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光酔の車輪

 枯れた。文才が枯れた。もともと大したセンスが備わっているわけでもないことは承知しているが、そう形容するのが最も適切な瞬間がある。脳内に広がる世界をうまく言語化できない時だ。小説の神に見放された右手で書き広げるのは取るに足らない駄文ばかり。味のしないガムより退屈で果物の搾りカスよりも軽い文字。気が参る。時間旅行すらできる時代になった一方で、私の感性は全く発展していないらしい。好きで創作活動をしているというのに難儀なものである。
 今までは休憩や睡眠を挟むことで何とか乗り切ってきた。しかし今回は根が深い。どれだけ頭を休めても進展がまるでない。さてどうしたものか。このまま手をこまねいているわけにはいかないと自室を見回すと、とある一転に視線が留まった。壁に固定されたフックに吊られている愛車の鍵。気晴らしにどこか遠くへ出かけようか。もう夜も更けているし、行くならあそこがいい。灯りが途絶えることのない摩天楼の森。文明を誇示するように華やかであり続けるあの街に行けば、この不満もいくらかマシになるかもしれない。暗い辺境にぽつんと佇む我が家を飛び出して、ネオンの海へと飛び込もう。

 視覚的にはかなり遠くに見えるビルたちは、車に乗ればあっという間に等身大になる。訪れて分かったことだがこの街は極めて広大かつ複雑だ。地平線まで続いているのではないかと思わせるほどに並んでいるガラス張りの塔の間を縫うように、何層にも積み重なったハイウェイが伸びている。その様はまさに立体的な造形美であり、同時に人の手が生み出した怪奇とも呼べる。
 そんな場所を今まさにドライブしているわけだが、思い通りにいかない執筆とは反対に愛車は思うがままに動いてくれる。艶めかしいピンクゴールドに染められた二人乗りのハイエンドモデル。背の低いワイドボディは見る者に威圧感と羨望を同時に抱かせ、四輪駆動から放たれるトルクは確かな加速となって乗り手の心を熱くさせる。自動運転が当たり前になったこの時代において、搭乗者が自ら操るモデルなどかなりの希少種だ。物好きか懐古主義者でもなければ乗らない鉄屑と見下されることもしばしばある。尤も、そんなことを口にしている連中は売り手にいいように遊ばれているだけのミーハーであることが多いので気に留める必要は全くないが。
 愛車のスペックはもちろんのことだが、自由に走れる要因はもう一つある。どういうわけかこの街では他者の存在が確認できない。街の灯りが消えることはないし路面には確かにタイヤ痕があるものの、人そのものには未だ邂逅していない。存在した形跡を追うことは容易なだけに何とも不思議な話だ。ゴーストタウンを駆けているような寂しさに包まれる一方で、この広大な回廊を独占しているという事実に高揚を隠せないのもまた事実。下品なほどに煌びやかな摩天楼たちの光に照らされていることも相まって瞬きすら忘れそうになる。
 町の光は様々な情報を多様な形に変えて映し出している。国政の危機を煽る文言、著名なアーティストのプロモーションビデオ、ユーザーを増やさんと躍起になっているオンラインゲームの誇大広告。技術は進めど人の営みはさほど変わらないらしい。ここに挙げたのはほんの一部だ。とにかくバラエティに富んでおり見ている者を飽きさせない。ただ、それは膨大な情報を一身に受けていることの裏返しでもある。一人の人間が処理するには明らかに過大だ。しかしこの感覚が癖になる。人口のオーロラの中を突き抜けている間、奇妙な快感に支配されているのが分かる。それは酒や薬のように大波の快楽ではなく、さざ波のように延々と押し寄せる微弱な快楽である。
 さて、物書きである以上はここでの経験を無為にはしたくない。そう思っていた。「いた」というのは簡単な話で、雑多なデータの処理に追われているせいでモチベーションが全く上がらないのだ。砕けた言い方をすれば怠けである。気が乗らない時は満足するまで逃げるのが最善。そう心に決めて生きている私にとってはいつものことだが、同時に自らの怠惰に少しだけ嫌気がさす。付きまとう罪悪感を詭弁と開き直りでねじ伏せる情けない日々。この街はそんな自分すらも受け入れてくれる。
 
