みんなの時間が一斉に止まれば
夕方から家がひんやり寒くて、何も考えずに暖房を入れた。
しばらくして部屋全体がふわーっと暖かくなって、集中力も奪われて、気づいたら同じ場所から動けずに数時間が経っていた。
11月。寒い。
空気が冷たくて空が澄んでて、
ひなたを見つけて太陽光で幸せになる。
みんなしんどくなる。
冬になって人肌が恋しくなるとか言うけど、
帰り道、いつもよりすごく疲れちゃって、
なんだかこのまま時間が止まって、明日、誰とも会いたくないなとか思っちゃって。
未来のことはわからないから、
何か決めてしまえば安心できても、
そう簡単には決められないし決めたくない。
楽しい予定も頑張れる計画も、
一度立ててしまったら終わるまで常に追いかけられてる感覚がして、落ち着かなくてずっと困ってる。
もっと自分の気の向くままに、
自由に自立した生活をしてみたい。
廊下の向こうへ歩いていく背中が、
あのときの自分を見ているみたいだった。
きっと私は知っている。
あの背中がどんな言葉を求めているか。
最終手段って決めつけるのは違うと思う。
早めに手を打てば何も最悪なことなんて初めから起こらないのに。
頼れるところにはいっぱい頼っていい。
ほっと一息つける瞬間をつくってあげられるのは自分自身しかいないから。
ぼんやり人が話してるのを聞いていたらだんだん、もともと聞きたいような話じゃなかったしなとか考えちゃって、耳ではちゃんと聞いてるけど一旦目をつむってみる。
それくらいの気分で。
誰の心もわからないように、
私の心も誰にも伝わらない。
それでも、
同じ思い出を持つ人と振り返ったり、
同じタイミングで悩む人と出会ったり、
少しずつ話すことで乗り越えられる日がある。
人には言いたくないことがあるし、
思い出したくもない、
あるいは思い出したくても思い出せない時間の空間があったりする。
どんな挫折だったのか、
あのとき何を諦めて何を選んだのか、
今になっても自分ではわからないことが多い。
目の前の環境に適応するのに必死になってるし、あんなに憧れていても慣れれば不満があるし、いつになっても無いものねだりはなくならない。
何をしても満たされなくて欲深くなっているのは、本来なら知ることのなかった世界を知りすぎてしまったから。
そんな現実にがっかりして、
未来に悲観的な風潮を感じる原因は、
自分の心の中にある。
社会せいに言い訳してる暇はない。
どこにいるかじゃくて誰といるかで、
何を話すかじゃなくて誰と話すかで、
何を食べるかじゃなくて誰と食べるかで、
もしくは誰もいないかで、
それが、
自分なりの幸せな時間の過ごし方の基準なのかもしれない。
今、このまま時間が止まれば、
自分1人だけでも一部の人だけでもなくて、
世界中のみんなの時間が一度止まってみたら、
この常に焦らされる社会から逃げられるのかな。
時が止まって、私だけが動きたいなんてわがまま言わないから、
ただ、何もせず、寒いも暑いもなく、
このまま一瞬でも時間が止まるのならば。
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