和製ベアフットシューズ!マラソン足袋とオリンピックランナーの金栗四三さんをご紹介
お久しぶりです
こば@kobakutsuです。
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金栗四三とランニング足袋
今日はちょっと面白いお話をシェアしますね。
わたくしごとですが、今年の福岡マラソンへの参加が決定し、1ヶ月100kmを目標に走っています!そんな中、ふと、帰郷の英雄を思い出しました。
熊本県玉名市出身のオリンピックランナー
金栗四三(かなくりしそう)さんです!
ざっくり言うと
金栗さんはオリンピックランナーという経歴もすごいのですが、それ以上にレースで履かれた靴もすごい!日本のマラソンの歴史に欠かせない「マラソン足袋」です。
わたしもワラーチというメキシコ北西部のベアフットシューズを履いています。うつつを抜かしていますが気になる訳ですよね。昔から履き慣れた足袋で走られたって!
ということで調べてみました。
金栗四三とマラソン足袋の出会い
まず、時は明治時代。
日本の長距離ランナーたちは、軽さを求めて普通の足袋を履いて走っていたんです。1911年、ストックホルムオリンピックの予選会で足袋を履いて当時の世界記録を27分も縮める2時間32分45秒という大記録をだされました。
しかし、金栗四三が履いていた足袋は
長距離に耐えられず、ボロボロになってしまったそうです。
その結果、彼は裸足でゴールする羽目に。
(世界記録を27分縮める)
これじゃあ、オリンピック本番で戦うのは無理だと、彼は思ったんです。
播磨屋足袋店との運命の出会い
そこで、金栗四三は東京高等師範学校(今の筑波大学)の近くにあった「播磨屋足袋店(はりまやたびてん)」に相談しました。
足袋職人の黒坂辛作(くろさか しんさく)さんは、足袋の底を三重に補強することで「マラソン足袋」を完成させました。でも、問題はまだ終わりませんでした。
ストックホルムの道路は石畳で、日本の土の道とは違い、足にとても負担がかかったんです。
カナクリ足袋の誕生
金栗四三はさらに改良を求め、黒坂辛作さんは足袋の底にゴムを貼り、小鉤(こはぜ)をなくして、靴ひもで締める「カナクリ足袋」を作り上げました。
この改良版の足袋が、大きな成功をもたらしました。
オリンピックでの成功とその後
ただ、本番のストックホルムオリンピックでは、レース途中の26.7km地点で日射病により意識を失って倒れ、近くの農家で介抱され棄権扱いとなったそうです。
でも、カナクリ足袋は受け継がれます。
1928年のアムステルダムオリンピックでは、カナクリ足袋を履いた山田兼松(やまだ けんまつ)と津田晴一郎(つだ せいいちろう)が入賞しました。そして1936年のベルリンオリンピックでは、孫基禎(そん きてい)が金メダルを獲得するなど、素晴らしい成績を残しました。
すごい!
進化する足袋とハリマヤの変革
戦後、黒坂辛作さんは息子に事業を引き継ぎ、ハリマヤ運動用品株式会社となりました。新しいマラソンシューズの開発に取り組み、1953年のボストンマラソンでは、日本のランナー全員がハリマヤのシューズを履いて、山田敬蔵(やまだ けいぞう)が優勝しました。
現代のマラソン足袋
今でも、マラソン足袋やランニング足袋は改良され続けています。例えば、ドラマ『陸王(りくおう)』で使われた「きねや足袋」の製品や、金栗四三の出身地・玉名市(たまなし)で作られている「KANAKURI」などがあります。
[きねや]のランニング足袋『無敵』
参考文献はこちら
まとめ
マラソン足袋の物語は、金栗四三の挑戦と黒坂辛作さんの創意工夫から始まりました。この足袋は、ただのランニングシューズ以上に、日本のマラソンの歴史を形作った重要なアイテムなんです。
これからも、ランナーたちに愛され続けることでしょう。
興味が湧いたら、ぜひ調べてみてくださいね!
それでは、次回のブログでお会いしましょう!
いってらっしゃい! 😄✨