過去の自分に救われている
note を始めて早くも1週間が経ったらしい。
いくら備忘録とは言え、何でもかんでも書きすぎかもしれない。
たぶん、心が持ち直したら、気持ちが健やかなうちは、ここに投稿することも減る/ないのだろう。
博士課程進学を目前に控えて、博士をできる自信が全くなくなってしまった。
博士に行くものだと思っていたから、就活なんてしていない。
しかし、どう考えても健全な精神状態じゃないから、休学を決意した。
事の発端は指導教員の言葉だった。
色々な人に相談して、今は気持ちが落ち着いている。
色々とは言っても、ほとんどがアカデミアの人間ではあるが。
しかし、先生から学生までたくさんの人に話を聞いたのは確かだ。
これほどまでに多くの人に相談できたのは、過去の自分の振る舞いのおかげである。
自分の研究は、所属研究室では賄えない手法が大きなウェイトを占めていた。
それは、独学の必要性と、その手法のコミュニティへのコネクションの必要性を反映していた。
知り合いなんて誰もいなかったが、学会などへ出向いては、色々な人に相談した。
少なくとも僕の知るアカデミアとは、このような迷える子羊に優しいコミュニティである。
翌年、自分の研究を携えて再会したとき、成長を実感したし、彼・彼女たちも成長を誉めてくれた。
今思えば、ささやかだが、実に意義深い成功体験だった。
その成功体験がぐちゃぐちゃに壊れた。
アウトラインだけを見ていたら、指導教員を恨んでいると思われるかもしれないが、全くそんな感情はない。
扱いにくい学生にも関わらず、こんなにきちんと面倒を見てくれた。
僕の将来を思って、建設的な提案を繰り返してくれた。
指導教員は一流の研究者である。
しかし、それは教育者として、社会人として優れているか、一定の水準にあるかとは全く異なる話である。
後者の2軸を持ち出せば、指導教員はなかなか酷い。
相手が相手ならハラスメントで訴えられても仕方がないとは思う。
両親や就活エージェントさんが怒っていたのはこの点である。
しかし、不器用なりに愛情を持って指導してくれたことは紛れもない事実だ。
そして、青二才ながら僕の研究者の評価軸は前者しかないのである。
そのせいで、第二の親と勘違いしているのかもしれないが。