谷崎潤一郎の『捨てられる迄』を読む 幻影の為に生命を捨てる男女
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立ち読みでどこまで「読む」ことができるのか、「読む」とはどういうことなのか、そのあたりのことが比較的平明に、具体的に書けたんじゃないかと思っています。村上春樹さんの『一人称単数』に「は?」な人も「む?」な人も、「そういえば」「へー」と感じていただける筈です。おまけですが、ビートルズとの関係に関しては「ハッ‼」とすることも書いています。無料なので、とりあえず落としておいてください。★★★★★高評価よろしく。
前回私は『熱風に吹かれて』に関して、夏目サーガ、村上サーガのような谷崎サーガの予感を述べていた。『捨てられる迄』はまさにそうした私のnoteを揶揄うような設定である。
健康で美しい三千子は自分以外とは関係するなと『熱風に吹かれて』の英子が輝雄にしたような約束を翻訳家山本幸吉に押し付ける。そう気が付いてみれば、この手の約束は『颶風』にも見られたものである。『捨てられる迄』は三千子を愛した幸吉が捨てられる迄の話である。
いや、まさかね。
『捨てられる迄』は幻影の為に生命を捨てる男女の芝居の話である。ひっかかるのは恋愛論として、あるいは芸術論として、セクソロジーの問題として、果たして幸吉が女々しくならなくてはならなかったか、という辺りの事だ。
この『捨てられる迄』は少々複雑なロジックで組み立てられている小説である。まず「表向きには」幸吉が女性化する。いつのまにか自分を「あたし」と呼び、捨てないでくれと「女々しく」三千子にすがり、三千子と三千子の嫂と三千子との縁談がある杉村という若者になぶられて捨てられる。大きく括ればそういう筋に見えなくもない。
見えなくもないがこれは芝居だ。
そういえば『颶風』の直彦は自らの体が自慢であった。まるで女のように、安々と異性に触れられることを拒み続けた。ただそこにはあからさまな女性化というような傾向は見えなかった。男が男として、そのプライドに於いてやすやすといい加減な女には触れられたくはないという一種の潔癖さに見えた。しかしこうして『捨てられる迄』で「自分の性が次第々々に女性の方へ轉化して好くうに覺えた」と述べられてしまうと、『颶風』の直彦の性質の根に、そういう要素もなかったかと疑わざるを得ない。
この後に続いて述べられるワイニンゲルの説「世の中に完全なる男子や完全なる女子が存在して居ない」は、極めて現代的で科学的な知見である。現在では生別とはグラデーションであると考えられている。この程度の脅しに、悪魔的だのなんだのと腰が引けてしまった当時の評論家たちはいささか滑稽に過ぎるのではなかろうか。
また幸吉は化粧をする。衣類に執着する。それはつい『秘密』の女装を思い出させる。そしてこうも考え始める。
ここで突然現れた「芸術的生活」という言葉には注意が必要だろう。幸吉は芸術的生活を求めている。堕落しようというのではない。あくまで高みに登ろうというのだ。真実の恋愛の結果齎される女性的感化、女性的生活、芸術的生活…。これは幸吉という個体にあてがわれたかりそめの方便ではなく、万人に共通した真理であると言わんばかりである。何しろそれ以外の恋愛は虚偽だというのだ。これでは女と「男女」との恋愛しか真実ではないという理屈になる。これはかなり際立った発想ではなかろうか。そもそも沼昭三は中には見られないものだ。これはもうセクソロジーの話でもなくなる。芸術と恋愛の話なのだ。私はここにやはり「屈折」なり「混線」を見るが、この問題はおそらく後に掘り下げられるであろうから、ここではさておく。
そもそも幸吉はこう考えていたのだ。
この時点の谷崎の考えでは、天性のドミナなど望むべくはなく、不味い所には目をつぶり、美貌の女の知性の足らぬところに気が付かないふりをしてなんとかドミナを育て上げるしかないという理屈になる。幸吉は三千子を自分の嗜好に適するように薫陶したいと考えていた。三千子に自分の幻覚を表現させようとした。三千子は幸吉の創作物なのだ。幸吉は三千子に武器を与えた。「恋愛は芸術である。血と肉とを以て作られる最高の芸術である」と信じていた。三千子は更に美貌を増していくように感じられた。
ところが正月三日、三千子の家へ寄った際、幸吉はベルモットで酔っぱらった三千子の態度に幻滅する。
孔雀のように驕り高ぶった普段の三千子の美しさはどこにも見当たらなかった。酔っぱらってお里が知れたということだ。幸吉の幻覚が破壊された。嫂と酒に蹂躙された三千子のふがいなさを憎んだ。幸吉はそもそも三千子を本当に悧巧な人間だとは思っていなかったが、これほどまでに馬鹿だとは思っていなかった。
ここで幸吉は妙なことを考える。こうした場合男は情婦を殺したくなるのではないかと。ここは感情ではなく、理屈である。理屈の上では、自分も三千子が執念深く付きまとってきたら、おそらくそんな気持ちになるだろうと。
次に嫉妬からくる憎悪には、それと矛盾した愛着、憧憬、崇拝というような甘い感情が潜んでいる、とする。
