文学理論と文芸批評②
読みに留まる
『古池に蛙は飛びこんだか』(長谷川櫂・中公文庫)は現代俳人による芭蕉論である。これを極めて短絡的にまとめると、古池に蛙が飛び込むという一連の光景はなく、「古池や」はいくつかの候補の中から選ばれたものであるということ。これは「岩にしみいる蝉の声」でも同じで、二つの世界がぶつかり合う蕉風の開眼が「古池や」だという。この指摘は三百年の曲解を覆す芭蕉論として評判になった。(私はこの成果をけして矮小化するつもりはないので、可能な限り原本にあたり確認して貰いたい。これは確かに面白い指摘なのだ。)
この理屈は読み手の脳内でごく自然に再生される「古池に飛び込む蛙」を否定するばかりではなく、制作過程や作者の意図を前提にした解釈ではあるが、なかなか面白い指摘だと思う。
しかしながら、そもそも「ふるふらぬ」は句の交換可能性を前提にした考え方であり、和歌には写実ではない、読み手の位置のない、言葉遊びの取り合わせがあった。
定家の「駒とめて 袖うち拂う 陰もなし佐野のわたりの 雪の夕暮れ」は長忌寸奥麻呂の万葉歌「苦しくも 降り来る雨か 神(みわ)の崎 狭野(さの)の渡りに 家もあらなくに」が元歌であることから「陰」は家、または小屋のような物陰だと考えられている。
この歌は基本「ないこと」を詠んでいる。ないのは「物陰」である。しかし制作過程を考慮すればそもそもないのは「駒とめて袖うちは払う」人である。それは元歌のイメージを拡張させたものであり、物陰がないのではなく、そもそも定家の目の前には何もないのだ。また理屈を言ってしまえば、物陰はそもそも見えないから物陰なのであり、物陰がないことは観念であり、ないことが見えている訳ではない。そう考えた時、夕暮れ時の雪景色の中、とぼとぼと歩む一騎の人馬の淋しさと、その雪景色事消え去ってしまう「なにもない」感の衝突が見えてくる。
このような意味の衝突が面白い事例として宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』がある。賢治の手帳をみれば原作は「日取リノ時ハ涙ヲ流シ」であり、「日照リノ時ハ」は改変である。しかし『雨ニモ負ケズ』全体のバランスに鑑み、この詩は訂正を肯んじ得ない。確かに「日取リノ時ハ涙ヲ流シ」では全く違う雰囲気の詩になってしまうのだ。そもそも我慢する詩ではなくなる。しかし一旦この「日取リノ時(日払いの時)ハ涙ヲ流シ」を知ってしまうと『雨ニモ負ケズ』を読み返すたびに米の量ばかりではなく、様々な言葉の交換可能性が読者の中で生まれてしまう。
「読みに留まる」とはいかにも謙虚で臆病な態度のようであるが、こうした意味の衝突を含めて「読み」だとした時、このような読みは作品と読者との出会いそのものであり、何百年ぶりかどうかは別として発見的意味合いを帯びたものとなりうる。
パラテクストとメタテクスト
パラテクストはテクストに付随する作者名やその他の情報で、ラベリング、ジャンル分けまで含まれる。メタテクストは註釈、批評である。多くの文学理論の本では印象批評からクイア理論までのジャンルに様々なテクストが投げ込まれ、個々のテクストそのものの批評はされない。あえて言えば、あるジャンルがあるジャンルの批評から生まれたものであることが紹介されるだけである。
そもそも何故文学理論の本を読んでみたかと言えば、自分の文芸批評の方法がどのジャンルに当てはまるものかを確認するためだったのだが、あれこれ読んでいくうち、どうもあれとこれとを組み合わせて意味の変容を面白がるあたりの態度は、あれとこれとをジャンル分けする文学理論に近いスタイルなのではないかと気が付いたのだ。
例えば三島由紀夫と太宰治を組み合わせたところで見えてくる面白さというものがある。二人はハラキリ、シンジューという日本独特の文化を世界に広めた。三島由紀夫にぞっこんだった西部邁は玉川上水に飛び込んだ。それは夏目漱石にぞっこんだった江藤淳が小刀細工で死ぬような捻じれた事態だ。戦後いち早く天皇陛下万歳を叫んだ太宰に対して、三島由紀夫はかなり遅れた。漱石作品と村上春樹作品、『絶歌』と『金閣寺』の話はもう書いたので、ここには『万葉集』と『六百番歌合』の話でも書こうか。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000020262
ここにある通り、万葉集には「いさなとり」という言葉が出てくるも、これは鯨漁を意味しないという考え方がある。
『六百番歌合』で顕昭が「くじらとる」とやってしまって大批判を受ける。
ここで顕昭は「くじらとる」は万葉集に典拠のある言葉であると主張する。『六百番陳状』の中で、珍しく顕昭の分が悪い反駁である。顕昭は古今集の注釈を書く程度に万葉歌に通じているが、明らかに俊成とは別の読み方で万葉集を読んでいるのだ。「おそろしくや」「不気味」の意味が「勇魚取りは単なる枕詞であり、『六百番歌合』当時鯨漁は行われておらず、鯨漁はおそろしく、不気味なイメージだった」として、万葉集の詠まれた時代に鯨漁がおこなわれていなかったという保証はない。「むつきたつ」「たかとり」「かひや」「あまごろも」「あまのまくかた」などの意味について『六百番歌合』では顕昭と俊成のパラテクストが衝突し合う。これが面白い。
また、枕詞というものの不思議さも見えてくる。勇魚取り(いさなとり)が単に海、浜、灘の枕詞であるとすれば、勇魚は取られていないことになる。勇魚取りと書かれているのに取られていないのである。また「草枕」とあれば、既に書かれていない「旅」が書かれている理屈になる。「草枕」ならまだいい。白玉の(しらたまの)では、緒絶の橋(をだえのばし)、姨捨山(をばすてやま)が現れることになる。書かれていないものが現れる。これはプレテクストと呼ぶべきものだろうか?
