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結局、どういう生き方が正解なの?

久しぶりの投稿で、だいぶ難しい内容になりましたが、僕の価値観の根幹に近い部分なので丁寧に向き合ってみました。

結論は

「たくさん実験して、自分のからだやこころが喜ぶことを知ること。」

当たり前のようですが、スピノザ独自の表現が面白いので、是非最後まで読んでみてください。



あなたはよりよく生きたいですか?

それとも、悪く生きたいですか?

こう問われたら、僕は「よりよく生きたいです」と答えます。

しかし「よりよく」の基準を今までうまく言語化できませんでした。

なので今回は、『100分de名著シリーズ』の『スピノザ エチカ』と言う本を参考に、「いかに生きるべきか」と言うテーマで考えていきたいと思います。ちなみにこの本は17世紀オランダの哲学者であるスピノザの『エチカ』という本を國分功一朗氏が解説した本となっております。

先に結論を述べますが、この本で書かれている結論は、

「実験」を重ねながら、自分なりの「活動能力」が上昇する(喜びをもたらす)組み合わせをできるだけ多く見つけろ。

と言うことです。

どういうことか見ていきましょう。

①この世に「完全」も「不完全」もない

たとえば建築途中の家を見ると不完全だ、つまり、完成していないと口にする。では、なぜそれを不完全と呼ぶかというと、私たちが完成された家についての一般的観念を持っていて、それと比較しているからです。「まだ屋根がついていないから完成していない」という具合です。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」『エチカ』P30

また、牛についての例も挙がっていました。

たとえば、牛という動物について、牛の一般的観念と一致すれば、私たちはそれを完全といい、そうでなければ不完全という。角が二本あれば完全だけれど、一本だから不完全だ—という具合です。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」『エチカ』P30

このことは心身の「障害」にもあてはまると解説しており、スピノザは「すべての個体はそれぞれに完全なのだ」と言います。

つまり「家」も「牛」も「人」も何かが欠けているから「不完全」なのではなく、個体としてみたときに、それはすでに「完全である」と言えるということです。

②この世に「善いもの」も「悪いもの」もない

ここでは原文から引用されているスピノザの言葉を紹介します。

善および悪に関して言えば、それらもまた、事物がそれ自体で見られる限り、事物における何の積極的なものも表示せず、思惟の様態、すなわち我々が事物を相互に比較することによって形成する概念、にほかならない。なぜなら、同一事物が同時に善および悪ならびに善悪いずれにも属さない中間物でもありうるからである。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」『エチカ』P31

ここで著者は、音楽の例を挙げて解説しています。音楽はそれ自体に善悪があるわけではなく、落ち込んでいるときに聴けば励まされる(善)し、そうじゃないときに聴けば「そのときにおいては」ノイズ(悪)になるかもしれない。
また、スピノザが挙げた例として、「耳が不自由な人にとっては善くも悪くもない」(中間物)ということになります。

それは全てのことに言えます。
それ自体で善悪の評価を下すことはできず、個別具体によっての組み合わせ(タイミングなども含む)によって、その物自体の評価が変わるということをここでは述べています。

では、その判断基準は具体的にどういうものになるのでしょうか。

③感情は大きく「喜び」と「悲しみ」の二つの方向性を持っている

先ほど、「この世に完全も不完全もない」という部分を紹介しました。
「すべての個体はそれぞれで完全なのだ」とすると、個体によって「この状態こそが完全である」という状態は異なります。

スピノザによれば、「より大なる完全性へと移る際には、我々は喜びの感情に満たされる」のだと言い、「より小なる完全性へと移る際には、悲しみの感情に満たされる」と言います。

元も子もないし、反論の余地がある気がしますが、ここが個人的にスピノザの考えで好きな部分です。

つまり、自分が完全に近づくときは嬉しいし、そうじゃないときは悲しい。みんな知ってるだろ?シンプルさ!ということです。
もっと簡単に言うと、「今この瞬間自分らしく生きられていれば嬉しくなるじゃん!」ということです。

別の章で「水を得た魚」の話も紹介されますが、一人一人能力や個性は違い、好きなことも違います。魚を陸に上げれば死んでしまいます。でも水に放てば生き生きと泳ぎ出します。人間も同じです。

この章でも同じことを述べているのだと僕は解釈しています。

④神すなわち自然

ここでは詳しく紹介しませんが、スピノザは「神すなわち自然」という考え方を唱えてユダヤ教を破門された人でもあります。

神は完全で、「外部」を持たず、限界もない。つまり、すべては神の「中」にある。
つまり、我々をはじめとする万物は「宇宙(自然法則)の中にある」という考え方です。

だから魚を無理やり陸に上げると死んでしまうように、人間も「本来のその人の個性(力)」を無視した環境に置かれると、とたんに「活動能力(後述)」が下がってしまう。そうすると先ほど述べたような「悲しみ」に分類される感情が湧き上がってくる。それを無視してなおその環境に身を置くと、自分の「完全」から遠ざかり、ますます生きる喜びを失っていく。

