長谷敏司『allo, toi, toi』 感想
<リチャードこの世は好きでできてる、けれどそのせいで世界はまちがいがたくさんある>
この一文を読んだ時、鼻の奥がツンとしてまぶたの裏がしっとりした。チャップマンが到達したこの言葉にすごく共感した。
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あらすじ
2090年、チャップマンは8歳の女の子の四肢を切断し殺害した罪で重犯罪刑務所に入っている。百年の懲役で二度と外へ出る事はない。児童性的虐待者矯正の実験台としてITP(同著者の『あなたのための物語』で出てきた物と同じ。サマンサが勤めていたニューロロジカル社も出てくる)という機械が脳に入っている。ITPは脳神経をデータ化してデータの取得もできれば体験させる事もできる。脳内でテレビを観たり、考えている事をテキストでアップロードしたりできる。
リチャードはニューロロジカル社員で本実験の担当者にあたる。実験の内容は、ITPを使って脳に報酬を与えて犯罪につながる動機(モチベーション)を奪うというもの。このシステムは”アニマ”と呼ばれている。”アニマ”には「好き嫌い」を整理してくれる機能もある。
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好き嫌いと脳
技術者のリチャードはチャップマンとの面会でこのように言っている。
この時代に、君たちが子どもに性欲を向ける理由は、肉体的に満たされる予感ではなく、社会が与えた『好き』への誤解だということだ
作中の「ケーキと甘味と脳」の例を借りると、「ケーキは甘いから好き」という言葉は脳神経伝達から見れば勝手に言葉にまとめられたもの。脳にとって快か不快かはカロリーの高さでしかなく、甘いと感じることは別の経路を伝達される。「好き」という枠にはケーキのような形あるものから、甘みのような概念まで放り込める。枠に収められた「好き」という価値の断片が繋がりあって関係のない「好き」が捏造される。
社会の常識とか、正義とか、テレビに挟まれる広告、CMによっていつの間にか「好き」に刷り込まれたものが、別の好きと繋がって予期せぬ結論に到達する。こうした継ぎ接ぎの価値観が予期せぬ結合をしてできた怪物がチャップマンだったのではないだろうか。
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社会によって刷り込まれた好き嫌いが、自分の好き嫌いと混ざって分離できなくなっている悔しさみたいな物を思った事がある。
ここでは学校の標語を取り上げたが、こういった思いもあり冒頭の言葉が心に突き刺さった。
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<リチャードこの世は好きでできてる、けれどそのせいで世界はまちがいがたくさんある>
世界はまちがいがたくさんある ということはうっすら感じながらも、そのあまりに漠然としたイメージと複雑さに半ば理解を諦めていた。こうして文章で対面したことで、整理しなおす機会が得られたことが良かった。まだ、よくわからないことだらけだけれど。