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もう來ようたあ思はなかつたが、いい椋鳥があるものさ。又一と儲け出來さうだから、前祝ひに一杯やつてあの娘の歸りをお待ちなさいよ。

 また谷崎潤一郎の『お才と巳之介』から。

「もう來ようたあ思はなかつたが、いい椋鳥があるものさ。又一と儲け出來さうだから、前祝ひに一杯やつてあの娘の歸りをお待ちなさいよ。」

https://note.com/kobachou/n/n97a90d5927e9

 
 そう言われて椋鳥を調べると、「田舎から都会に出て来た人をあざけっていう語。」だと解る。解ってみるとすぐ、森鴎外の「椋鳥通信」が頭に浮かぶ。ただ鷗外がそういう意味で使ったかと言えば、そうではない。単なる卑下ではないのだ。

そこで私は椋鳥主義と云ふことを考へた。それはどう云ふわけかと云ふと、西洋にひよこりと日本人が出て來て、所謂椋鳥のやうな風をしてゐる。非常にぼんやりしてゐる。さう云ふ椋鳥が却つて後に成功します。それに私は驚いたのです。小さく物事が極まつて居るのはわるい。譬へて見れば器の中に物が充實してゐる。そこで歐羅巴などへ出て來て新しい印象を受けて、それを貯蓄しようと思つた所で、器に一ぱい物が入つてゐて動きが取れぬ。非常に窮屈である。さう云ふやうに私は感じました。何だか締りの無いやうな椋鳥臭い男が出て來て、さう云ふのが後に歸る頃になると何かしら腹の中に物が出來て居る。さういふ事を幾度も私は經驗しました。物事の極まつてゐるのは却つて面白くない。今夜私はお饒舌をしますが、此お饒舌に題を附ければ、混沌とでも云つて好いかと思ふ。唯混沌が混沌でいつまでも變化がなく活動がなくては困りますが、その混沌たる物が差し當り混沌としてゐるところに大變に味ひがある。どうせ幾ら混沌とした物でも、それが動く段になると刀も出れば槍も出れば何でも出て來る。孰れ動く時には何かしら出て來る。けれども其土臺は混沌として居る。餘り綺麗さつぱり、きちんとなつてゐるものは、動く時に小さい用には立つが、大きい用に立たない。小才と云ふのもそんなやうな意味ではないかと思ふのです。こゝで私は心理學の歴史を顧みる。前世紀に盛に行はれた心理學は寫象と云ふことを土臺にしてをつた。是が日本で教育の爲事などに著手した時代の心理學であります。物が數學のやうな知識の運轉で出來てゐるやうに考へた。譬へて見れば色々の知識が箪笥の中に旨く順序を立ててしまつてあるやうに考へたのだ。それへ持つて行つて新しい知識を入れゝば、どの部分に入れると云ふやうに、人の心が發達して行くものと説いてある。此譬喩のやうに箪笥が餘り立派に出來てゐると、大きい新しい物がはいつて來た時に、どの抽斗に入れようかと思つてまごつく。其中に入場が無くなつてつひ/\それを取りそこねると云ふやうな事になる。こんな事を申して、私の意を酌み取つて下さる事が出來るか知らぬが、器量が小さいと云ふのは餘り物が極まり過ぎてゐるのではないかと云ふのです。扨今日は世間の事が非常に變つて行く時代である。先づ人の世を渡るに必要なる道徳などと云ふものも、それは學問の上では色々な學者の異論がありますが、兎に角かう云ふ事は善い事、かう云ふ事は惡い事と云ふことを、つひ近頃まで極め過ぎてをつた。併し今日極力此の極まつた道徳を維持して行かうと思つても、これが巡査の力や何かを借りて取り締つて行けるものでは無い。大きな頭の奴が出て來て、例之ば哲學者の Nietzsche 或は詩人の Ibsen, さう云ふやうな人が出て來て、全然今までの人の考と變つた考を發表する。其考の影響が世界中に擴まつて大きな波動が起つて來る。さう云ふ時に今までの箪笥の抽斗に記號を附けたやり方ではどうにもならない。途方に暮れてしまふ。こんな時代には箪笥に物をしまふやうな流義は、物に極まりを附け過ぎてゐて駄目である。一人々々の上に就いて言ふと、此際小才は用に立たぬ。之に反して椋鳥のやうな、ぽつと出のやうな考を持つてゐて、どんな新思想が出ても驚かない。これは面白いと思つて、ぼんやり見てゐると、自分の一身の中にも其説の言ふ所に應ずる物がある。彼の混沌たる物の中には、幾ら意表に出た、新しい事を聞いても、これに應ずる所の物がある。頭からそれに反抗するには及ばない。構はず自分の一身の中にある物に響の如く應ぜさせて見る。それには餘り窮屈な考を持つてをつてはいけない。今の時代では何事にも、Authority と云ふやうなものがなくなつた。古い物を糊張にして維持しようと思つても駄目である。Authority を無理に辯護してをつても駄目である。或る物は崩れて行く。色々の物が崩れて行く。それならば崩れて行つて世がめちや/\になつてしまふかと云ふと、さうでは無い。人は混沌たる中にあらゆる物を持つてゐるのでありますから、世の中に新思想だとか新説だとか云ふものが出て來て活動して來ても、どんな新しい説でも人間の知識から出たものである限は、我々も其萌芽を持つてゐないと云ふことは無いのです。どんな奇拔な議論が出て來ても多少自分の考の中に其萌芽を持つてゐる。唯誰かゞ今まで蔭になつてゐた事をあかるみへ出して盛んに發揮するから不思議に見えるに過ぎない。それで私は今混沌と云ふことをお話するのです。諸君は混沌と云ふ事をどう見ます。めちや/\になると云ふ事ではない。又混沌が何時までも混沌に安んじてゐられるものでも無い。部屋の中でも其處等がごた/\散らかつてゐれば誰でも整理しなければならぬ。整理は厭でもします。整理はするけれども混沌たるものは永く存在する。綺麗さつぱりと整理せられる筈のものでない。思想とか主義とか何とか云ふものが固まるのは物事を一方に整理したのである。第一の整理法の外に第二の整理法がある。一の法ばかりを好いと思つてゐるのは間違つてゐる。さて津和野の人は小才だと云ひますが、小才でない人もある。私は成功した人がえらいとは思はない。成功せんで隱れてゐる人にもえらい人があると思ひます。併し先づ成功した人を標準として、跡から追ひ駈けて行くのが歴史のならひであるから、成功した人を標準として話して見ませう。福羽先生とか西先生とか云ふ人はえらかつた。あれは決して小才ではない。然るに皆津和野の人として氣の利いた人では無い。私は福羽先生には餘り近づかなかつたけれども、西先生には大ぶ親んだ。東京へ出ると西先生の玄關に机を構へて學校に通つたものですから、好く知つてゐます。あの先生は氣の利いた人ではない。頗るぼんやりした人でありました。そのぼんやりした椋鳥のやうな所にあの人の偉大な所があつた。(森林太郎『混沌』)

