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じぶんの食べられる量がわからない

私は先日40歳になった。
40というともう大人だ。成人するまでの年月を二回りもしたのだ。立派な大人である。

私には1歳になる子どもがいる。
まだ食事を1人でとることはできないが、初めは裏ごししたどろどろのおかゆからスタートし、だんだんと水分が減り、いまでは少し柔らかめのごはんを大人と同じ炊飯器からよそって食べている。食べられる食材も増え、野菜などはスティック状にしてやると自分で手づかみしてあーむと食べる。

スティック野菜にした10cm弱のにんじんを一本、噛みちぎらずに口の中に押し込み、まだ口の中のものを飲み込んでいないのに得意げにもう一本を口いっぱいに頬ばる。もごもごと口を動かし、少しずつ飲み込んでいく。誤飲しないかとはらはらするのだが、そうやって自分のひとくちの大きさをおぼえていくそうだ。

私も毎日食事を重ねることで食べることをおぼえてきたのだろう。ところが自分がどれだけたべられるのかがいまだにわからない。

時々無性に食べたくなるものがある。
例えばケンタッキーフライドチキン(KFC)だ。コンビニのチキンもおいしいが、ケンタッキーのチキンは唯一無二だ。CMのうたい文句ではないが、無性に食べたくなる。
KFCを食べるときはたいていチキンとポテトなどのサイドメニューが何人前かセットになったものを夫と分けて食べる。それを私はチキンを3つとビスケットを1つ食べる。というふうに宣言し合って食べるのだ。
KFCを食べたいときというのはもう口が、気持ちがそういうふうになっている。お分かりいただけると思うが、あのKFC特有のハーブやスパイスの香り、何かぎゅっと詰まったようなカリカリの衣に、かぶりついて口のわまりを油でべたべたにしたい…‼︎体全体がそういった思いに包まれている。
そう、その頃には理性がKFCをむさぼり食いたい欲に負けている。まったくの無意識のうちに。
パーティ気分で食べはじめ、比較的小食の私がそれからどうなるかというと、ポテトをつまみつつチキンを2つ食べ終わる頃、残りのひとつを夫に差し出している。食べられない。
…あんなに焦がれていたというのに!

そしていつも思うのだ。
なんでこの歳になっても自分の食べられる量がわからないんだろう。

食べたい欲が強ければ強いほど調子に乗って食べようとしてしまうのかもしれないが、そうでなくても食事前に自分の食べたい分を適切にはかるのは難しい気がするのだが、どうだろう。

夫も私以上に自分が食べられる量がわからないので、書い過ぎ、食べ過ぎてしまう。終いにはお腹を下す。もう、子どもじゃないんだから。

私は40年毎日食事をしてきて、自分のひとくちはだいたいわかるが一食はわからない。
それは買い物をしていても同じようなことが起こるのだが、その話はまた今度書いてみようと思う。

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