自分の中の、怖いあいつ
わたくし、「いつもニコニコしている人」という印象を与えることが多いようです。
実は、それは後天的に身につけたテクニックでした。
人との距離感を縮めるために。
幼いころから、ほかの子たちとなんとなく馴染めない自分を自覚していました。
いわゆる「いじり」みたいなのも、軽いものから重いものまで、全部同じ重さで真に受けてしまい、毎度ブチギレていたのも原因かもしれません。笑
周りの、特に思春期以降の女の子たちとは、なんとなく馴染み切れない感じがありました。
そんなズレは、きっとわたしだけではなく、周囲も感じていたんでしょうね。中学に入ってから、わたしの周りには誰もいなくなりました。
女子はなんとなくグループになって行動するものだけれど、どこにも所属できない。しまいには急に無視されたりする。
(怖いよ女子)
はじめはそんなにストレスも感じていなくて、ひとりは一人なりに気楽な休み時間を過ごしていたものでした。
本を読んだり妄想したり、授業の予習をしていたり。
しかし、無視される日々が続くにつれ、段々と困りはじめたんでしょうね。
わたしは同じ学年の、天真爛漫な女の子の行動を少し取り入れはじめました。
彼女は突拍子もない行動を取るのに、なんだか憎めない存在で、生徒からも先生からもかわいがられるタイプの子でした。
そして、特徴的だったのが、その笑い声。
カラっと大きな、どこにいても「あーまたあの子だよ。笑」と言われるような声でした。
その子のイメージをぼんやりと取り入れはじめたわたし。
いままで、教室の中では存在感すらなかったのに、急に声をたてて笑うようになったのです。
その違和感は周囲にも伝わり、「なんかわざと笑ってるみたいに聞こえる」と言われたことがありました。
そうでしょうね。だってその通りだもの。
はじめはそんな感じだったものの、次第に「笑うこと」はわたしの板につき、自分らしいスタイルとなりました。
そして、周囲との壁もかなり薄くなっていったのです。
だんだんと周りには友人が増え、卒業するころには一緒に笑い合えるクラスメイトもできました。
それが満足だったかと言われれば、実はよくわからない。
でも、ひとりじゃないという安心感はありました。
高校に入ってからはその「笑顔のスキル」を活用し、どんどんハイになっていくのだけれど、それはまたいつか。笑
後天的に手に入れた笑顔は、どうしても無理をすることがあります。
気持ちとは裏腹に笑顔をつくる。
そうして、自分が望まない同意をしたりする。ひとりにならないために。
笑顔のわたしは、誰にも見せられない「素の自分」とは別人のようでした。
素の自分はワガママで、自分勝手だし、恐ろしい妄想をしたりもする。
そんな自分を見つけると、嫌悪感よりも「怖い」と感じます。
まるで悪魔が自分の中に棲んでいるかのような気分になるのです。
それも自分自身なのかと思うと、「ニコニコしている人」である自分像がガラガラと崩れ去る恐怖を感じます。
でも。こんな思いをしている人は、きっとたくさんいる。
なんとか折り合いをつけるために、神さまに祈る人もいるし、運動する人もいる。自分自身の中に「怖い自分」を格納しすぎるのは、あんまり健康的じゃない。
ということで、いまわたしはキーボードを叩いています。
自分自身と、こうやって対峙しながら、本当の笑顔を手に入れる。
それが、今の自分にとって大事なことだと信じつつ。