ん? 違うな。口実だ。こうしてまた私の中のパラテクストが変容していく。その変容がまた何か「喜ばしい」。これが文学の喜悦というものではなかろうか。
根無し草とパラテクスト
そういえば『国歌大観』で『千五百番歌合』を眺めていると、「むめ」なら「むめ」の歌がずらずらとならび、さしたる面白みのないデッドコピーのように擦り切れてしまう感覚がある。
それでも元歌との関係性において、ああ面白い捻りだなというものも見つかる。元歌が解らない「根無し草」ではつまらないものが、元歌に辿り着くとなるほどということになる。この結びついたところに表れる面白さこそがパラテクストをまとめる文学理論そのものではないかと思う。単独のテクスト個々に読むのではなく、パラテクストの中に作品を置くことで現れるメタテクストが文芸批評であるとすれば、パラテクストの取り合わせこそがメタテクストの価値を決める。
このロジックが「たゆたう」ところ、私個人の読書体験こそが「私」がテクストと出会う理由となり得るのではなかろうか。私の読書体験は私自身のものである。それは一人ひとり異なるものだ。その読書体験というパラテクスト性の中に作品を投げ込むことで私だけのメタテクストが生じる。ただそれを誰かに読んでもらうことで、その人の中にまたパラテクストが生じうる。文芸批評とはそうしたメタテクストとパラテクストのたゆたいによるぐるぐる批評であるというのが今の時点の立ち位置である。
また私は『続・風流夢譚 : 三つの浪漫的小品その二、その三 もしも三島由紀夫が書いたなら』という本を書いた。
深沢七郎の『風流夢譚』を読んだ以上、どうしても『風流夢譚』は三島の運命にまとわりついているようにしか思えないからだ。三島由紀夫の立場で『風流夢譚』の続編を書いた時に表れるもの、このこんがらがったパラテクストもまた、三島由紀夫作品を読み、三島由紀夫のアクティビティというパラテクストに深く通じている人に読んでもらえれば、メタテクスト、文芸批評として刺さるのではないかと信じている。
だが残念なことに、『風流夢譚』の読みが浅く、三島由紀夫をただの右翼のテロリストだとしか認識していない人にとっては『続・風流夢譚 : 三つの浪漫的小品その二、その三 もしも三島由紀夫が書いたなら』はほぼ意味のない小説に違いない。圧倒的に多くの人は『風流夢譚』の読みが浅く、三島由紀夫をただの右翼のテロリストだとしか認識していない。例えば、皇太子妃が仰向けにされる意味に気が付いていない。気が付いたのは三島由紀夫くらいではなかろうか。三島由紀夫は死の一週間前の対談で話の流れからすると唐突に、マリー・アントワネットの話を持ち出す。
マリー・アントワネットは仰向けにギロチンに懸けられたと言い伝えられる。この残酷さと、民衆の怒りが『風流夢譚』には確かに描かれているのだ。『風流夢譚』を読んで、三島は切腹では足らず、断首が必要だと思い知ったのではなかろうか。自衛隊と警察の対立も三島由紀夫にアイデアを与えていまいか…。そんな愚にもつかない話、ながら単なる与太話ではない話を書いたつもりである。恐らく三島由紀夫の根は『風流夢譚』を含むパラテクストの中にある。
読書と日々は腸活のようにパラテクストを肥やすためにある。
【余談】ジュンク堂の熱意
本屋にはそれぞれの流儀がある。しかし基本は「売らんかな」であることは間違いない。しかし池袋のジュンク堂はやや毛色が異なる。今、保田輿重郎の作品を買い求めるのならば、ジュンク堂しかあるまい。他の書店では精々評伝が一冊見つかる程度だ。古本かとみまがう染みだらけのマイナー出版の研究書が定価で売られていたりする。こんな出版社見たことも聞いたこともないというものがある。
こうした本屋に出会うと、我々が普段接している「本」というものがいかにうわべだけのものかと思い知らされる。
岩波文庫だってかなり絶版になっているのだ。
でもそうした忘却の中で、人は書き、読んできたんだなとも思う。
プラトンがアラビア経由で生きながらえたように、かなりきわどいところで書き手と読み手はつながっている。
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