 極彩色の桃源郷に入り浸っていると、ルームミラーに映る影に気づいた。ここにきてようやく他者との遭遇か。あるいは夜間巡回中の無人パトカーか。そんなことを思案しているうちに影は少しずつミラーの中で大きくなっている。こちらは既に時速八〇キロを超えていることを考えると相当なスピードを出しているのは間違いない。近づいてくるにつれて、その姿がくっきりと見えるようになった。
 まず、四輪自動車であることは確かだ。真珠すら霞ませるほどの光沢を放つ白い車体は球体に近くホイールベースがかなり短い。高さも幅も軽自動車程度でおもちゃのような見た目をしている。愛車と同じカデコリーに属しているとは到底思えない。ヘッドライトの出力が高いのかやたら眩しく、車体のカラーと相まって鬱陶しいほどに輝いている。全く得体の知れないマシンだ。あの車が妙に明るいせいかビルの光も心なしか見えづらい。さっさと引き離してしまおう。アクセルを少し踏み込んでこちらも加速する。しかし距離は開かず、むしろさらに縮まっている印象すら受ける。踏み込みが足りていないのか。ペダルを踏む足にさらに力を加える。されどその差は広がらない。
 何が起きているんだ。数年型落ちしているとはいえこっちはメーカーの最高峰の技術が注ぎ込まれた車に乗っているんだぞ。直線勝負なら負ける要素はないと自負している。なのにあの球体ときたら、そんな矜持も踏ん張りも嘲笑うようにどんどん近付いてくる。距離が縮まっているせいか己の熱なのかは分からないが、車内が暑苦しい。球体が接近するほど熱気は増していく。逃げたい。この熱さから。このプレッシャーから。速度計は既に時速百三○キロを示している。あの車が発する光は街を彩る七色をも薄めていく。それを見ていると、いずれ自分も消え去るのではないかという恐怖に苛まれる。何が何でも奴から距離を置きたい。
 この車はあと七〇キロは伸びる。あんな小柄なボディでは二百キロの速度域で安定させることなど出来やしない。今に見ていろとフルパワーで愛車を前進させる。得意げに距離を詰めていた白は少しずつ置き去りにされ、気が付くと乗用車にして七台以上の距離が開いていた。このまま逃げ切ってやる。もはや奴は私の敵ではない。そう確信したその時、前方に右コーナーが見えた。まずい。これだけスピードが乗った状態ではいくら高速道路の緩やかなカーブといえど外に吹っ飛んで木っ端微塵だ。アクセルを緩めてブレーキペダルに足を置く。後ろからあの車が再び接近しているのが分かる。目の前の勝負に夢中になっていた私のミスだ。勝ち目など最初からなかった。そう悟った時には逃げる気力などいなかった。
 眩しさも熱さもすべて受け入れ、車窓からの景色はただの鉄と石と化す。こちらのことなどお構いなしにコーナーを抜けていく白い球体。思えば、奴が現れてこんな結果を残していったのは「時間を無駄にするな」という警告だったのかもしれない。そう思うと、突然の来襲も納得させられる事件ではある。
 もしもこの街が再び灯りをともしてあの豪奢な姿を取り戻すのならば、私も再びこの地に舞い戻ろう。たとえあの車に追われることが分かっていてもあそこで味わった感触は忘れられない。奴が正論を以てあの街に現れるのなら、私は人間の本能を以てあの街を愛そう。快楽や無駄を欲する人間の本質。私はそれを決して否定しないし、逃避のための材料にするつもりだ。逃避も浪費もためらわない。それが私という人間だから。

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