 この話が『妄人妄語』として世に出るのが大正四年二月、谷崎潤一郎の『お才と巳之介』が大正四年の十二月なので、偶然とはいえ、いささか気まずい感じはある。谷崎と鴎外と両方読む奴はいねえだろうというわけはなく、永井荷風なんかが読んでいたとしたらかなり気まずい。椋鳥に関しては、ほかに「特に、冬季、信越地方などの雪国から江戸に出て来た出かせぎ者をいう。」「取引相場で素人の客をいう。」という意味も見つかる。


 そもそも何故椋鳥が田舎者かというと、「りゃーりゃー」と鳴いてうるさいからと思いきや、どうも色が黒っぽくて地味な容姿も影響しているような川柳も見つかる。
 調べたら調べただけ、色んなことが見つかる。なんでもそうだ。調べなければわからない。解らないでつまらないと放り出すのは勿体ない。

野中兼山が「椋鳥には千羽に一羽の毒がある」と教えたことを数年前にかいた随筆中に引用しておいたら、近ごろその出典について日本橋区のある女学校の先生から問い合わせの手紙が来た。しかしこの話は子供のころから父にたびたび聞かされただけで典拠については何も知らない。ただこういう話が土佐の民間に伝わっていたことだけはたしかである。
 野中兼山は椋鳥が害虫駆除に有効な益鳥であることを知っていて、これを保護しようと思ったが、そういう消極的な理由では民衆に対するきき目が薄いということもよく知っていた。それでこういう方便のうそをついたものであろう。
「椋鳥は毒だ」と言っても人は承知しない。なぜと言えば、今までに椋鳥を食っても平気だったという証人がそこらにいくらもいるからである。しかし千羽に一羽、すなわち〇・一プロセントだけ中毒の蓋然率プロバビリティがあると言えば、食って平気だったという証人が何人あっても、正確な統計をとらない限り反証はできない。それで兼山のような一国の信望の厚い人がそう言えば、普通のまじめな良民で命の惜しい人はまずまず椋鳥を食うことはなるべく控えるようになる。そこが兼山のねらいどころであったろう。
 これが「百羽に一羽」というのではまずい。もし一プロセントの中毒率があるとすればその実例が一つや二つぐらいそこいらにありそうな気がするであろう。また「万羽に一羽」でもうまくない。万人に一人では恐ろしさがだいぶ希薄になる。万に一つが恐ろしくては東京の町など歩かれない。やはり「千羽に一羽」は動かしにくいのである。(寺田寅彦『藤棚の陰から』)

 この寺田寅彦のエッセイ、最近やたらと話題になるあの話に似ているな。どの話とは言わないけれど。この野中兼山の説は椋鳥保護のためのデマだとされているが、さらに調べてみると椋鳥が食べる栴檀の実はサポニンが多く人や犬には毒なので、そのまま丸のみにすると毒になりそうである。またこの栴檀の実の成分は、インフルエンザ・ウイルスの不活性化、抗がん作用などもあるそうで、毒にも薬にもなるということらしい。

 イボタの虫なんかも調べてみると何か出てきそうだな。








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