『彼岸過迄』を読む 4353 時系列で整理しよう② その日は旗日ではない
昨日私は『彼岸過迄』を時系列で整理して、いや、時系列で整理しきれなくて、「雨の降る日」が何年前の出来事なのか不明だということを突き止めた。去年でも十年前でもなさそうだが、三年前なのか五年前なのか分からない。しかしこのことも近代文学1.0の世界では殆ど言われてこなかった筈だ。
三層の意識構造や回想と現在との行き来によって『彼岸過迄』は読者を幻惑させている。特に「二三日前」、「矢来の叔父さんの家にあった不幸を千代子から聞いた日」、「次の日曜日」の前後関係を考えた時、この「二三日前」という設定が絶妙であり、田川敬太郎が田口千代子の結婚問題について須永市蔵に問いただしたいという気持ちを持ちながら松本宵子の死の話を田口千代子から聞いていたことになる。
つまり田川敬太郎は松本恒三のトラウマの話を聞いているようで、
こんな会話の中で田川敬太郎はむしろ須永市蔵と田口千代子の関係性について思いを巡らせていたと読むことができる。そして、
この会話の時点で、やはり田川敬太郎の頭の中には既に千代子の結婚問題があったとはっきり意識して読むことによって、この須永市蔵と田口千代子の如何にも親しそうな感じと、書生の佐伯の言う「複雑な事情」とが田川敬太郎に齎した幻惑を理解することが出来る。寧ろそうしないとこの場面にはただ須永市蔵と田口千代子の如何にも親しそうな感じだけが残ることになってしまう。それは正しい読みではない。
またこの日は旗日ではないので、九月二十六日(秋季皇霊祭)、十月十七日(神嘗祭)、十一月三日(天長節)、十一月二十三日(新嘗祭)ではないと読まなくてはならない。これははっきりしている。「矢来の叔父さんの家にあった不幸を千代子から聞いた日」は旗日ではないのだ。
さて時系列で整理していった時、この場面が現在で、ここから「須永の話」として回顧になる。例の洋杖が須永市蔵から小説を引き出した勘定だ。但し読者は何年前か分からない「雨の降る日」の回顧から現在に引き戻されたばかりで、また過去に戻るので寧ろ現在の位置が怪しくなる。「雨の降る日」の季節は秋、現在は梅の季節である。
そして須永市蔵の話も時系列的には明瞭ではない。妹の死の後で千代子が生まれ、市蔵の母が千代子を嫁にくれと言い出すように読めるので、すでに言葉をしゃべる妹が三歳だったとすれば、三歳の妹の兄である市蔵と千代子は五歳差程度かと思われるも、ここは正確には解らない。五歳差は大きすぎるのではないかという気がする。しかし書かれている順序からすると飽くまで言葉をしゃべる妹の死が先、それから千代子の誕生なのだ。妹の死が先でなければ、母の愛が市蔵一人に注がれることもなく、生まれてすぐの千代子と因縁付のための結婚を申し出ることもなかったように考えられる。
ただしこれははっきりしない。
市蔵の母は市蔵が高等学校に入った時分に千代子との結婚を匂わせた。この時点では市蔵にはその気がなかった。市蔵が大学二年の春休み、市蔵の母はまた千代子の問題を持ち出した。市蔵は「何心なく従妹は血属だから厭だ」と答えた。しかし母が強いるので「一頃は思い直してでき得るならば母の希望通り千代子を貰ってやりたいとも考えた」。しかしその思いは叔母に阻まれる。
さらに田口要作は市蔵が「絆」として捉えていたものを笑い飛ばす。
こうなると流石にきつい。それから二か月、市蔵は田口家から遠ざかった。ところが母親が千代子に直談判しそうな勢いを見せたのでまた田口家に顔を出すようになった。電話ごっこがあり、詩とか哲学の話になる。そしてまた現在に引き戻される。
大学二年の春休みから二か月後で三年生くらいとなり、そしてそれが「過去一年余り」ということは大学は三年制としてもやや勘定が合わない。そして、
大学には春休みも夏休みもあるとして、大学が四年生なら先ほどの大学三年次「過去一年余り」は「過去一年半余り」となろう。現在田川敬太郎は大学の卒業した法学士、探偵を経て田口から職をあてがわれていて、梅の季節なのでもう大学三年次からは一年半は巡っている。
……と今回も少し長くなってしまった。この話は肝心なことなので、今回もいったん中断して、正確に読むことにしよう。
[余談]
スピノザ全集が出るらしい。恐ろしいことだ。スピノザの思想は独特で、その世界にいったん入り込んでしまうと生涯抜け出せそうもないと門外漢は感じている。独特、といえば名のある思想家で独特でない者はいまいが、ニーチェにしろ平田篤胤にしろ、「齧る」ことは出来そうな気がするが、「五分でわかるスピノザ」という本を書くことは無理なんじゃないか、仮にそういう本があってもほぼ無意味なのではないか、という気がする。
國分功一郎さんなどが比較的分かりやすくスピノザのある一面を切り取って解説してくれているが、あくまで一面であり、スピノザの世界全体を捉えきったとは言い難い。(当たり前だ。)
それは『エチカ』の一冊を手に取り、眺めて見ても解ることだ。……いや、それは高山の冷気などというものではない。何秒かでパチンと閉じる。そうしなければ人生はたちまち終わる。