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『彼岸過迄』を読む 4353  時系列で整理しよう② その日は旗日ではない

 昨日私は『彼岸過迄』を時系列で整理して、いや、時系列で整理しきれなくて、「雨の降る日」が何年前の出来事なのか不明だということを突き止めた。去年でも十年前でもなさそうだが、三年前なのか五年前なのか分からない。しかしこのことも近代文学1.0の世界では殆ど言われてこなかった筈だ。

 三層の意識構造や回想と現在との行き来によって『彼岸過迄』は読者を幻惑させている。特に「二三日前」、「矢来の叔父さんの家にあった不幸を千代子から聞いた日」、「次の日曜日」の前後関係を考えた時、この「二三日前」という設定が絶妙であり、田川敬太郎が田口千代子の結婚問題について須永市蔵に問いただしたいという気持ちを持ちながら松本宵子の死の話を田口千代子から聞いていたことになる。

 つまり田川敬太郎は松本恒三のトラウマの話を聞いているようで、

「とんだ事をしたよ。鍵を茶の間の用箪笥の上へ置いたなり……」
「持って来なかったの。じゃ困るわね。まだ時間があるから急いで市さんに取って来て貰うと好いわ」
 二人の問答を後の方で冷淡に聞いていた須永は、鍵なら僕が持って来ているよと云って、冷たい重いものを袂から出して叔母に渡した。御仙がそれを受付口へ見せている間に、千代子は須永を窘めた。
「市さん、あなた本当に悪にくらしい方かたね。持ってるなら早く出して上げればいいのに。叔母さんは宵子さんの事で、頭がぼんやりしているから忘れるんじゃありませんか」
 須永はただ微笑して立っていた。
「あなたのような不人情な人はこんな時にはいっそ来ない方がいいわ。宵子さんが死んだって、涙一つ零こぼすじゃなし」
「不人情なんじゃない。まだ子供を持った事がないから、親子の情愛がよく解らないんだよ」
「まあ。よく叔母さんの前でそんな呑気な事が云えるのね。じゃあたしなんかどうしたの。いつ子供持った覚えがあって」
「あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは女だから、おおかた男より美くしい心を持ってるんだろう」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 こんな会話の中で田川敬太郎はむしろ須永市蔵と田口千代子の関係性について思いを巡らせていたと読むことができる。そして、

「実は僕も雨の降る日に行って断られた一人なんだが……」と敬太郎が云い出した時、須永と千代子は申し合せたように笑い出した。
「君も随分運の悪い男だね。おおかた例の洋杖を持って行かなかったんだろう」と須永は調戯からかい始めた。
「だって無理だわ、雨の降る日に洋杖なんか持って行けったって。ねえ田川さん」
 この理攻めの弁護を聞いて、敬太郎も苦笑した。
「いったい田川さんの洋杖って、どんな洋杖なの。わたしちょっと見たいわ。見せてちょうだい、ね、田川さん。下へ行って見て来ても好くって」
「今日は持って来ません」
「なぜ持って来ないの。今日はあなたそれでも好い御天気よ」
「大事な洋杖だから、いくら好い御天気でも、ただの日には持って出ないんだとさ」
「本当?」
「まあそんなものです」
「じゃ旗日にだけ突いて出るの」
 敬太郎は一人で二人に当っているのが少し苦しくなった。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この会話の時点で、やはり田川敬太郎の頭の中には既に千代子の結婚問題があったとはっきり意識して読むことによって、この須永市蔵と田口千代子の如何にも親しそうな感じと、書生の佐伯の言う「複雑な事情」とが田川敬太郎に齎した幻惑を理解することが出来る。寧ろそうしないとこの場面にはただ須永市蔵と田口千代子の如何にも親しそうな感じだけが残ることになってしまう。それは正しい読みではない。

 またこの日は旗日ではないので、九月二十六日(秋季皇霊祭)、十月十七日(神嘗祭)、十一月三日(天長節)、十一月二十三日(新嘗祭)ではないと読まなくてはならない。これははっきりしている。「矢来の叔父さんの家にあった不幸を千代子から聞いた日」は旗日ではないのだ。

 彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するという噂を皮切りに須永を襲った。その時須永は少しも昂奮した様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度は旨うまく纏まとまればいいが」と答えたが、急に口調くちょうを更かえて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐らしそうに説明して聞かせた。
「君は貰う気はないのかい」
「僕が貰うように見えるかね」
 話しはこんな風に、御互で引き摺るようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよ際どいところまで打ち明けるか、さもなければ題目を更えるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖を持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側へ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」と蛇の頭を須永に見せた。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 さて時系列で整理していった時、この場面が現在で、ここから「須永の話」として回顧になる。例の洋杖が須永市蔵から小説を引き出した勘定だ。但し読者は何年前か分からない「雨の降る日」の回顧から現在に引き戻されたばかりで、また過去に戻るので寧ろ現在の位置が怪しくなる。「雨の降る日」の季節は秋、現在は梅の季節である。

 そして須永市蔵の話も時系列的には明瞭ではない。妹の死の後で千代子が生まれ、市蔵の母が千代子を嫁にくれと言い出すように読めるので、すでに言葉をしゃべる妹が三歳だったとすれば、三歳の妹の兄である市蔵と千代子は五歳差程度かと思われるも、ここは正確には解らない。五歳差は大きすぎるのではないかという気がする。しかし書かれている順序からすると飽くまで言葉をしゃべる妹の死が先、それから千代子の誕生なのだ。妹の死が先でなければ、母の愛が市蔵一人に注がれることもなく、生まれてすぐの千代子と因縁付のための結婚を申し出ることもなかったように考えられる。

 ただしこれははっきりしない。

 市蔵の母は市蔵が高等学校に入った時分に千代子との結婚を匂わせた。この時点では市蔵にはその気がなかった。市蔵が大学二年の春休み、市蔵の母はまた千代子の問題を持ち出した。市蔵は「何心なく従妹は血属だから厭だ」と答えた。しかし母が強いるので「一頃は思い直してでき得るならば母の希望通り千代子を貰ってやりたいとも考えた」。しかしその思いは叔母に阻まれる。

「あたし行って上げましょうか」
 僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、窘めるようなまた怖れるような一種の響を聞いた。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 さらに田口要作は市蔵が「絆」として捉えていたものを笑い飛ばす。

「母は本気でそう云ったんだそうです」
「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々真面目になって叔母さんにその話をするそうだ」
 叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣れた人の巧妙な覚らせぶりだとすれば、一口でも云うだけが愚かだと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣れた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 こうなると流石にきつい。それから二か月、市蔵は田口家から遠ざかった。ところが母親が千代子に直談判しそうな勢いを見せたのでまた田口家に顔を出すようになった。電話ごっこがあり、詩とか哲学の話になる。そしてまた現在に引き戻される。

 どうしてもまだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 大学二年の春休みから二か月後で三年生くらいとなり、そしてそれが「過去一年余り」ということは大学は三年制としてもやや勘定が合わない。そして、

 僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅の二階に籠ってこの暑中をどう暮らしたら宜ろうと思案していると、母が下から上あがって来て、閑になったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺を好まない性質たちなので、一家のものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容いれて、材木座にある、ある人の邸宅を借り入れたのである。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 大学には春休みも夏休みもあるとして、大学が四年生なら先ほどの大学三年次「過去一年余り」は「過去一年半余り」となろう。現在田川敬太郎は大学の卒業した法学士、探偵を経て田口から職をあてがわれていて、梅の季節なのでもう大学三年次からは一年半は巡っている。

 ……と今回も少し長くなってしまった。この話は肝心なことなので、今回もいったん中断して、正確に読むことにしよう。


[余談]

 スピノザ全集が出るらしい。恐ろしいことだ。スピノザの思想は独特で、その世界にいったん入り込んでしまうと生涯抜け出せそうもないと門外漢は感じている。独特、といえば名のある思想家で独特でない者はいまいが、ニーチェにしろ平田篤胤にしろ、「齧る」ことは出来そうな気がするが、「五分でわかるスピノザ」という本を書くことは無理なんじゃないか、仮にそういう本があってもほぼ無意味なのではないか、という気がする。

 國分功一郎さんなどが比較的分かりやすくスピノザのある一面を切り取って解説してくれているが、あくまで一面であり、スピノザの世界全体を捉えきったとは言い難い。(当たり前だ。)

 それは『エチカ』の一冊を手に取り、眺めて見ても解ることだ。……いや、それは高山の冷気などというものではない。何秒かでパチンと閉じる。そうしなければ人生はたちまち終わる。






















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