ところで 人知れず堕ちゆくのは 一種の快楽さえ感じさせる そうしなければ 昇る陽の眩さを 沈む陽の儚きを 花々の麗しさを 樹々の雄大さを 鳥の唄の慰めを 大海原の懐かしさを 人の優しさの美しきを 胸打つ鼓動の有難きを 忘れてしまいそうで 奇跡を奇跡と感ぜられない気がして それがただ尚も 怖くて怖くて 仕様がないのです なので 今日も 私は その“奇跡”に救われたいが為 心の最奥の扉に 油で溶かした灰色を 乾いては塗り 乾いては塗り 幾度も重ねてゆくのです 一切の彩
不完全を愛でる、優しさが欲しかった。 目に見えぬものを信じる、誠実さが欲しかった。 嘘や罪を秘める、強さが欲しかった。 自分を許す、勇気が欲しかった。 人間で在りたかった。 一歩一歩、少しづつでいい。 歩んでいく。
ただ、ただ、 影を消し去ろうと 影だけを一途に見つめ 何年間も闘ってきました。 影は消えませんでした。 私が存在する限り 共に影も存在し続けたのです。 だからいつも 消えてしまいたかった。 自分が消えれば 影も消し去る事ができると 知っていたものですから。 ふと、太陽を見ました。 ″あぁ、この光は消えないのだな″ 私が在ろうと消えようと、 この光は全てを等しく照らし続けます。 一体どれだけの月日、 影を見つめ続けたでしょう。 太陽を見つめた事は、 あったでし
久しぶりの更新。 というのも、しばらく実家に帰省していたの。 実家とは、私にとって居場所ではなく 自分自身を責め続ける場所。 家族は私を“出来の悪い子”として認識し 私は、その負い目からくる 「見捨てられ不安」に呑まれ 摂食障害や自傷行為などの “痛み”でバランスを取っていた。 ーー何故自分が自らを傷付けるのか?ーー その理由は、前回の記事でよく理解できたの。↓ https://note.mu/koba_ellie/n/nb2d238cfc5fb その上で、今回
摂食障害、自傷行為、不安神経症、 境界性パーソナリティ障害…etc. 様々な精神疾患を抱え、 現代日本を生きる25歳の女が 先日、できる限り俯瞰して 自身の心を深く、掘り下げたてみた。 ○Welcome to my silly life.○ -ようこそ、私の愚かな人生へ- ****** 患ってきた“精神疾患の症状”は彼女にとって、 生きていく為に、必死で集めた“薬”達。 彼女は心に不調があると、 心の中に居る“かかりつけ医”に 相談して、薬を貰う。 ーーーーー
自分が人と違うことを 目の当たりにすると 足がすくむ。 "あぁ、まただ また、私は君と違う" 孤独の波が 彼女を呑み込む。 すぐ様普通を装えば 疑惑の目が ほころんだ。 "あぁ、これでいい。 これがいい" 味をしめた彼女は もっと深く、沈み込む。 この世界を生きる為 普通の自分の装い方と 異常な自分の沈め方など 彼女はとうに身に付けていた。 完璧に演じ切った せめてもの慰めに 人目に触れない場所で 本当の自分を 激しく、ゆるやか
綺麗事だけ晒すのは なんだか少し違うと思うから。 病状が悪い今日だからこそ あえて記事を更新します。 現在、私の生活の9割を占めているのは 摂食障害の中でも過食嘔吐という症状。 この症状について、私が経験してきた内容を できる限り感情を入れず、淡々と記します。 ーーーーーーーーーー ●過食嘔吐 食べ物を大量に詰め込んでは 吐くという行為。 一度それを行えば、 脱水症状と低血糖症との戦い。 1時間ほどは、呼吸も上手くできず 酸素を上手く取り込めな
通常の社会生活に ドクターストップがかかってから 早1週間… 飾らずに言えば、焦燥感はあって。 昔からマグロのように、 止まれない人間だった。 “ワークホリック”とでもいうのかな。 とにかく何かしていないと不安で 生産性のないことは大嫌いで。 頭の中も、思考回路が 常に多忙を極めていた。 にも関わらず今では こうして等身大のブログを書いたり、 元々絵が好きだったので イラストを描いたり、 写真をとったり。 そういうことを始めてみたわけで。
限りなく多くの価値観を 受け入れていたい 同じことは出来なくとも そこに在ることを ただ認めていたい 触れられなくとも 手を伸ばし続けていたい その場しのぎの痛み止めや それを求めてしまう本能と 闘い続けたい そう誓ったの
誰かとぶつかること、 分かり合えないことは沢山あって。 分かり合えることの方が少なくて。 でもそれを 悲しいと捉えたりしないで欲しいな。 その人はその人の人生を生きてる。 人それぞれの遺伝子と、 小さい頃から現在に至るまでの経験は きっとその人が思うよりずっと その人を創ってるもので。 人はそれに則って、無意識の中で “最善の生き方”を選択してる。 通りすがりの他者が、 安易に否定していいほど 人の選択は、安くない。 決して侵してはいけない。 誰もが自
〜家族構成👨👩👧👦〜 【父】亭主関白で厳格で仕事人間。医療関係に勤める。 【母】楽観的で天然の極み。精神科の看護師。 【兄】器量も頭もよくドライ。優等生の公務員。 外から見ればいわゆる、 優秀な一家であったと思う。 特に父が。 私が生まれた小さな町では大体の人が 「小林さんには世話になった」 と言うほど、人望のある人だった。 両親共働きで立派に勤め、 子どもは2人共、市内一の進学校に合格。 父の教育が厳しかったゆえ 私と兄は極めて常識的な価値観で育った。 し
キミが歩んできた 壮大な人生の中で 感じたことや経験を 決して否定しないで。 キミしか知らない感情を 嘘にしないでくださいな。 そして その先で出した答えを、 その答えに基づいた行為を、 容易く非難する誰かに 決して屈しないで。
17歳の時に重度の不安神経症を患い、 起きてる間はほとんど、 発作と、発作の恐怖に襲われ 薬漬けで毎日意識を誤魔化してた。 乗り物も一切乗れず、 修学旅行もドクターストップ。 通学すら一苦労で、 月並みな“青春”はテレビの中の世界… といった高校時代。 割と一生懸命だった勉強も進路も、 それどころではなくなって、 家族全員が私の未来に、 順調に絶望していった。 ーー芸能の世界と出会ったのはそんな頃。 好きなバンドと出会い、そのバンドを聴くためなら 電車にも乗れるように