繰り返しになりますが、この世に「完全/不完全」もなければ「善/悪」も存在しません。
全ては「人による」のです。

その人にとって、何との組み合わせが「善」で、また、「悪」なのか。
全ては「組み合わせ」なのです。
そしてその善い悪いの組み合わせは、大きく分類して「喜び」と「悲しみ」の二つの方向性を持つ感情によって判断できます。
そのものをより完全へと近づけるものには喜びがもたらされ、そうでないものには悲しみがもたらされます。

ではその「直感」とも呼べるような「感覚」(感情)を磨くためにはどうすれば良いのでしょうか。

④とにかく実験をする

道徳的な、一般的観念としての「善いもの」と「悪いもの」を知ることに意味はありません。答えは自分しか知り得ないのです。

大事なのは「自分にとって善いか悪いか」です。
だからこそ、「実験(トレーニング)」が大事なのです。
自分はどんな音楽が好きなのか、何味のラーメンが好きなのか、どんな仕事をやりたいのか、どんな人が好きなのか、それらは実験の結果生じる自分にしか味わえない「感情」でしか判断できません。
また、それらは時と場合によっても異なります。音楽が好きだと思っても、何故だか全く聴きたくない時だってある。それは何故なのか。
その答えは自分にしかわからないのです。

先生も、親も、恋人も、友達も、本も、YouTubeも答えではありません。
あなたが答えなんです。

⑤コナトゥスについて

最後に、「コナトゥス」というスピノザの有名な概念についてご紹介します。

おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」『エチカ』P39

著者は、以下の様に解説しています。

文中の「有」という訳語より、「存在」としたほうが分かりやすいでしょう。ここで「努力」と訳されているのがコナトゥスで、「自分の存在を維持しようとする力」のことです。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」『エチカ』P39

また、このようにも述べています。

大変興味深いのは、この定理でハッキリと述べられているように、ある物が持つコナトゥスという名の力こそが、その物の「本質 essentia」であるとスピノザが考えていることです。


著者はそれを「ホメオスタシス的なもの」とも解説しています。

著者も述べている通り大変興味深いのが、「コナトゥス(=力)こそ本質」という部分です。
第二章の「本質」という章では、そのことを詳しく解説していますが、今回はここで一旦ストップします。

僕が何となく、直観的なイメージとして感じるのは、陸をぴちぴちと跳ね回り、何とか水場へと向かおうとする魚の姿です。
人間も同じです。つらい家庭環境、職場環境、人間関係の中で必死にもがきながら、何とか「いい方へ」、少しでも希望のある方へと向かっていく様子。そのイメージが、なんとなく「コナトゥス」という「力」のイメージかなと思います。
本の中では「体の中の水分が減ったら喉が渇く」という「力」(働き)の例が挙がっていましたが、もちろん体の状態に限りません。

そして何より、「コナトゥスという名の力こそがその物の本質である」という考え方が非常に好きです。

生物としての本質として、人間に限らず動物には本来「自分らしく」「生き生きとした方(自己の”有”や"完全性")」へと自然に向かう「力」が備わっている。いや、むしろその力こそが「本質」である。

個物はそれ自体で既に「完全」で、外部が決めつけられる「善悪」などない。

何も頑張らなくていい、あなたらしく、心の声に従って生きればいい。そう言ってもらえているようで、気が楽になります。

⑥最後に

なんだかコナトゥスって「DNA」のようなものなのかなとも思います。
また、スピリチュアルの世界でも、「引き寄せの法則」という話もありますし、量子力学の世界でも、「脳内でイメージしたことは物理的に体内に影響を及ぼしている」というような話もあります。

これらの話のように、本当に自分の中に「自分らしさへと向かう力」が確かに働いているのであれば、現代社会はいかに外部に合わせて自分を変えてしまっているか、そして生きにくい世の中なのかということが実感できます。

この本の後半では、「自分の本来性が損なわれた状態」や「なぜ自殺してしまうのか」についての解説もされています。

実はここまでで、まだ今回紹介した本の三分の一程度しかご紹介できていません。
機会があればそれ以降もご紹介したいのですが、「いかに生きるべきか」の示唆を得る上で、特に重要な部分をご紹介しました。

皆さんも、周りの人や環境に惑わされず、たくさん実験しながら、「自分らしさ(自分の完全性)」に意識を傾けて、活動能力の上昇する方へ・より善い人生へと舵を切ってみてください。

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