岩波書店『定本 漱石全集第五巻 坑夫・三四郎』注解に、
……とある。
坑夫の病気は日露戦争で大量の死者を出した脚気ではないかと考えられる。戦地で脚気を発症し重症化した場合は内地に送られるか、要所である金州病院等に入院させられたものと思われる。
内地に送られる経路は様々ではあろうが、旅順攻撃の進路が注解にあるとおり「日清戦争時に日本軍は花園口から上陸して、金州を通過して旅順攻略に向かった」というものであれば、引き上げ時にはやはり逆に金州を通過することが予想される。
あくまで状況証拠ではある。しかし金州という言葉が戦場・戦地と結びつけられ、病院・退路と結びつけられた時、そこで最も多くの日本兵の命を奪った病名が脚気であれば、ここは素直に金州は「金州帰り」あるいは「金州病」としての脚気患者、または病名としての脚気を指すものと考えてよいのではなかろうか。そうでないとすれば、やはり「なぜこの病気の坑夫が「金州」あるいは「金公」「金しう」と呼ばれるのかは不明」ということになるのだが、
この記述から読み取れる病状も脚気を思わせる。ただ残念ながら「金州帰り」あるいは「金州病」という用語の使用例は私が調べた限り見つからなかった。かりにそういう云われ方があったとして、なかなかスパイシーな表現ではあるので、資料的には残り難いところではあろうか。
[付記]
こういう言葉の意味、あるいはニュアンスは、
例えば「大森」なんかと同じでたちまち分からなくなるんだろうな。もう谷崎の語彙なんか、かなり意味不明になっているけど。