「なにもできない自分」との対峙
※鬱々した記事なのでお気をつけください。
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いま、悩んでいる。
この1年、派遣で事務のお仕事をしているのだけれど、とにかくケアレスミスが多い。
注意しているはずなのに、ミスや抜けがあまりに頻発している。
これは典型的なADHDの特徴で、自分なりに対策をしているつもり。
しかし、通常業務に在宅勤務する社員の皆さんからの軽作業依頼(PDFとって送って、とか、そんな程度)が立て込んだりすると、もうだめ。
ミスを回避するための「自分ルール」を無視して、時短を優先しようとする。
これはよくない。
きっと根本的に事務職が合っていないんだろな。
それは分かっているのだけれど、他にいま出来るお仕事なんてないような気がする。
困ったもんだ。
そして、そんなことを考えていると、過去の苦い思い出がふつふつと蘇ってきて、自分なんてなににもなれない恥ずかしい人間なんじゃないか、という気分になってくるから困ったもの。
こんなときは、深みにはまらないように気を付けなければならない。
これ以上落ちないためにもどうしても吐き出したいので、だらだらと書いておこう。
最近、頻繁に蘇る記憶は、大学時代の思い出。
小中高とブラスバンドを続けてきて、プレイヤーとしては無理でも、指導者にはなれる可能性があるのではないか、という夢を抱き、教育学部(音楽専攻)で学んでいた私。
音楽の教師になるのが夢だった。
しかし意気込んで入学した大学では周りに馴染めず、特に、常に音楽的実力を値踏みされるような環境にメンタルをやられてしまい、すぐにうつ状態になってしまった。
(あれがうつ状態だったということは、後からわかったのだけれど)
精神状態が良くなかったこともあり、「だれかの人生に大きくかかわる」教員という仕事は、とても務まらない…そんな風に考え、夢を捨ててしまった。
とはいえ、もしかしたら、将来、自分自身も成長し、もう一度教員を目指すことがあるかもしれない。
それに、いろいろと迷惑をかけた親への「4年間やり抜けた証」も見せたい。
そう思い、免許だけは取得しておこうと、4年の後期までかけて単位の取得を試みた。
しかし4年の後期、1科目だけ、しかも免許取得には必須の単位を落としてしまった。
サボったわけでもなく、それなりに熱心に受講していたつもりだったので、なにが悪かったのか、そして単位取得のためにできることはないか、お伺いを立てるため、担当教官の部屋へと向かった。
だけど、そこで、私にとっては衝撃的なひとことを言われてしまった。
「僕は君に絶対に単位は出しません。ほかを当たってください」
その言葉の強さに、理由を聞くこともできず、わかりました、失礼します。と引き下がってしまった私。
自分を全否定されたような衝撃を受けた。
ああ、やっぱり。私に教員になる資格なんてないんだな。
まだうつ状態から抜けきっていなかった私は、そんな風に考え、自分を責めた。
きっと、なにか理由があったのだろうけれど…今となってはそれもわからない。
結局、教員免許を取得しないまま卒業し、足りない1単位は後から別の大学で取得し、免許を手に入れた。
でも、たぶん一生使わないな。
なんのための免許なんだろう。むなしい気持ちとともに、いただいた免状はどこかにしまい込んで今に至る。
卒業後、アルバイト期間を経てなんとか自分を立て直した。
でもやっぱり上手くいかない。そしてその環境からフェイドアウトし、再び「なにもできない自分」に戻る。
そんな生き方を繰り返してきた。
結果、40代後半にもなるのに、いまだ「なにもできない」悩みを抱えている。まったくもって情けない。
でも、それを解決するのも自分自身。
例え仕事にできなくても、「私はこれをしている人です」「私はこれができます」と、胸を張って言える何かがあれば。
もうちょっと生きやすくなるのかな。
たまに絶望的な気分に潰されそうになるけれど、潰れてしまったら「なにもできない」ままで人生が終わってしまう。
それは本意ではない。
あと数年で40代も終わってしまう。
せめて50歳になるころには、小さくとも「これ」と言える自信を手にしたい。
苦しいときもあるけれど、なんとか踏ん張ってやっていこう。