病気だという認識が助けてくれた
いままでにも何度か書いていますが、双極性障害でしょうね、と病院より言われています。
かつては「躁うつ病」と呼ばれていて、うつ病の仲間のような扱いを受けていたようですが、実は全然違うものだそうで。
「うつ」だけを治して完了、といかないのが困ったところ。
「躁」の部分を穏やかにすることが大事なポイントなんですってよ。
双極性障害にはさまざまな症状があるのですが、実はいままで「自分の困った癖」と思っていたことが、ほぼ「双極性障害の人にありがちな傾向」とかぶっていまして。笑
あーー今までのあれもこれも、そういうことだったのか、とストンと腑に落ちたのでした。
たとえば浪費。
それから、テンション爆上がりからの爆下がり。
思い付きで大きな行動を取ろうとすること。
などなど。
困っているのに自分ではうまくコントロールできなくて、もう生きている意味なんてないんじゃないかと落ち込んだり、いやいや、そんなことない、自分ならやれる!(計画性はないけれど!)と思ったり。
でも、いままでは、これらの「困った行動」は、自分自身の中にひとまとまりの大きな荷物のように存在していて、何だかよくわからなかったのです。
考えることもできなかったというか。
(それこそが症状なのかもしれないのだけれど)
それが、今年の夏に通院をはじめ、自分でもちょっとずつ情報を見聞きするなかで、少しずつ荷ほどきをできるようになってきました。
あ、なるほど、これはそういうことだったのか、と「困った行動」の根拠が見えたことで、どうしたらいいのか考える道が見えてきた。
これは私にとって、本当に大きな希望なのです。
もちろんまだ「困った行動」が消えたわけではなくて、自覚を持つことができた、対策を考えることができた、、、くらいなレベルなのですけどね。笑
それでも、「困ったちゃん」がヴェールのあっち側からこっち側に来てくれて、問題の核心が見えるようになったことは、私の中にあった漠然とした不安を解消させてくれました。
とはいえ、今はまだ具体的な解決には至っていないわけでして。笑
まだしばらくは、自分で自分をトレーニングしていく日々となりそうです。
実は今日は、44歳最後の日。
だからこんなことを書いたわけではないのだけれど。
(書く内容は、いつも通りの思い付きです笑)
明日からの新しい一年を迎える前に、こんなことを書いておけてよかったなぁとしみじみしています。
いいこともしんどいこともあるだろうけれど、楽しみつつ考えつつ、日々を過ごしていけたら。
そう思います。
何か楽しいことに使わせていただきます!