また谷崎潤一郎の『お才と巳之介』から。
「もう來ようたあ思はなかつたが、いい椋鳥があるものさ。又一と儲け出來さうだから、前祝ひに一杯やつてあの娘の歸りをお待ちなさいよ。」
https://note.com/kobachou/n/n97a90d5927e9
そう言われて椋鳥を調べると、「田舎から都会に出て来た人をあざけっていう語。」だと解る。解ってみるとすぐ、森鴎外の「椋鳥通信」が頭に浮かぶ。ただ鷗外がそういう意味で使ったかと言えば、そうではない。単なる卑下ではないのだ。
この話が『妄人妄語』として世に出るのが大正四年二月、谷崎潤一郎の『お才と巳之介』が大正四年の十二月なので、偶然とはいえ、いささか気まずい感じはある。谷崎と鴎外と両方読む奴はいねえだろうというわけはなく、永井荷風なんかが読んでいたとしたらかなり気まずい。椋鳥に関しては、ほかに「特に、冬季、信越地方などの雪国から江戸に出て来た出かせぎ者をいう。」「取引相場で素人の客をいう。」という意味も見つかる。
そもそも何故椋鳥が田舎者かというと、「りゃーりゃー」と鳴いてうるさいからと思いきや、どうも色が黒っぽくて地味な容姿も影響しているような川柳も見つかる。
調べたら調べただけ、色んなことが見つかる。なんでもそうだ。調べなければわからない。解らないでつまらないと放り出すのは勿体ない。
この寺田寅彦のエッセイ、最近やたらと話題になるあの話に似ているな。どの話とは言わないけれど。この野中兼山の説は椋鳥保護のためのデマだとされているが、さらに調べてみると椋鳥が食べる栴檀の実はサポニンが多く人や犬には毒なので、そのまま丸のみにすると毒になりそうである。またこの栴檀の実の成分は、インフルエンザ・ウイルスの不活性化、抗がん作用などもあるそうで、毒にも薬にもなるということらしい。
イボタの虫なんかも調べてみると何か出てきそうだな。