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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか⑦ 喧嘩売っとんのかい‼

喧嘩売っとんのかい‼

 或生暖かい曇天の午後、僕は或雑貨店へインクを買いに出かけて行った。するとその店に並んでいるのはセピア色のインクばかりだった。セピア色のインクはどのインクよりも僕を不快にするのを常としていた。僕はやむを得ずこの店を出、人通りの少ない往来をぶらぶらひとり歩いて行った。そこへ向うから近眼らしい四十前後の外国人が一人肩を聳かせて通りかかった。彼はここに住んでいる被害妄想狂の瑞典人だった。しかも彼の名はストリントベルグだった。僕は彼とすれ違う時、肉体的に何かこたえるのを感じた。(芥川龍之介『歯車』)

 どこの馬の骨とも知れないこの私が『歯車』はクルシイクルシイの話ではないと書いても、「何それ、逆張りのつもり?」としか感じられない人もいるだろう。しかし、

 これは本当のことだ。大爆笑はしないけれども、苦笑する程度のユーモアならさして隠されてもいない。ここは夏目漱石作品の読者であれば、やはり初見でも苦笑できるはずだ。

 無精な余は印気がなくなると、勝手次第に机の上にある何どんな印気でも構わずにペリカンの腹の中へ注ぎ込んだ。又ブリュー・ブラックの性来嫌いな余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割って呑ました。(夏目漱石『余と万年筆』)

 小宮豊隆や内田百閒のように、芥川龍之介が漱石の生原稿に親しく接したという記録はないが……、いやいや、漱石は筆をあまり使わないので、手紙のやり取りでは芥川龍之介も漱石のセピア色の文字を読んだことは間違いなかろう。その上で「その店に並んでいるのはセピア色のインクばかりだった。セピア色のインクはどのインクよりも僕を不快にするのを常としていた」と書くのはいささかお行儀が悪い。「不快」は不味い「不安」ならまあ許せる。ここは漱石門下なら「おや?」と思うところの筈だ。「不快」って何? 漱石先生の思い出ごと不快なの? 喧嘩売ってる? と。

 しかしまあ立て続けにストリントベルグを被害妄想狂の瑞典人にしてしまうのでやはりここは苦笑するしかない。漱石を出してきて「被害妄想狂」と呼ばないだけお行儀がよろしい。

 こうして、芥川龍之介が悪ふざけをして遊んでいることだけは誰の目にも明らかな筈だ。

 無論近代文学1.0が「筈」や「べき」を無視して、トンデモ解釈を並び立て、文豪飯と顔出しパネルに収斂されたことは一つの事実だ。ただ近代文学2.0は飽くまで打ち捨てられた「筈」や「べき」、正しい読みの可能性を追求していく。

 セピア色のインクになんて意味ないよ、ただの偶然、で済まされないように、わざわざストリントベルグが持ち出されたことと、『歯車』という小説全体が本来無関係なものを勝手に結びつけて暗示を得てしまう男の話であるということの「対」を見なくては『歯車』を読んだとは言えない。

 芥川にしてみれば「僕がセピア色のインクを持ち出して不快だと書けば、いやでも皆さん夏目先生を意識しますよね。セピア色のインクを使う人なんて世の中に何万人もいますよ。なのに何故夏目先生を意識しちゃうんですか。逆にストリントベルグという名前の瑞典人なんてそうそう日本で出会えませんよ。でも別人は別人です。本来無関係なものを勝手に結びつけて暗示を得てしまうのは皆さんも同じですよね」とでも言いたいのだろう。

 これは「意味」や「言葉」に対する根本的な問いかけであり、この世界に対する挑戦でもある。

[追記]

 作品と作家の生涯をあまり引き寄せすぎてはいけないと書きながら、少し補足しておく。

 小穴隆一の手記を読む限り、芥川を追い詰め自殺に追い込んだのはどうも夏目漱石なのだ。

「それならば僕は言ふが、君と僕とは今日まで藝術の事の上では夫婦として暮してきた。――僕は十九の時に自分の體では二十五までしか生きないと思つた。だから、それまでに人間のすることはあらゆることをしつくしてしまひ度いと思つて急いだ、――しかし、澄江堂を名乘つてからの僕は、それこそ立派な澄江堂先生ぢや、――僕はかうやつて、ここにねてゐても絶えず夏目先生の額に叱られてゐるやうな氣がする、――」
と、無氣味な目で芥川は彼の背を指さした。僕はそこの鴨居に依然たる、風月相知 漱石 の額の字をみた。

(小穴隆一『二つの繪 芥川龍之介の囘想』)


夏目漱石は大學の服を着た芥川龍之介にはじめて會つたときに、血氣未だ定まらざるとき、之を戒しむる色に在りと訓した。芥川は「夏目先生はおそろしい。」「夏目先生に一と目で見破られた。」といつてゐた。夏目漱石の眼力もさることながら、僕は芥川に自決のことをいはれてから、芥川のながい睫をみてゐて、男にはながすぎる、これがいけない、と思つてたことがある。

(小穴隆一『二つの繪 芥川龍之介の囘想』)


「いままで度々死に遲れてゐたが、今度この十二月の九日、夏目先生の命日には、いくらどんなに君がついてゐてもきつと俺は死んでしまふよ、」
「その間一寸君は帝國ホテルに泊つてゐないかねえ、」
「いやかねえ、」
 芥川は鵠沼で僕にさういふことを言つてゐた。
 僕は芥川が死ぬまで、毎月九日がすぎるとはほつとしてゐた。
 芥川は昭和二年の春、麻素子さん(平松)と帝國ホテルで死なうとしてゐる。

(小穴隆一『二つの繪 芥川龍之介の囘想』)

 そう捉えてみればセピア色のインクが恐ろしいという冗談が笑えなくもない。喧嘩を売っても、許されるような気がしないでもない。


※みなさんスーパーの試食コーナーでシャウエッセンを四五本食べてそのまま帰るタイプですか?





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