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『行人』を読む 7 哲学小説ではない。

 前回挙げた「これまでの『行人』論の駄目なところ」の

②「塵労」に分裂を見出し

 ……という近代文学1.0のどうしようもない偏見はもう治せないんじゃないかと思います。これはある程度仕方ないですね。事実として、

・病気で中断

・当初の予定と変更になった

 ……ということはあったわけですから。さらに言えば私が主張するように『行人』が下女お貞の婚姻と言う軸を持って書かれた小説であるとするならば、「塵労」の前に一応結婚式は終わっていますから。たしかに一旦片付いた感じがします。

 しかしよく考えて下さいね。「塵労」において一郎がお貞に対する思いを告白する場面、そこで持ち出される「全嫁=スポイル理論」は二郎に否定されるために持ち出されたようなもので、そこでお兼さんの成功例が思い出されて頭とお尻がつながらなきゃ、あなた相当ですよ。

結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうと羨ましい気もした。
「旨く行くでしょうか」
「そりゃ行くだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解るでしょう。結婚してからまだ一度も大喧嘩をした事なんかありゃしませんぜ」
あなた方がたは特別だけれども……
なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ
 岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。(夏目漱石『行人』)

 こんなことを書きながら漱石は既に二郎をして「あまり夫婦仲の良くない身近な存在」と岡田夫婦を比較させていたわけでしょう。そのことには気が付いていましたよね。

 この岡田の「大概の夫婦はうまく行く理論」は「全嫁=スポイル理論」同様早すぎる一般化、個人の体験を他人にも当てはまると思い込む認知のバイアスに過ぎません。この関係は緩いです。しかし「ふり」と「おち」の関係で言えば、「全嫁=スポイル理論」は即座に「いい女になったお兼さん」という事実で反証されるというがっちりした結びつきになっています。

 それから、

③「塵労」を哲学小説として切り取り

……ですけど、哲学って何ですかね。

 ええと、哲学とは一言で言えばよく解らないものです。しかし哲学でないものは解ります。

 これは哲学ではないでしょう。では一郎は哲学していますか。

「なぜ山の方へ歩いて行かない」
 私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足たしました。
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」
「もし向うがこっちへ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが云います。
「向うに義務があろうとあるまいと、こっちに必要があればこっちで行くだけの事だ」と私が答えます。
「義務のないところに必要のあるはずがない」と兄さんが主張します。
「じゃ幸福のために行くさ。必要のために行きたくないなら」と私がまた答えます。
 兄さんはこれでまた黙りました。私のいう意味はよく兄さんに解っているのです。けれども是非、善悪、美醜の区別において、自分の今日までに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれを擲って、幸福を求める気になれないのです。むしろそれにぶら下りながら、幸福を得ようと焦燥るのです。そうしてその矛盾も兄さんにはよく呑み込めているのです。(夏目漱石『行人』)

 確かに何だか「難しそう」な話をしていますね。私はこの「難しそう」な話には免疫があって「難しそう」な話と「難しい」話を区別することが出来ます。誰にでも出来ますよ。言葉を入れ替えて成立するかどうか、そもそも言葉が入れ替え可能かどうか、というところがポイントです。これ、「山」を「女房」に置き換えると哲学でもなんでもなくなりますね。「イオン」にすればもっとよく解りますよ。

「なぜイオンの方へ歩いて行かない」
 私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足たしました。
「君はイオンを呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうしてイオンを悪く批判する事だけを考える男だ。なぜイオンの方へ歩いて行かない」
「もし向うがこっちへ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが云います。
「向うに義務があろうとあるまいと、こっちに必要があればこっちで行くだけの事だ」と私が答えます。
「義務のないところに必要のあるはずがない」と兄さんが主張します。
「じゃ幸福のために行くさ。必要のために行きたくないなら」と私がまた答えます。

 じゃあ、まいばすけっとに行けよ、と思いませんか。これが「難しそう」な話の正体です。

「じゃ君は全く我を投げ出しているね」
私「まあそうだ」
「死のうが生きようが、神の方で好いように取計ってくれると思って安心しているね」
私「まあそうだ」
 私は兄さんからこう詰寄せられた時、だんだん危しくなって来るような気がしました。けれども前後の勢いが自分を支配している最中なので、またどうする訳にも行きません。すると兄さんが突然手を挙げて、私の横面をぴしゃりと打ちました。
 私は御承知の通りよほど神経の鈍くできた性質です。御蔭で今日まで余り人と争った事もなく、また人を怒らした試しも知らずに過ぎました。私の鈍いせいでもあったでしょうが、子供の時ですら親に打たれた覚えはありません。成人しては無論の事です。生れて始めて手を顔に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。
「何をするんだ」
「それ見ろ」
 私にはこの「それ見ろ」が解らなかったのです。
「乱暴じゃないか」と私が云いました。
「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか。落ちつきが顛覆するじゃないか」(夏目漱石『行人』)

