芥川龍之介の『地獄変』をどう読むか③ その炎が良秀の姿を照らした
この世でもあの世でも夏目漱石論者程みっともない存在はないでしょう。
少し意地悪く遅いタイミングで書きましたが、『三四郎』の「知らん人」や『それから』の緑色の液体を出す植物や、
この『彼岸過迄』の「怪しい色をした雲」などについてきちんと理解している人はいないでしょう。それどころか『こころ』では話者の立ち位置が掴めず、随分適当なことを書いてしまいます。
島田雅彦や高橋源一郎は『こころ』のKが苗字ではないことに気が付きません。まあ、「怪しい色をした雲」はさておき、『こころ』のKが苗字ではないことくらいは論理的に読んていけば解る筈のことですが、案外そんなことが国語教師にも難しいようです。
この方は文体論が専門の学者さんで、最近は中国語研究の本も出版されている所謂読みのプロです。そのような方でさえこうして✖「妻が出て行く」〇「自分が出て行く」というようなごく単純な読み間違いをされています。
ここはこれまでの村上春樹作品が「消え去った女は二度と戻らない」というパターンであったものを「まりえが戻ってくる」という形で覆した『騎士団長殺し』という作品に於いて極めて重要なポイントで、「早いセックス」と「川に携帯電話を捨てる」に次いで出題率の高いところです。(何の試験?)
芥川龍之介の『地獄変』で言えばこの辺りです。
この場面はまさに今これから火をかけられる檳榔毛の車に乗せられていたのが自分の娘だと気が付いた良秀の描写です。話者が侍の目線に気がついて良秀を見ます。その前は良秀の娘を見ていました。
この後の良秀の行動、動作、それが話者にどのように映ったのか説明できますか。
まず「今まで下に蹲つてゐたのが、急に飛び立つたと思ひますと、両手を前へ伸した儘、車の方へ思はず知らず走りかゝらうと致しました。」
ここまでが明示的に示されていますね。
あとは話者にとっての見え方です。「色を失つた良秀の顔は、いや、まるで何か目に見えない力が、宙へ吊り上げたやうな良秀の姿は、忽ちうす暗がりを切り抜いてあり/\と眼前へ浮び上りました」とあるのを、私は初見で歌舞伎芝居の黒子が良秀を持ち上げるような形で宙へ吊り上げたのかと思いました。侍たちに帯でも摑まれたかと思ったのですね。
しかしそれは誤解です。
ここです。「足を止めて」とあるので地に足は着いています。つまり宙には浮いていません。侍は良秀を持ち上げてはくれません。そもそも「柄頭を片手に抑へながら」とあるので、なにかことがあれば侍は刀を使う段取りです。優しく抱きかかえてなどくれません。ここに黒子はいなかったのです。
そうなると「色を失つた良秀の顔は、いや、まるで何か目に見えない力が、宙へ吊り上げたやうな良秀の姿は、忽ちうす暗がりを切り抜いてあり/\と眼前へ浮び上りました」とは、顔貌がはっきりしなかったところが、はつきりしたということですよね。ここで、書かれていて、書かれていないことが何かというと、
①話者は薄暗がりではっきりしない良秀の顔を見ていた
②一瞬後その姿はありありと見えた
③話者の視界の外側で松明が用意されてその炎が良秀の姿を照らした
……ということではないかと思います。いや、そんなことは書いていないと云われればその通りなんですが、暗くてはっきり見えなかったものがありありと浮かび上がるということは、光源が増えたということではないでしょうか。私が映画化するならそういう台本にします。話者の視力が急に良くなったと仮定した場合、そこに詰め込まれるべき書かれていない要素が多すぎます。
これが論理的に読むということです。