2020年。私を救ってくれた「書きたい!」の衝動
今年4月、私は得体の知れない不安に襲われていた。コロナの影響で接客業の仕事がなくなり、テレワークを余儀なくされたのだ。
人と接するのが好きだった。多いときで1日約200人と会っていた私にとって、朝から晩までひとりでいる空間に耐えられなくなった。家にいるだけで発狂しそうだった。
それでも唯一楽しみにしていたことがある。ゴールデンウィークに「演劇の生配信を観ること」だ。
ふるさと静岡にある、私が大好きな野外劇場からの生配信が決定していた。なんと「公演が開催される予定だった3日間、公演の時間帯に野外劇場『有度』のありのままの姿をライブ配信する」のだと言う。(引用:「おちょこの傘持つメリーポピンズ」ーくものうえ⇅せかい演劇祭)
「無観客公演」ならまだわかる。しかし今回は、観客だけでなく役者すらいない。公演すらせず、誰もいない様子をただ2時間映すだけだと言う。「なかなか挑戦的なことをやるな」と驚いた反面、さすがに2時間ずっとは観ていられないだろうと思っていた。
が、いざ配信が始まると画面から目が離せなくなったのである。自分でもびっくりした。
2時間後。生配信が終了し、部屋を見渡しながら余韻に浸っていると、不思議と自分の精神が落ち着いているのがわかった。
「ひとりでいるのも悪くないかも」
1か月間も落ち込んでいたのに、たった2時間で気持ちが軽くなった。なぜ、役者も観客もいない映像に救われているのだろう?なぜ今、私は孤独と向き合えているのだろう?あんなに家から逃げ出したいと思っていたのに。
この瞬間を忘れたくないと思った私は、衝動的に言葉を書いていた。
頭で考えるというより、手が勝手に動いていた。
その結果、こんな文章ができあがっていた。
SPACくものうえ⇅せかい演劇祭開幕。
何もない、有度の生配信。
何もないが、何かは起きる。
はじめは明るい野外。だんだん陽は落ち、うしろの木々の緑のグラデーションがはっきりしてくる。
もう少しすると空の青さが際立ち、徐々に木々はシルエットとなっていく。
風の音、とりのさえずり、うしろのスタッフのちょっとした気配、そして時折通りすぎてゆく車やバイクがやけに目立つ。
無音でも、何もしなくても、ずっと見ていられる。1人でなければ見られなかっただろう。この期間になって初めて何もないこと、1人でいることが好きになれた。
感情をツイートしようと思ったが、この感覚は書いて残したい。そう思った。
あの場を共有する、ということ、これが私にとってどんなに大切か。
明日以降は、自信をもって孤独と向き合えそうだ。
書いてから気づいた。いつぶりだろう。陽が落ちていく様子や、風で葉っぱが揺れる音にじっくり心を馳せたのは。コロナ感染拡大前も含めて、つい日々の忙しさに気を取られ、ちょっとした時の流れを察知できなくなっていた。
もしも書くことで気持ちが安定するなら、「朝スッキリ起きられた」とか「家の外に花が咲いていた」とか、小さな変化を感じ取ってみよう。ひとりでいるからこそ、感じられるものがあるのかもしれない。
振り返ってみると、あの瞬間があったから、私は2020年を乗り越えられた。一年を通して最も心が救われた瞬間だったと思う。
11月頃から、私は副業でライティングを始めた。ライターという職に出会ったのは「偶然」だと思っていたが、こうして振り返ると偶然でもなさそうだ。
明確に「書きたい!」と思ったあの瞬間がなければ、私はライターとしての一歩を踏み出さなかった気がする。
現在もテレワークは続いているが、周りだけでなく自分の小さな変化も感じながら、日々を過ごしている。
・・・・・
2020年の振り返りとして、ライターになった「原体験」とも言えるこの瞬間を記した。
「書きたい!」の気持ちを大切に育てて、2021年からはライターとして本格的にインタビューやエッセイに挑戦したい。そしてもっともっと、情景や心情のニュアンスが伝わる表現を極めていきたい。
来年も、よろしくお願いいたします。