 これは哲学ではなくて頓智ですね。まあ、ロジックとは言ってもいいのでしょうが哲学ではないでしょう。

 兄さんは神でも仏でも何でも自分以外に権威のあるものを建立するのが嫌いなのです。(この建立という言葉も兄さんの使ったままを、私が踏襲するのです)。それではニイチェのような自我を主張するのかというとそうでもないのです。
「神は自己だ」と兄さんが云います。兄さんがこう強い断案を下す調子を、知らない人が蔭で聞いていると、少し変だと思うかも知れません。兄さんは変だと思われても仕方のないような激した云い方をします。
「じゃ自分が絶対だと主張すると同じ事じゃないか」と私が非難します。兄さんは動きません。
僕は絶対だ」と云います。
 こういう問答を重かさねれば重ねるほど、兄さんの調子はますます変になって来ます。調子ばかりではありません、云う事もしだいに尋常を外れて来ます。相手がもし私のようなものでなかったならば、兄さんは最後まで行かないうちに、純粋な気違として早く葬られ去ったに違ありません。しかし私はそう容易たやすく彼を見棄てるほどに、兄さんを軽んじてはいませんでした。私はとうとう兄さんを底まで押しつめました。
 兄さんの絶対というのは、哲学者の頭から割り出された空しい紙の上の数字ではなかったのです。自分でその境地に入って親しく経験する事のできる判切した心理的のものだったのです。(夏目漱石『行人』)

 哲学の本を一冊も読んだことのない人からしてみれば「僕は絶対だ」なんて言う人は頭がおかしい人にしか見えないかもしれませんが、案外これは割とありふれたテーマで、独我論という枠組みで語られます。また「なぜ私は私であるのか」というような、そもそも当たり前のようで実は答えのない問いとして、とりあえずただそうなっているという「ナマの事実」だともされています。疑似問題ではないかとも言われています。

 漱石は一郎をして、これは独我論的哲学的問題ではなくて、経験なのだとやや「ナマの事実」に近い意識で語らしめているように思えます。

 そしていよいよ「香厳撃竹」ですね。

 数年の間百丈禅師とかいう和尚さんについて参禅したこの坊さんはついに何の得るところもないうちに師に死なれてしまったのです。それで今度は溈山という人の許もとに行きました。溈山は御前のような意解識想をふり舞わして得意がる男はとても駄目だと叱りつけたそうです。父も母も生れない先の姿になって出て来いと云ったそうです。坊さんは寮舎に帰って、平生読み破った書物上の知識を残らず点検したあげく、ああああ画に描いた餅はやはり腹の足しにならなかったと嘆息したと云います。そこで今まで集めた書物をすっかり焼き棄ててしまったのです。
「もう諦めた。これからはただ粥を啜って生きて行こう」
 こう云った彼は、それ以後禅のぜの字も考えなくなったのです。善も投げ悪も投げ、父母の生れない先の姿も投げ、いっさいを放下し尽してしまったのです。それからある閑寂な所を選んで小さな庵を建てる気になりました。彼はそこにある草を芟りました。そこにある株を掘り起しました。地ならしをするために、そこにある石を取って除けました。するとその石の一つが竹藪にあたって戞然と鳴りました。彼はこの朗らかな響を聞いて、はっと悟ったそうです。そうして一撃に所知を亡うと云って喜んだといいます。
「どうかして香厳になりたい」と兄さんが云います。(夏目漱石『行人』)

 はい。これが本当の「難しい話」です。ここには単に思考の放棄とくそかきべらの逆説があるだけといってしまえばそれまでなんです。けれども案外漱石はこの父母未生以前本来の面目にはずーっとこだわってきましたね。『吾輩は猫である』からずっとですよ。父母未生以前ですから当然自分もいない、だったら則天去私でいいんじゃね、としてしまえばいいんじゃないかと短絡できないのは、漱石の長年のこだわりが引っかかるからです。

 この話はまだ詰めません。しかしどうもこれは反哲学ではないかとは書いておきましょう。

 今回はとりあえず「塵労」を含めて、『行人』が哲学小説ではないというお話でした。

[余談]

 大塚楠緒子への未練から『それから』を描いたと言われる夏目漱石。その人妻への興味は『三四郎』の汽車の女への未練や『行人』のこの「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」という二郎の台詞にも現れてはいまいか。若し現代に漱石がいて、そのパソコンの閲覧履歴を点検したら、人妻……。いや、失礼。

トンボになっとる。

バカボンのパパ?

かとちゃんぺ? 









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