様々なる意匠
昨日はこんなことを書いてそのままにしてしまった。この『保吉の手帳から』が書かれたのは大正十二年四月、稲垣足穂への献本の令状が出されたのが大正十二年二月十八日。芥川は遅筆ながら日本語でも英語でも読むのはとても速い。『一千一秒物語』などあっという間に読み終わってしまった筈だ。そしてその影響は?
いささか生々しい状況証拠は揃った。
しかしながら、鳥ではないのだから口に入れたものがそのまま出て來るようなことは普通はない。芥川龍之介全集で、『保吉の手帳から』の一つ前の作品を見ると『おしの』がある。ここには稲垣足穂テイストは全くない。
その前、『二人小町』『猿蟹合戦』にも稲垣足穂テイストは全くない。『保吉の手帳から』の後、七月に発表された『白』にも稲垣足穂テイストは全くない。その後の『お辞儀』がまた保吉ものとなる。これは『あばばばば』の前、大正十二年九月に発表されている。
ここにも稲垣足穂テイストは全くない。それどころか、保吉ものにしばしばみられるふわふわしたものさえ影を潜めている。こういってはなんだが『保吉の手帳から』の作者の作品とは思えないくらい、きりっとしている。
そしてその次が『あばばばば』で、これがやはりふわふわしている。ふわふわしているけれども稲垣足穂テイストはない。
稲垣足穂テイストとは端的に言えば、ニッケルメッキのような諧謔である。例えば、
こうした擬人化は何も稲垣足穂の専売特許ではないが、稲垣足穂テイストの一つの要素だ。稲垣足穂の『一千一秒物語』ではこれでもかと擬人化が繰り返される。しかしこの一つ前の擬人化、
この場面は注釈者によりJules Renardの『HISTOIRES NATURELLES』の模倣とされている。
しかしそこには動物や虫たちが言葉を話すという以上の関連性は見当たらない。「第一の何々」といった形式的な類似性が見られないのだ。ちなみに「毛虫」の部分は、
毛虫
La Chenille
……と毛虫は擬人化すらされない。薔薇だけが共通しているが、毛虫は喋りもしないし、人間に向けられる諧謔はない。
※「石竹」は唐撫子とも呼ばれる良い香りの花。
寧ろ擬人化された生き物は自らの言葉で貶められる。方向性が真逆だ。毛虫が薔薇の枝にいるだけで一体何が「模倣」されているのかがさっぱりわからない。
解説者の吉田精一は、
……などと書いている。「身辺雑記的な私小説」ねえ? さて、
吉田精一には大正五年の鎌倉を大正十二年の十一月に書くことの意味がまるで分かっていない様子だ。当然何故オランダなのかという問いにも答えられまい。そんな者に果たして「解説者」たる資格があるだろうか。「身辺雑記的な私小説」とはよく言ったものだ。吉田精一には「主計官。わんと云いましょうか? え、主計官。」と言った経験があるのだろうか。『お辞儀』は大正十二年九月の作だが、わざわざ七八年前の回顧となっている。これが「身辺雑記的な私小説」?
さてこうして見てきて、やはり毛虫のくだりはJules Renardの『HISTOIRES NATURELLES』の模倣ではなく、芥川お得意の逆説であり、『保吉の手帳から』の特に「午休ひるやすみ ――或空想――」にはやはり稲垣足穂テイストの擬人化が見られると断じてよいと思う。そして『保吉の手帳から』にはそれ以外の由来の不確かな様々な意匠が詰め込まれており、「身辺雑記的な私小説」ではないことは明らかだ。それは模倣ではない。
「生れて、すみません。」すら太宰の発明品ではない。吉田精一は吉田粗一と改名すべきだ。