楠公子房も三舍を避ける謀略さの。いやえらいえらい。
谷崎潤一郎の『お才と巳之介』を読んだ、という人が何人かいるようだが、果たして本当だろうか。巳之助と書いている人もいるし、どうも当てにならない。「女を張る」や「年喰ひ」と云った言葉が世間的に認知されていないことも解った。
私は枝葉末節を言っているのではない。
たとえば淀見軒がアールデコだと知った時、夏目漱石の『三四郎』の見え方が変わるでしょ、と案外肝の話をしているつもりだ。
例えば、「楠公子房も三舍を避ける謀略さの。いやえらいえらい。」この台詞の意味が説明できる人はいるだろうか。
まず楠公が楠木正成、子房が張良であるというところまではいいだろうか。張良は当時「名軍司」として、有名だった。楠木正成も軍事的天才と言われる。「三舍を避ける」も「あなたのために、軍隊が三日かけて進む距離だけ、退却することにいたしましょう」という配慮だったことが解る。しかしこの意味が転じて「恐れはばかって、出会うのを避けること」となったため、「名軍司も慎重な作戦を採る」という意味になるような気がする。
しかしそもそもなぜ楠木正成なのか。何故南朝の忠臣が明治になって長州藩を中心とした新政府によって持ち上げられ、楠公祭などが行われるようになったのか。
何故『The Affair Tow Watches』は足利尊氏は偉いと結ばれるのか?
そういう問題も確かにある。それは本筋ではない。
その一方で作中では「退きて三舎を避く」とはむしろ巳之介の戦法ではないのか、という見立ても可能であろう。三舎どころかどこまでも退いて、結局はじわじわと蛇のようにお才を追いつめていく巳之介の姿が見えている人はどのくらいいるものだろうか。
そもそも「退きて三舎を避く」は遠慮でありハンデであり、謀略ではない。それを謀略に変えるマゾヒズムの凄みを見なくては『お才と巳之介』を読んだとはいえないのではなかろうか。