろん、料理がめちゃくちゃ美味しい!とか、そういう部分で印象に残ることはあっても、「空間そのもの」に関しては、よっぽどのインパクトがないとあまり記憶に残らないことに気付きました。

一方、古民家のような、古い建物や素材を生かし、新しい場を作っているような場所へ行くと、

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おしゃれだな、素敵だな、落ち着くな、という感想の先に、
この建物、いつからあるんだろう?
どういう人が住んでたんだろう?
私の家も昔はこんな感じだったのかなあ?

など、次から次へと妄想が膨らんでいきます。
(と友人に話したら考えすぎだよと言われましたが笑)

もっと妄想が加速すると、そこに着物を着た昔の人がいて実際にこんな風に暮らしていたのかな?というシーンさえも、想像してしまうのです。

私は妄想をしがちなので極端かもしれないですが、笑

普通の人でも、
年季入ってるな〜、木が太いな〜、おばあちゃんの家みたいで懐かしい!のような感想を多少なりとも持つのではないでしょうか。

明らかに、都会にあるツルツルピカピカのおしゃれなカフェよりも、無意識のうちに「思考」を生み出してくれる、そんな気がしてならないのです。

古いものは、存在自体が違和感である

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そもそも「違和感」とはどういうことなのか?

少し話はそれますが、私は普段、企画を仕事にしているので、企画を考える時に受け手側に「良い違和感」を与えられるか?を、とても注意深く考えるようにしています。

なので、日常でも自分の違和感の原因を観察するように心がけています。

というのも、「良い違和感」というのは、極めて自然な形で人の"かかわりしろ"を作る。つまり、モノゴトに対して何らかしらの「関与」を生み出すのではないか、というのが、今のところ私自身の経験則としてしっくりくる仮説です。

例えば、砂漠の真ん中に椅子とテーブルがポツンと置いてあるとする。これをみた人は、こう思うのではないでしょうか。

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「こんなところに、なんで?」

誰が運んだのかな?座って休憩してくださいってこと?写真を撮る人もいるかもしれない。

こうして「違和感」は、無意識のうちに、受け手側の自発的なアクションを生みだすことができるのではないかと考えています。

そこに椅子が無かったら、その場所は素通りされていたかもしれない。違和感のお陰で、ちょっとばかりその場所やその椅子は記憶に残る存在になる。(ことができるかもしれない)

つまり、違和感の正体は、関与の余白=受け手側の自発的な問いや思考を生むトリガーなんじゃないかと密かに思っているのです。そしてそれは、押し付けがましくなく、受け手側の想像力に委ねられる。

また、違和感を感じるための要素も、いくつか仮説があり、今回当てはまる要素は「既知と未知のバランス」です。

私がどうも惹かれてしまう、
古い建物、色褪せた壁、レトロな佇まい、今時珍しいブラウン管のテレビ。

これらは私にとって大いに違和感のある存在なのです。

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既知と未知のバランス

私はこの古民家に誰かが暮らしていて家として機能していた、ということは知っていますが、実際にそんな古い家で暮らしたことはないです。

だからこそ、知っているけど見慣れない。

わかるようで、完全にはわからない。

これが、違和感の正体なのかもしれません。

そして、このバランスがとても大切。
なぜかというと、人間、完全に未知なものだと自分の中に判断の軸がないので、「違和感」を感じるのは難しいからです。

そして、逆にわかりやすく既に知っていると思ってしまうものは、「ああ、ハイハイ、こういうことね」と、簡単に片付けてしまいがちです。完成度の高いものは、自分の中で整理されて消化されてしまうと思うのです。

だからこそ、ちょっとずれているもの、未完成・不完全のもの、違和感があるもののほうが、とっかかりがあり記憶に残る。

古いものというのは、とても良いバランスで「わかるようで、わからない」が詰まっていて、違和感を生み出してくれるのではないかと考えています。

違和感というのは、意図して作ろうとすると中々難しいものです。(もちろん作れる部分もたくさんありますが。)

年季の入った古いものというのは、今の時代に残っていることの存在自体が異質なもの。

その一方で、どこか見たことがある懐かしさやノスタルジー、人によってはテレビや映画の世界での既知を感じる。

この不完全な既視感や既知感を誘発するからこそ、私が無意識のうちに古民家に惹かれる理由の一つなんじゃないかと考えているのです。

昔の時代に思いを馳せるきっかけをくれて、いつだって自分の感性を刺激してくれる、古いモノや古い建物。

長い歳月をかけて味わい深さが増していく素敵な文化と出会えると思うと、まだまだ旅を続けたいなと思う今日この頃です。

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kobamiho/ 小林未歩
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