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全く「薄野呂」の「甘酒野郎」に相違ない。

 引き続き谷崎潤一郎の『お才と巳之介』から。

 甘酒野郎という言葉に関して、私はこう書いた。

庄吉の後方に、傘をすぼめて、顔を隠した深雪がついていた。人垣を抜けると、番所の入口に、仲間ちゅうげんが一人、番人が一人、腰かけていた。薄暗い中の方に、四五人の士姿が見えた。庄吉が
「今日は」
 番人は庄吉への挨拶をしないで、その後方に佇んだ深雪を、怪訝けげんそうにじっと眺めた。
「まだ、お調べ中かい」
「うん」
「何んだか、大勢、見えてるじゃないか」
「三田の御屋敷から、今見えたのだ」
 深雪は、一心に、中の方を見て、兄の姿、兄の声を知ろうとしていたが、今の番人の言葉を聞くと、胸をどきんとさせて、その顔をちらっと見た。番人は、庄吉の蔭になっている深雪の顔へ、顎をしゃくって
「何んだえ」
 と、庄吉に囁いた。
「あの士の妹さんさ。ちょっと、逢いてえが、いいかい」
「願ってみな」
 庄吉は、土間を、中戸の方へ行って、小腰をかがめて
「御免なさいまし」
 一人が、振り向いたが、じろっと庄吉を見たまま、黙って、元の方へ顔をやった。庄吉は
(こん畜生っ、何を、威張ってやがる)
 と、憤りながら
「一寸、お願い申しやす」
「何んだ、貴様は――」
 又、その侍が振向いて、睨んだ。そして、深雪が、群集の前に、浮絵のような鮮かさで立っているのに気がつくと、じっと、その顔へ、見入ってしまった。庄吉は、心の中で
(この甘酒野郎。女の顔を見て、とろとろにとけてやあがる)
 と、冷笑しながら
「ただ今のお侍衆へ、あの、お妹さんが、一寸お目にかかりたいと――」(直木三十五『南国太平記』)

 この一例しか見つからない。ただ谷崎の発明でもなかろう。シャンメリー野郎というところか。

 しかしよく調べてみると、類似の表現がないわけでもない。


リンカーン さういふ地位に選ばれるといふことは、人を氣弱にさせるものだよ、サミユエル。弱い氣持になればこそ、その地位に就けといはれても、誰でもメーといはざるを得ないのがほんたうだ。この國民の大統領になる-到るところ人々の心は苦惱で一杯な時に。これは骨身にこたへる仕事だ。憎み、あざ笑ひ、それから輕蔑すべき連中とも取つ組みもせねばならず、而も結局は多分何事もほんたうには出來ないでね。だが、私は行かねばならない。さう、有難う、テモシー、有難う、サミユエル。メリー(夫人に向ひ)、二人が出る前に甘露酒を一寸一杯。(リンカーン戶棚の方へ行く)あの女の子(スーザンのこと)、どうしやがつたか。(酒が見つからぬので、じれる。扉の方を向いて)スーザン! スーザン! スーザン·デツデイングトン! あの甘露酒野郞はどこだい?
リンカーン夫人 宜しんですよ、エーブラハム。あれに外へかたして置くやうに言つといたんです。-戸棚は書類でぎつしり一杯ぢやありませんか。

 これは残念ながら擬人法ではない。しかし、

去ッちまへ、此瓶詰麥酒野郞! 籠欄を弄る老朽手品師め! 
おい、どうしたい、麥酒樽先生! え、おい、大蒲團!
(『ヘンリー四世』坪内逍遥訳、シェイクスピア)

これ逍遥の蔵書印?

 これは甘酒野郎式の罵倒だろう。ちなみに『ヘンリー四世』ではシェリー酒が、こう持ち上げられる。

好いシェリー酒は二重の效能を持つのてるからなァ。先づ腦へ登る、そこに幡つてるあらゆる痴鈍な、下等な毒氣を乾燥さしッちまつて、それをその、想像力の活潑な、當意卽妙の働きをするものにして、機敏な、猛烈な、いろんな面白い形象を生み出し得るものにする。さうしてそれが聲に移されて言だ葉となつて現れると、素敵な名酒落となる。上等シェリーの第二の特質は血を溫めることだ。前にゃそれが冷え切つてるるので、肝の臓が白ッちゃけてゐたのが、……それは意氣地なしの標章だが······シェリーを飮むと溫まつて來て、五臟六腑から四肢の隅々までだだかつまん血が走り出す、顏が光り出す。それが人體といふ此小王國の各部分へ「起てッ!」といふみん警報を與へる合圖の篝火なんだ。すると、平凡な小活力共や內地の小元氣なんぞが皆な御大將の心臟のところへ集まつて來る。大將、斯う元氣共に取卷かれると、氣が大きくなつて、どんな勇敢なことでもやらかす。(『ヘンリー四世』坪内逍遥訳、シェイクスピア)

 なるほど麥酒野郞!(えーるやろう)が馬鹿にされる訳である。



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