一方ディスイリュージョンからくる憎悪の裏には憎悪のほかに何もないとする。獰猛に、無邪気に、虐待し、除去すべきかと考える。幸吉の頭は、こちらの考えに傾きかけていた。ところがそこへ杉村が現れ、三千子に首筋を按摩させられる。このことで幸吉の憎悪は別の感情に変化する。杉村を利用して自身の美を発揮することで幸吉に媚びる三千子によって、幸吉は自分の価値が強調されたように感じる。
ここから複雑である。
幸吉の胸には三千子の酔態に対する蔑みと、杉村に対する嫉妬、嫉妬からくる愛着が渦を巻く。三千子は最初に想像したよりももっと浅はかで薄っぺらくて愚かな人間に感じられる。しかし幸吉は三千子を捨てる気になれない。何とも言い難い不愉快な気分になりながら。
ふう。
谷崎には随分妥協がありすぎる。三千子を逃してしまえば、幸吉にはもうドミナは現れないだろうと妥協している。コンコルド効果という認知のバイアスに陥っている。損切が出来ない。三千子は切られてしかるべきところを、幸吉に難平される。難平でもないな。幸吉は全部を三千子に賭ける。
幸吉は自分が作り上げてきた幻覚、仮面を再び三千子につけさせようとする。そして自分が本当の弱者であると「告白」する。そして二人の関係を転倒させようとする。恋人の前にひれ伏すことでようやく現れるのが「芸術的生活」論なのだ。幸吉は三千子に女王の宝冠を捧げた。陰険に、徐々に、三千子に諂い、三千子を自然なままの、雄大な素朴な、原始的性格に育てた。三千子は非女性化する。
そのうち三千子は両親から杉村と結婚するよう迫られる。
三千子は二人で逃げようと幸吉に持ち掛ける。その一連の会話の最中に、幸吉の自称が「僕」から「あたし」に変わり、三千子に対する言葉遣いが、丁寧語から敬語に変わる。
ここでやっと笑いが起こるのではなかろうか。何のかのと理屈を言いながら、ここはやはり滑稽な芝居を見せている。立役が即席の女形の所作をして笑わせようとしている。
幸吉は結婚できなかったら一緒に死んでくれと三千子に約束させる。しかしこの芝居は心中ものではない。
こんな哲学を抱きながら、幸吉の芝居は、俗に流れていく。
三千子はこの女々しい幸吉をなぶっていく。泣かされる。どういうわけか嫂も参加する。そしていよいよ三千子は杉村と結婚すると言い出し、幸吉は死のうと覚悟する。実際の死は描かれないが、どうも死にそうな終わり方である。幸吉の死はまるで臭い物に蓋をする殉死である。幸吉の芝居はバレない。なんなら谷崎潤一郎は信用できないと言い出す者がこの百年間、一人として現れなかったのがその証拠だ。谷崎潤一郎は悪魔的な変態作家、マゾヒズム文学の第一人者だと信じられ続けてきた。そんな馬鹿な話はなかろう、と私は考える。感覚ではなく、ロジックで。
実は幸吉の創作に関わらず、三千子はそもそもドミナの資格を有していたかも知れないと疑わせるような記述がある。
この三千子の杉村の兄を虜にしていたという自慢には確かにハッとさせられるものがあるが、〇〇と云ふ有名な婦人科専門の医学博士が、酔ひに乗じて密かに彼の女の手を握らうとしたは偉大なる魅力の証拠ではあるまい。田中康夫が自分の指をべろべろ嘗めたと岡本夏生が自慢しているような話になっている。個々の捉え方ひとつで話が変わってくる。有名な婦人科専門の医学博士が、酔ひに乗じて密かに彼の女の手を握らうとしたのがそんなに自慢になるだろうか? なります? ならないよね。まだ握られてないんですよね。しかも有名な婦人科専門の医学博士ってじじいですよね。これ何の自慢? はばあに傷口舐められるみたいな話ですよね。解りますかここ。これ試験に出ますよ。そりゃ生きていれば皆色々ありますよ。これ、谷崎はわざとこのエピソードを選んでいる訳です。落しています。ここをしっかり捉えよう。こんな女をドミナとして選んだから、幸吉は死なねばならなかったのだ。幸吉、改めて思えば、なんとハッピーでラッキーな名前であることか。こんな名前の持主は大抵不幸を抱えている。
【余談①】『捨てられる迄』の言葉たち
服部の大時計
翹望 ぎょうぼう 首をながくして待ち望むこと。翹はすぐれる/ひいでる/つまだてる/あげる
チヨツ
すつくりと
Consumptive 肺病の
狡計 こうけい 悪賢いはかりごと。 悪計。
三銀 (・・?
博品館
Rendezvous ランデブー
拐す かどわかす
自動電話 交換手を要せず、ダイヤルまたはプッシュボタンで直接相手にかけられる電話。
雀躍 じゃくやく こおどりして喜ぶこと。雀が小躍りしているのを見たことはないけれど。
セゼッション
ウオルター・ペーター
マリウス・ゼ・エピキュリアン
花柳病 性病。 梅毒、淋病、下疳など。
情実 私情がからんで、公平な(または、強い)処置がしにくい事柄。また、そういう状態。
妬刃 ねたば
マリシャス 意地の悪い、悪意のある、害を及ぼそうとする
別懇 特別に懇意なこと。とりわけ親しいこと。
笄 こうがい かんざし みないね。
鄭寧 ていねい 丁寧 叮嚀
追窮 どこまでも深く追って、明らかにしようとすること。
連中 ?
機嫌買い 相手の機嫌を気にして、うまく取り入ろうとする人。自分の気分ですぐ、他人に対する好悪(こうお)の感情が変わる人。
壯俳 役者
ロシアと中国では明らかに和製が人気。
Rishabh Pantは、半世紀の得点で歴史を築きました。KapilDevを置き去りにして、記録の詳細を知ってください。
そんな組織もありますね。いつも、何時の時代にも。でも、そこがすべてではない。そうではない世界はある。