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『彼岸過迄』を読む 4379 漱石全集注釈を校正する⑥ 東京言葉とは何か 

岩波書店『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』注解に、

東京語 明治の言語変遷の中で、東京の山の手の中流家庭での言語を基準にして標準語(共通語)が定められたことは意味深い。ここでは、そうした新たに作られた言語体系が、東京で生まれ育った須永にも違和感を感じさせるものとなっているのである。

(『定本 漱石全集第七巻 彼岸過迄』岩波書店 2017年)

 ……とある。この件に関しては私は既に一つのポジションを明らかにしていることから、そのポジション故に反論するのではない。この注解は完全な誤りではないが、私の主張と同程度の独自研究の域を出ない。

 私にはまず須永市蔵が言語学者のような立場から「東京の山の手の中流家庭での言語を基準にして標準語(共通語)が定められた」とか「新たに作られた言語体系」などというものを意識していたかどうかという点は甚だ疑問である。そこにはやはり「滑っこい癖にアクセントの強い言葉で、舌触したざわりの好い愛嬌を振りかけてくれる」須永市蔵の母親へのシンパシーの裏返しがあったとみるべきではなかろうか。

 神戸から来た客の言葉は江戸弁が滓取りされた上澄みのような東京語だったと思うが、その具体的な言葉が示されていないから、それが標準語(共通語)なのかどうかの判断は本来できない筈だ。具体的に示されているのは須永市蔵の母親の江戸の風情の残る語り口である。

 漱石作品は時代の風俗を積極的に反映させており、『それから』でも「好くってよ、知らないわ」という流行語が出て來る。こうした流行語は昔から若い女性が敏感なようで、『彼岸過迄』では田口千代子が松本恒三との間で、

「今夜はいけないよ。少し用があるから」
「どんな用?」
「どんな用って、大事な用さ。なかなかそう安くは話せない用だ」
「あら好くってよ。妾ちゃんと知ってるわ。――さんざっぱら他を待たした癖に」
 女は少し拗たような物の云い方をした。男は四辺に遠慮する風で、低く笑った。二人の会話はそれぎり静かになった。やがて思い出したように男の声がした。
「何しろ今夜は少し遅いから止そうよ」
「ちっとも遅かないわ。電車に乗って行きゃあ直じゃありませんか」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

……と、ちらりと使っている。また流行語かどうかは別として、

「じゃ行かなくってもいいから、あれをちょうだい」と、やがて女が云い出した。
「あれって、ただあれじゃ分らない」
「ほらあれよ。こないだの。ね、分ったでしょう」
「ちっとも分らない」
失敬ね、あなたは。ちゃんと分ってる癖に」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 叔父に対して「失敬ね、あなたは」は標準語(共通語)ではなかろう。私はこういうものが須永市蔵の言う「東京語」ではないかと考えている。すなわち東京語と標準語(共通語)の間には微妙な差があり、市蔵が嫌う「東京語」は言語体系などといったかっちりしたものではなく、ちょっとしたニュアンスのようなものではなかったかと考えている。

現在我邦にわ標準語とゆーものが、まだ存在していない。

(『言語學』保科孝一 述早稻田大學出版部 1800年)

 即ち我國の六七百年代の文章語は、當時の奈良の方言であつたので、語をかへていへば、當時の我國民は、奈良ことばを、標準語として所有したのである。
 先づ小學校の普通教育に於ては、東京言なら東京言の基礎の上に成り立つた標準語の文典が教へられねばなりませぬ。此塲合には、無論口文語の一途に歸したことを豫定します。

(『國語學』八杉貞利 述[哲學館] 1800年)

而て、東京語を標準語たる位置に着かしめたるい、全く東京が、日本全土の中央となれる、政治上の一變動によりて起れるに、過ぎざるおり。

(『日本語学一斑 巻之1』岡倉由三郎 著明治義会 1890年)

即ち讀書の時間の一部を割きて之にあて其時間には專ら標準語の練習を爲すなり。談話科の教科書は言交一致の假名文(若くは漢字の極めて少き文)にて書きたるものを用ふ可し。

(『文字文章改良論』菅沼岩蔵 著嵩山房 1895年)

今日東京語は、幾んど標準語とも云ふべきものあれども、なほ東京のみの方言なしとせず。されば、東京語に據りたる言文一致体は、東京人士には全く通じ得べきも、廣く天下に通ぜさるものあり。これ文學として完全なるものと云ふべからす。

(『詩及散文』大町桂月 著普及舎 1898年)

 松本に宛てた市蔵の手紙には、自身の出生の秘密に関する受容、そして肯定、さらには二人の親への思慕が現れると見た時、

が、僕は今より十層倍も安っぽくが僕を生んでくれた事を切望して已まないのです。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 と直截に表れた生みの親の受容に対して、

月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭な東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 という表現の内に、江戸慣れない東京語の否定→江戸訛の育ての親への親しみが間接的に現れてると見做すことが出来よう。そうでもないと育ての親がいかにも気の毒であり、いささかバランスを欠く。



[余談]

 何度も書くけど、

 これ便利。

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